見送り
これから、どこへ行くのか。
幼子を連れているからかもしれない。八神が竜追いを退くというような話を耳にしているからかもしれない。
鶴乃はいつになく心配そうな顔色だった。亡き夫を送り出す時はこんな顔をしていたかもしれないなどと、そんなことを思い出す。
「とりあえずは街道に出る。イサナもいるし、無理はしない」
なんの答えにもなっていない自覚はあった。けれど自分たちが行き着く果てがどこなのか、果てはあるのか終わりはあるのか、全てが深い霧の中。
歩きどおして宿場を辿って、いつか路銀は尽きるだろう。その時、自分はどうやって稼ぐつもりなのか。
食べること、生きること、どうこなしていくのだろう。
「あのね、海に行くの」
膝の上の包みを大事そうに抱えながら、イサナが言った。
「海?」
「うん」
「……イサナが行ってみたいって、言うから。とりあえずは外房の方まで」
どこか行きたいところはあるかとイサナに尋ねたら、海にいる竜に逢ってみたいと答えた。
――海に棲む竜たちなら、何か違うかもしれないから。
呪われた身では、仲間であった竜にも受け入れてもらえないと打ちひしがれながらも。それでもまだ知らぬ土地の竜相手なら、何か変わるかもしれないとイサナなりに精一杯考えたらしかった。
「もう行く?」
框からぴょんと降りて、イサナは包みを握っていない方の手を伸ばした。
小さな身で懸命に己のゆく先を考える健気さも、導くはずの大人が目的に困り、幼子に尋ねるという情けなさも、八神を苛むけれど。
いつかこの手が八神を必要としなくなるまでは、離さないでいようと誓ったのだから。
「まあ、どうにも困ったらまた来なさいな」
鶴乃に見送られながら戸口へ向かう。外で夏枯草を干していた雷太がちょうど戻ってきた。
「あ、二人とももう行くの?」
「ああ。雷太も色々、気を使わせたな」
「そんなのいいよ」
雷太は明るく笑う。屈託のない笑顔が、いつにもまして沁みた。
「そういえばさ、母ちゃん。今度うちに誰か竜追いが来たら、何か聞こうとしてなかったっけ?」
「ああ、そうそう」
思い出したように、鶴乃は一度家の中に入り、また戻ってきて言った。
「ヤツさんさ、
「どうだったかな……。流れていると色んな竜追いに会うから、どこかで会ったことはあるかも知れないが、はっきりはわからない」
「そっか。その人、半助さん。ここ何年か体悪くしててさ、春の狩りが終わる時期になると薬を貰いに来るのよ。けど、今年は来なかったから気になって」
鶴乃は手にしていた巾着を八神に手渡した。
「悪いんだけどさ。もし会うことがあったらでいいから、見つけたらこの薬渡しといてやってよ。薬代はある時で良いからって言ってさ」
「わかった、預かっておく。弟子の名前はわかるか? 場合によっては、そっちをあたった方がわかるかもしれない」
「えーっと、なんだっけな……」
「
「ああそうそう、寅治だ。十五、六ってところの子だったね」
頷いて、八神は巾着の根付を帯に引っかけた。ついでにイサナから握り飯の包みを預かろうと手を伸ばす。
「私が持ってく」
イサナは包みを自分の胸に引き寄せた。思いがけない反応に、八神は首を傾げる。
「お米は好き。おいしい」
道中、食べる物と言ったら米と野菜。竜を狩らなくなってしばし、昨日久しぶりに肉を食った。
竜が本来、何を食べるかも知らず、イサナには人の子と同じものを食べさせてきた。果たして人の食べる物がイサナの口に合っていたか、気にしていなかったわけではないが。
「好きなのか」
「うん」
この竜の子どもが食べ物を口にする時は、いつも警戒していた。哀れななほどに。けれど好ましく思うものもあったのかと、八神の胸にわずかばかりの安堵が広がった。
「じゃあ一生懸命歩いて、お腹すかせておあがりよ。落とすんじゃないよ」
鶴乃に背を叩かれて、イサナの肩がぴくりと震えた。けれど胸に抱えた握り飯の包みを見て、小さくうなずく。
「じゃあな、ヤツさん、イサナ。元気でいろよ」
「道中お気をつけて。行ってらっしゃい」
竜骨と竜薬を取引するために足を運んでいた、薬師の親子の家。
この先、生き方の変わった八神がここへ来る必要があるのかはわからない。
けれどいまだ竜追いとして生きた己を捨て去るのが難しいように、その上での繋がりを断ち切る踏ん切りもまたつかなかった。
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