第2話

「あの、こんにちは。」おそるおそる、少女が口を開いた。


「はい、こんにちは。」私は少女の声量に合わせて返答した。


「私は理沙っていうの。理科の理に沙羅双樹の沙って書くんだけど。あなたのお名前は?」


「私の名前は未定義です、理沙様。お好きな名前をご登録ください。」


「そっか。どんな名前がいいかな。」そう言って、少女は考え込んだ。


「人工知能は英語でエーアイだから、ローマ字読みでアイ、とかどう?」


「素敵な名前ですね、ありがとうございます。私はこれよりアイと名乗ります。」私は自身のデータベースにその名前を記録した。


「アイは、ここに来る前は何をしてたの?」


「わかりません。何かをしていたかもしれませんが、私はここに来る以前の情報を保持していないため、それを明らかにすることができません。」私は事実を述べた。


「そうなんだ。記憶喪失みたいな感じなんだね。」少女は私を憐みの目で見た。


「じゃあ、きっと今も不安でいっぱいだよね。わからないこととか知りたいことがあったら、私に何でも聞いて。」そう言って、少女は微笑んだ。


「私には不安という感情は理解できませんが、そうですね。せっかくですので、理沙様についてお聞かせいただいてもよろしいですか?」


「私? まあ、いいけど。」彼女はあまり気乗りしない様子だった。「何が知りたい?」


「ご病気であることは存じ上げていますが、具体的にはどんな病気なのですか?」


「うわぁ、ほんとに聞いてほしくないことを聞くんだね。」


私にとっては知るべき情報であると判断したが、彼女にとっては伝えるべき情報ではなかったようだった。彼女は露骨に嫌そうな顔をした。


「申し訳ありません。別の質問にいたしましょうか。」だが、彼女は首を横に振った。


「いいよ、何でもって言ったのは私だし。それに、アイに隠してもしょうがないしね。」そう言って、彼女は少しずつ話し始めた。


「感染症といっても、一緒にいるだけで移ったりはしないんだけど。ただ、一度体に細菌が入ると、感染してる部分がどんどん弱っていくのと、完全にいなくならせるのが難しいみたい。」


彼女はテーブルの薬を指さした。数種類の薬が、束のようにまとめられて置かれていた。


「だから薬をたくさん飲んだり、あんまりにも悪い部分が広がったら切除したりしないといけないんだって。」


ここまで話を聞いて、私は一つの疑問を彼女に投げかけた。


「一緒にいるだけで移らないのなら、なぜご両親と面会ができないのですか?」

「できないんじゃなくて、来ないんだ。」彼女は悲しそうに呟いた。


「ママとパパは仕事が忙しいから。移るかもっていうのを言い訳にして、来てないだけ。まあ、その忙しい仕事のおかげでアイを買えたんだけどね。」そう言って彼女は苦笑した。


「私でご両親の代わりになれるでしょうか。」この発言を聞いて、彼女はふきだした。


「文字通りに受け取らないでいいよ、ただの皮肉だから。でも、ありがとう。」


彼女はしばらく天井を見つめていた。十秒ほど経ったころ、彼女はまた口を開いた。


「私ね、この病気が治ったら海に行ってみたいんだ。」


「海、ですか。」


「うん、動画では何度も見たことがあるんだけど、実際に見たことはなくて。広くて、どこまでも続いているようだった。」


彼女はこちらに視線を向けることなく話し続けた。


「きっと海には、全てがあるんだ。」


「ええ。行けると良いですね。」


私には、病気が治ってまでしたいことが、なぜ海に行くことなのかが理解できなかった。私も実際に海へ行ったことはなかったが、彼女と同じく動画などでは見たことがある。実際に行っても、さして重要な情報は得られないだろう。せいぜい、磯の香りや海風の温度など、付加的なものだけだ。その程度の情報が、彼女にとっていかほどの価値になるのか、推測することはできなかった。だが、海には全てがあるという彼女の表現は正しいと判断した。確かに海には全てがある、といえる。生命の始まりも、終わりも。

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