第2話

――都内某所 ■■病院 神経内科


やなぎ先生、娘は……」

「あぁ。典型的な色調不良症候群プアカラー・シンドロームの症状だね。処方された薬の服用と1ヶ月のSMSの禁止で今は様子をみましょう」


 先生と呼ばれた初老の男は淡々とした様子で診断書を書いた。

 縋るような母親の視線を感じつつも、こればかりは患者の意志に頼るしかないと、内心匙をなげる。

 患者である娘は始終無言だった。そわそわと貧乏ゆすりを繰り返し、黒い布で目隠しした顔を俯かせる。


 患者の年齢は17歳だと聞いている。都内の女子高に通い、帰宅部の友達同士でオシャレなカフェ巡りをするのが日課だったらしい。


「ね、またお友達とカフェ巡りをしたいでしょう。ちゃんと治しましょう」

「……………」


 きまずい空気を察した母親が娘に語り掛けるが、娘は身体をわずらわしそうにグクガクとゆするだけだ。

 母親の疲れはてた瞳にうっすらと涙の膜がはる。

 血色のわるい唇を震わせて「NIJIiニジィさえなければ……」と、吐き出すように言葉を零した。


 柳は患者をみる。

 ジーンズにシャツのラフの格好だが、白髪交じりの長い髪。げっそりと痩せた手足。はりを失ったシワだらけの肌。

 下手をすると母親よりも年老いて見えるこの少女は、令和の現代病として認知された――色調不良症候群プアカラー・シンドロームに蝕まれている。


「お母さん、結果を焦ってはいけませんよ。一番つらいのは、お嬢さんの方なのですから」


 なるだけ優しく語り掛けて柳は、嗚咽を噛み殺す母親と貧乏ゆすりを繰り返す娘を交互に見る。

 色調不良症候群プアカラー・シンドロームの無気力型だ。外へ発散する攻撃型と比べて、希望があるが治療に長い時間を要する。

 1ヶ月のSMSの禁止は誘い水だ。1ヶ月、この現代社会でSMSを我慢できる強い意志を発揮できるなら、そもそも色調不良症候群プアカラー・シンドロームになることはない。

 わざと症状を悪化させて専門病棟に放り込み、強制的にネット断ちをさせて社会復帰させるのが治療の段取りとなっている。

 有効な治療法はなく、無理やり社会復帰をしても、NIJIiニジィを標準装備したSMSがある限り再発するのが容易に想像できた。


「こんなもの無くても生きていけるのに。街もあんなことになってしまって。これから、この国はどうなるんでしょうね先生……。私たちの時代には考えられなかったわ。こんなこと……」


 柳に同意を求める母親は疲れたように笑う。

 曖昧に笑みを返す柳は「娘よりも先に母親の方が参りそう」だと内心で途方に暮れた。

 家族の一員である夫は中東に単身赴任で、ここ最近起きた内戦で帰りたくても帰れない状態らしい。

 見通しのない現実で、夫の安否と急激に老化した娘の姿……我が身に置き換えると発狂しそうだ。

 母親の身体から立ち上る、今にも爆発しそうな緊張感が柳の首筋を撫でた。 


「えぇ。ですから、立ち向かえるのは、NIJIiニジィに振り回されない世代の私たちなのですよ」


 白々しく、頼もしいセリフを吐いて柳は満面の笑顔を作り、母親に出す薬の処方箋しょほうせんを脳内で書いた。


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