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 最終下校の時間にイヤホンをつけながら学校を出、暖色系の街灯に照らされた大通りをそれ、月明かりと電柱の蛍光灯のみの脇道に入る。閑静と言えば聞こえのいい寂れた住宅街を1人とぼとぼ歩いていた。湿り気を含む生ぬるい夜風の吹く住宅街は私のような日陰者には恐ろしくピッタリで酷く惨めな気分になる。

 イヤホンからは音ゲーに収録されてそうなアップテンポな曲が流れている。歩くテンポはそれにつられるが、気分そのものはつられない。むしろ気分を司る意識は遠くに聞こえる救急車のサイレンの音や、道のど真ん中に落ちている枯葉へと向かっていて、気分はどう形容しようにも混沌という語彙以外見当たらなかった。きっと疲れているのだろう。

 私は意識の混沌に諦観を混ぜつつ歩き続け、駅に着いた。夜になると周囲にはコンビニくらいしか無い。電車まで後10分強といったところであった。高架路線の駅であるここは1階が改札とトイレなど、2階がホームとなっている。私はとりあえず1階のトイレ前に設置された椅子で時間を潰すことにした。待合室も無いような各駅停車のみが止まる駅で、遮るものも空調装置も無いホームより1階の方が比較的快適であったからだ。

 適当にSNSを開き、誰が描いたと知れぬ絵にいいねを押した後、別アプリでニュースでも確認する。最新のスマホがそろそろ発表だそうな。次の数字は何だっけか。まぁ、どうでもいいか。目新しい機能も無く、充電端子も独自規格のままだろうし。どうせ素人には分からない程度にカメラとプロセッサーが変わるだけだろう。

 スマホのニュースを見て、私はふと昔を思い返した。まだ私がスマホを持っていなかった頃だ。あの頃、新機種が出るたびに朝のニュースで紹介されていた。それに釘付けになっていた私は、一体どれほどの羨望を抱いていただろう。数字が1つ大きくなるだけで、まるで世界がアップデートされていったかのような気さえしていた。今や、数字やカメラの性能なんかで感動することは無くなってしまった。

 無知が生む感情であったと片付けるのは簡単だ。だがそこで切ってしまうのは危険だと思う。無知の力は恐ろしく強大だ。幼い頃の無尽蔵の好奇心は無知から得られるもの。空の色や満ち欠けする月、シャワーに現れる虹。それらの原理を知ってしまえば途端に興味が削がれ、見つけても感動しなくなるのだ。知を得る、アインシュタインに倣って言えば常識と言う名の偏見を得たことで身近な部分から闇が消えていった。世界は明るく、そしてつまらなくなった。

 回想に浸っていた私は、スマートウォッチに映し出された時間を見て初めて電車の発車まで後3分程度ということに気付いて、慌ててエスカレーターに乗った。

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