第8話
その日は、朝から忙しかった。少女は病院の各地を回り、ありとあらゆる検査を行った。そして、最後の健診を終えた少女の左腕には、透明なパックから伸びた細長いチューブが繋がれた。こうして科学的に生かされている彼女を見ると、人間もロボットも、本質的には大した違いはないようにも見えた。
「おそろいですね。」
私は自身に繋がっていた電源コードを収納から取り出し、持ちあげてみせた。
「ほんとだ。ついに来るとこまで来たって感じ。」
彼女も同じようにチューブを手に取って、くるくると回した。
「ほら、二人とも遊ばない。理沙ちゃんは早くベッドに乗って。」
「はぁい。まったく、佐藤先生はせっかちなんだから。」
白衣の医者の催促にふてくされながら、少女の小さな体はベッドに横たわった。そして、しばらく沈黙が続いた。これから、最後の手術が始まる。そんな不安が、彼らの頭をよぎってしまったようだった。
「理沙様。以前、海に行きたいとおっしゃっていましたね。」私は、何かを話さなければならないと思った。そのために、私はここにいるのだから。
「うん。」
「でしたら、まずは水着を買いに行かなければいけませんね。」
「へ?」彼女はすっとんきょうな声を出した。
少し唐突な話題提示だっただろうか、と反省した。だが、私には沈黙を破る会話のデータが不足しているため、かつて聞いた情報をもとにするしかなかった。
「理沙様に似合う、とびきりおしゃれな水着を買いましょう。」
「うん、わかった。その時はアイも一緒ね。」それでも彼女は、この提案を笑顔で承諾した。
「先生、あとはお願いいたします。」私は医者に向き直って、深くお辞儀をした。
「ああ、ここからは俺の仕事だ。」
平時以上に引き締まった表情で、彼は強くうなずいた。そして、少女を乗せたベッドを押しながら、手術室の扉の先へ進んだ。彼女らの姿が遠くなった頃、扉はゆっくりと閉まった。後には院内の静寂と、私だけが残った。
手術室の扉が閉まってから、八時間と五十一分が経過した頃、再びその扉は開かれた。手術室から出てきた彼女は、ベッドの上で安らかに眠っていた。しかし、彼女が眠っていると認識するのにいくらかの時間を要する程度には、彼女の生命の鼓動は弱まって見えた。
「彼女の容態は?」ベッドを押して戻ってきた男に私は問いかけた。
「闘ってるよ、今もまだ。」彼はくたびれた様子で応じた。
「いつ頃目覚めるのですか。」
二つ目の問いに答えようとして、彼は言葉に詰まった。何度か口を開こうとしてはやめ、とうとう息を大きく吐いて、静かに言った。
「彼女が次に目覚めるとしたら、それは体内の菌を滅ぼし尽くした時だ。つまり……。」
そしてまた彼は言葉を止めた。彼がその後の言葉を発したくないのだと悟った。
「理解しました。」
「ありがとう。それと、これは最後のお願いになるんだが。」
彼は途切れ途切れながらも、なんとか言葉を紡ぎ続けた。
「彼女が目を覚ますまで、側で彼女に声をかけてあげてくれないか。」
「声、というと?」私にはその行為の意味がわからなかった。
「なんだっていい。君が何を認識して、それらをどう判断したか。そんな他愛もない話し声だ。それに何の意味が、と君は思うかもしれんがね。俺はこれを、彼女を現世に繋ぎ止める儀式だと思ってる。」
上を向いて眉間を抑えながら、どうだい図星だろう、と彼は唸った。
「ええ。先生にしては、ひどく非論理的な手法を提案されたとも。おそらく意味はないでしょう、我々のような機械に対しては。」依然、行為の意味は理解できなかった。
「ですが、先生がそう仰るのであれば、きっと人間には意味のある行為なのだと、私は解釈します。」
だが、私には理解は必要ない。私は私の理解に関わらず、それを実行できる。
「最後のお願い、承りました。全霊をもって遂行いたします。」
「ありがとう。後は頼んだ。」
他の看護師にベッドの運搬を任せて、彼はふらふらと薄暗い廊下を歩いていった。
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