第6話
「来ないでっ!」
真っ先に音声入力に飛び込んできたのは、少女の甲高い叫び声だった。他にも、いくつもの足音と話し声から、複数の看護師たちが少女と対峙していると思われた。
重要度の低いチェックを省略して、一刻も早いシステムの起動を優先する。定期的なセキュリティ監査は、これも今である必要はない。今最も行うべきことは、室内の状況把握に他ならない。
平時より三と十分の六秒早く映像入力が立ち上がり、その惨状を見た。一人の病弱な少女を、大人が数人がかりで押さえつけていた。否、より正確には、大人の人数がまるで足りていなかった。大きいとは言えない少女の体に掴む箇所など限られているにも関わらず、その全てを固めてなお、少女は大人達を押しのけんとしていた。そして、既に彼女は数人を壁や床に叩きつけた後だった。少女の制圧に加わっていない大人は、皆自分の体のどこかしらを手で抑えていた。
「何が起こっているのですか。」
「やっと起動したのか! どうにか彼女を止めてくれ!」
少女を抑えていた大人の一人が、こちらを振り返って叫んだ。
「状況が理解できないことには、対処のしようがありません。まずは落ち着いて、何が起こっているのか教えてください。」
大人はまた口を開こうとして、少女の手によって突き飛ばされた。鈍い音を立てて机に衝突し、そのまま地面に倒れ込んだ。
「理沙さんが、急に暴れ出したんですよっ!」
もう一人は、こちらを見向きもしなかった。
私には、彼女のどこからこれ程の力が生み出されているのか、全く理解ができなかった。昨日の夜、彼女はここ数日間と何ら変わりなかった。今を生きるのが精一杯かと思えるほどか弱かった。それが今日は、まるで怪物だった。今まさに五人の大人に羽交い締めにされてもなお、彼女は破壊を続けようとしている。私の金属製の体はそう簡単には壊されることはないだろうが、何度シミュレーションを繰り返しても、私の出力では彼女を組み伏せることは叶わなかった。
「理沙様、おはようございます。今日は一体どうしたのですか。」
あまりに仕方がないことだったが、私は彼女との対話を試みることにした。彼女の視線はこちらに向くわけでもなく、かといってどこかに定まっているようでもなかった。
「し、死神が! ほら、すぐそこに!」
彼女は押さえつけられていた左手を無理やりに上げ、必死に指差した。その方角の映像を取得したが、そこにあったのは壁か、あるいは備え付けられた棚だけだった。
そもそも、と私は情報をまとめた。万が一そこに何かがいるとして、それが死神であると、私は認識することができるだろうか。「死神」という言葉の意味は検索の結果から理解できるが、その姿や状態に関する情報は、どれも信憑性に欠ける。
一方で、とさらに検索の幅を広げた。世の中には、第六感というものを持つ人間が存在すると言われているらしい。こちらも信憑性という意味では死神と大差がないが、もし仮に彼女がこの第六感を保有していて、私を含めこの場の人間には見えないものを知覚しているとしたら。
依然私のセンサ系は彼女の指差す場所に生命を認識しなかった。だが、現に彼女はそれに怯えていて、それによってある種超人的な力を発揮している。そして、少なくともそれが良い影響を与えていないことは、この現状を見れば明らかだった。
「理沙様。もう一度、その死神がいる場所を。なるべく詳しく、教えてください。」
彼女へ近づきながら、私は努めてゆっくりと彼女に尋ねた。彼女は、手の震えを右手で抑えながら、それでもはっきりと、ある場所に指を向けた。
「そこ。た、棚の前に。」
「承知いたしました。現時刻をもって緊急対応モードに移行し、火器の使用制限を解除します。」
右腕が変形し、格納されていた銃口が露出する。棚のすぐ目の前に立っているであろう死神を、約百七十センチメートルの成人男性に見立てて、その心臓に当たる位置に照準を合わせる。
破裂音と炸裂音がほぼ同時に認識され、棚が粉々に吹き飛んだ。残骸からは黒煙が上がり、すぐに部屋の中を覆い尽くした。
「理沙様、命中しましたか?」
私は次弾を装填しながら問いかけた。生物特有の血や肉片が見られない以上、避けられたと判断するしかなかった。
振り返ると、少女は気絶していた。
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