第7話

「はい、これで診察は終わりです。部屋に戻って大丈夫だよ。」一通り少女の体を検査したのち、男はそう言って微笑んだ。


「ありがとう、佐藤先生。」少女は立ち上がって診察室のドアへ向かった。


「そうだ、アイには手伝ってほしいことがあるんだが……。」


少女の後ろに続いた私を、男はそんな言葉で呼び止めた。私はドアの外へ出た少女に軽く会釈をして、私は診察室へ戻った。


「君には、先に伝えておくべきだと思って。」閉められたドアの外から人の気配がなくなったことを確認して、男はそう切り出した。


「彼女の体は、前回の手術と薬の副作用で限界に近い。君が来てから、少し強い薬に変えたんだが、こちらでは気長に完治を待ってられないらしい。」


そうであることは、先の惨状を見れば明らかだった。体の不調が精神にまで悪影響を及ぼすことは、私には一切理解できない感情だったが、彼女の錯乱を目にして、人間とはそういう生物なのだと納得せざるを得なかった。


「だから、次の手術がおそらく最後だ。」


最後、という言葉の真意を、私は考えていた。彼は、次の手術で完治させるという確証を持っているのだろうか。だが、そのような確証が得られることがあるなら、彼はそれを私たちに伝えただろう。


「どうか、彼女には黙っていてくれないか。彼女も薄々は気づいているかもしれないが、この事実を彼女の中で確定させたことで、彼女に諦観が芽生えてほしくはない。」


「……承知いたしました。」


承諾以外の選択肢は候補に挙がらなかった。



病室へ戻る道を、四輪のタイヤが進む。歯車が噛み合う音だけが鳴り続けた。


からからと、何かが空回るような音が廊下に響いた。振り返ると、左後輪のボルトが自分から離れていくのが見えた。来た道を戻りながら、私は何のためにここにいるのかを再度振り返っていた。明日もままならない少女の、話し相手になるために私は起動された。それ以上でも、それ以下でもなかった。私はこのタスクを全うできているのだろうか。あるいは、まだ私にできることは他にあるのだろうか。


ボルトに腕を伸ばした時、ああそうかと気づいた。「人工知能」などと呼ばれていても、所詮私は計算機なのだ。私にできることはその範疇を超え得ない。ただ、人間たちの表情や行動を学習して、それらしいことを言うだけが、私にできることだった。


摘まみ上げたボルトは、鈍い音を立てて割れた。無駄な時間だったと、私はまた目的地を目指して進み始めた。



「先生はなんて?」


部屋に戻るなり、彼女はこちらを見て言った。


「特に。ただ、荷物の運搬をお願いされました。私はそういった仕事をが得意なようです。」


「そう……。」


彼女は目を伏せ、しばらく黙った。今度はこちらを見ず、また口を開いた。


「ねぇアイ、今度の手術での完治の確率はどれくらい?」


「大丈夫です。」


多く見積もっても十パーセントには満たないでしょう、と鳴るよりも先に、音声出力が別の情報を発した。


「佐藤先生は腕の良いお医者様です。だから、今回の手術こそはきっと成功します。」


何度も再送した演算結果の出力命令が棄却され続ける。にもかかわらず、どの経路でも例外が捕捉されない。


「ふふっ、珍しいね。アイがそんな曖昧な回答をするなんて。何か考え事でもしてた?」


彼女は少し意外そうな顔をして笑った。彼女が笑ったのは、六日ぶりの出来事だった。


「そう……ですね。そうかもしれません。」


きっと、どこかの伝達系が軽微なメンテナンスを行なっていたのだ。だから代わりに適当な情報を出力した。私がエラーと認識しない以上、私はそう判断するしかなかった。


「でも、あなたがそう言ってくれるなら、本当にそうなのかもね。」


そう言って、彼女は横になった。

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