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 通過待ちのある駅に停車すれば、それなりの確率で席が空く。この電車は転換クロスシートで片側が2席、反対側が1席となっており、1席の方が空けば運が良い日。そして今日はその日であった。私はさっきまで中年の女性が座っていた生ぬるいシートに座った。

 ずっとスマホを眺めていたが、ふと夜の車窓に意識を向けてみた。線路付近のビル群の隙間から見える昭和風の古びた家屋。比較的新めで広告を全面に出していたりするものやそれとは対照的にムードを醸すにはあまりに寂れたラブホテル。昭和の怪談に出てきそうな何1つ光の無い夜の小学校。最初のうちはこんな風に感動していたかもしれないが、今ではどれもつまらないものになってしまった。

 私の意識は再びスマホに戻る。SNSをスクロールしては更新し、スクロールしては更新しの繰り返し。それのみでしか電車の時間を過ごせなかった。同じ車両に乗っている同じ年くらいの学生たちのようにお互いに話すなんてことは、独り身の私にはレベルの高過ぎる話だ。もう3年の9月だと言うのに、私は未だに「放課後や休日にクラスメイトと遊ぶ」という高校生のチュートリアルミッションさえもクリアしていない。ちなみに、3年は文化祭に参加できないため「高校の文化祭を誰かと一緒に回る」という実績は永久に解除出来なくなってしまっている。

 私は大きく溜め息をついた。ガラスが曇る程に。私は自問した。「このままでいいのか?」と。すると本能的な部分が「No!」と叫ぶが、それ以外を占める理性は「そんなこと考えず勉強だけしてろ」と返し、精神の悲鳴を掻き消すのだ。

 理性と呼ばれるプロパガンダマシーンは成績の数字を大きくすることのみに固執し、私から自由な思考を奪う。そして私もまたそれに従う他無い。そんな現状に辟易しながらも自分にさえ反抗できないが為に、私はどれほどの悩みを抱えて来ただろう。どれほどの時間を鬱蒼とした心持ちで過ごして来ただろう。

 私の理性はマクナマラの誤謬を突っ走っていることを除いて完璧だ。誰かが作り出した創作上のものである青春。そんなものには目もくれず、ひたすら成績のみを追い求めている。例えるなら、ドイツに到着したばかりの太田豊太郎と言ったところか。そして今の私は余計な自我を持ち始めた太田豊太郎に似ている。そうは言っても私は一級のはじめに名を記したことはない。いわゆる劣化版だ。

 そう考えると、エリートの果てなき語彙で語られ認識される感情と、稚拙で少ない語彙で捉えられる感情を同列に扱って語るのは好ましくないだろう。所詮、私はエリートではない。ただの凡人なのだ。凡人は他の凡人のように愚鈍な大衆に伍し、スポットライトも当たらない背景としてうずもれながら世に生かされる他無いのだ。

 そうこうしていると、決まって涙が出てくる。アンヴィバレットな内情は私の陳腐な脳では処理しきれず、幼稚な手段で誤魔化すのだ。こんな、21世紀の高度な社会に生きる文明人とは思えないほど低俗で卑怯な手段でだ!

 いつのまにか電車は高架から、周囲の地面より低い谷間の箇所を走っていた。線路の上を渡る橋が見える。あの橋から落ちれば、私は楽になれるだろうか。自殺を思っても踏み出せず地団駄を踏むだけであった。本気で死を思ったわけではない。それは幼い子供の好奇心に似たものであった。

 まもなくして電車は家の最寄駅に到着した。私は他人からワンテンポ遅れて下車し、改札を抜け、虚ろに家に帰った。

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