幕間 フランソワ自叙伝

―― フランソワ視点


 私はシャム王国のラーマ6世の治世に、王の異母弟の娘として生まれた。


 当時の国際情勢は、シャムの周辺諸国がイギリス、フランスに植民地として占領されていたため、父は王と協力して、欧米列強からの支配を受けないよう必死に各種施策を行っていた。


 そういう状況だったため、私は狂犬病で十二歳で亡くなるまで、父とは数えるほどしか会えなかった。


 一生を儚く終えたと思ったら、こちらの世界の貴族の娘フランソワに前世の記憶を持ったまま、生まれ変わっていた。


 私は前世と同じように何不自由なく育てられたが、前世のトラウマで病気が怖くてたまらず、幼い頃から治療系の魔法の訓練を一生懸命行った。聖女になれたのはそれが原因だったと思う。ちなみに今でも犬は苦手だ。


 アネモネに初めて会ったのは、十五歳のときの聖女候補の検定試験だった。今とは違って、当時の試験は現役聖女との模擬戦だったが、アネモネは現役聖女を圧倒し、文句なしの首席合格だった。


 アネモネは美しく才能に溢れた少女で、聖女教育を一年で飛び級卒業し、その年に「王都の聖女」に任命された。十六歳での聖女も初めてだし、十六歳での「王都の聖女」ももちろん初めてだった。


 そんな華やかなデビューを飾ったアネモネとは違い、私は聖女検定は十番目の合格だったし、飛び級なしで普通に卒業した三年後の聖女入れ替え戦では、十三番目の聖女にようやく勝って、ぎりぎりでの聖女就任だった。


 聖女隊に入った私は、アネモネを尊敬し、崇拝し、彼女のようになりたいと願い、努力した。その甲斐があって、いつしか私はアネモネの右腕と呼ばれるまでに成長し、「ミントの聖女」となっていた。


 そんなある日、私は王室が定期開催する聖女の慰労会で、グランベル王子に初めて出会い、ダンスのお誘いを受け、王子の優しい微笑みと優雅な立ち振る舞いに一目惚れしてしまった。


「シス、グランベル王子に恋したのかしら?」


 アネモネは私のことを「シス」と呼んだ。王国語で「可愛い妹」という意味だ。何故かアネモネは私のことを目にかけてくれ、可愛がってくれた。


「そ、そんなことありませんわ。ただ、ちょっと素敵な殿方だと……」


 私は恥ずかしくて、最後の方は消え入るように答えた。


「ふふふ、シスならちょうどいいかもね」


 私がアネモネのこの言葉の意味を知るのは随分と後になる。


 グランベル王子とはその後も何度かパーティでお会いして、私はますます彼の魅力に惹き込まれて行った。


 そして、ある日、私は両親から、グランベル王子が私を婚約者にしたいと申し入れていることを告げられた。天にも昇る気持ちだった。


 もちろん私は申し入れを受け入れ、グランベル王子が王太子となったタイミングで、私は聖女を引退し、正式に王太子妃となった。


「おめでとう、シス」


 アネモネは私を笑顔で聖女隊から送り出してくれたが、幸せでいっぱいの私にとって、唯一、アネモネとの別れは悲しかった。


 その後、グランベルが即位し、大陸統一のための戦争を積極的に他国に仕掛け始めたことに、私は違和感を感じた。グランベルは温和な性格で、争いを好まないからだ。


「あなた、もう少しゆっくりと平和的に進められないのかしら」


「他国の野蛮な統治を一刻も早く終わらせることが重要なんだ。これが一番いい方法なんだよ」


 彼がそう答えたので、女が政治に口出ししてもと思い、それ以上は言わないようにした。


 好戦的な政策は気になったが、グランベルは私に優しく、側室も持たず、私だけを愛してくれた。私は幸せだった。そう思っていた。


 そんな彼が戦地で命を落としたと聞いたのは、アネモネの口からだった。聖女隊が後方にいて、国王が命を落とすなんて考えられなかった。


「お姉さま、どうして!? 信じられません!」


「シス、ごめんなさい。軍部の暴走なの。停戦を主張する陛下に対して、進軍を主張する青年将校が実力行使に出たの」


 あり得ない。軍の最高司令官である王に下級将校が謀反を起こすなど。負けている国ではなく、連戦連勝で勢いに乗っている国の国王なのだ。


 後で分かるのだが、グランベルはしばしば戦争の継続に消極的な姿勢を見せることがあったようで、軍部から王太子のキースに王位交代したほうがいいという不敬な動きすらあったそうだ。


 グランベルは名誉の戦死とされ、私の息子のキースが王位を継承した。


 だが、私はまたしても違和感を感じた。キースは心優しい子で、狩でウサギを殺すことすらしなかったのだ。そのキースが即位するなり、大陸の早期統一と新大陸の植民地化を国策に掲げ、軍事侵攻を積極的に進めたのである。


「キース。戦争の連続で民も疲弊しているわ。争いはいったんやめて、内政に注力してはどうかしら」


「新大陸の資源を手にすることで、国力が増し、大陸統一も早まりますし、民も豊かになります。教会も布教活動を積極的に行って、全世界が同じ思想で同じ神を敬うことで、人々の心を一つにでき、争いもなくなります」


「色々な考え方や文化があるから、世の中は面白いのではなくて?」


「お母さま。生きた人間の心臓を神に捧げるような異教徒を面白い考え方だと言われるのですか!?」


「そうは言わないけど。あなた、どうしたの? 母に向かってそのような強い物言いは初めてだわ。何かおかしいわよ」


「お母様、おかしくはないです。聖魔女様のご指導に従って、国政を進めて行けば、間違いありません」


 私が「聖魔女」の存在を知ったのはこのときが初めてだった。


 私は息子に頼んで、聖魔女との面会にこぎつけた。王都の聖堂院にいるという彼女に、私自ら会いに行ったのだが、会ってみて驚いた。聖魔女はアネモネだったのだ。


「あら、もうバレてしまったのね。キースは想像以上に母想いだったのね。何か用かしら、シス」


「お姉さま!? 息子のキースが聖魔女という女性に政策の相談をしていると聞いたのですが、お姉さまだったのですか!?」


「そうよ。人類の平和のためにね」


「大陸統一戦争や新大陸の植民地化政策もお姉さまのお考えなのでしょうか?」


「そうよ、シス。帝国主義は正義を遂行するには最も効率のいい手法だわ。あなたの夫も息子も賛同してくれたけど、シスはそうではないのかしら?」


「私は自分たちが正義だとは思っていません。人には多種多様な考え方があり、お互いの考え方を尊重し合うことが大切だと思います」


「ふふ、皆がシスのように頭も心も良ければそれが理想かもね。でも、人の大部分は愚かよ。正しいものが導いてあげないとね」


 私は初めてアネモネの狂気を見た。主義主張をぶつけ合っても平行線だ。アネモネはアネモネの好きにすればいいのだが、私の家族を巻き込まないでほしい。


「お姉さまのお考えも尊重するのが私の考え方ですので、お姉さまに反対はしませんが、私の息子に手を出さないで欲しいのです……」


「そうしてもいいのだけど、そうなると、今度は別の国の王を操って、あなたたちを滅ぼさなくてはいけなくなるわ。私はシスのことは滅ぼしたくないの」


「操る?」


「ええ、チャームでね」


「チャームは魔女にしか扱えない魔法です。それに、王族はチャームを無効にする魔法陣を体に刻んでいます。お姉さまは聖女ですよね? チャームは扱えないはずです」


 私は「チャーム」と聞いて、これまでの違和感の正体が分かったのだが、アネモネがチャームをかけたとは信じられなかった。


「私は聖女と魔女の両方の人格を自由に変えることができるの。王族には外からはチャームをかけられないけど、内側からならかけられるのよ」


 私は嫌な想像をしてしまった。


「お、夫にはいつチャームをかけたのですかっ!?」


「シス、内側からって、別に肉体関係を結ぶわけではないの。『魂の契約』をして私に憑依してもらうだけだから。不倫していたのではなくてよ」


 そうではない。そんなことは疑ってはいない。夫が私を愛していたのが、彼の本心だったのかどうかを知りたい。


「いつからなのですっ!?」


「シスがグランベルと初めてダンスをする前からよ。彼は王になる野心を持っていたから、私と協力する決断をしたのよ」


「グランベルは私を愛したのでは!?」


「私からお願いしたのだけど、ちゃんと愛してくれたでしょう?」


「な、何故そんなことをっ」


「何故って、シスがグランベルに恋心を持っていたから、願いを叶えたの。そう望んだのではなくて?」


「そんな不自然な形では望んでないですっ」


「形にこだわる必要はないわ。結果が全てでしょう。グランベルとは幸せに暮らしていたのでしょう? グランベルの最後は可哀想だったけどね。でも、夫が名君と呼ばれ、息子が偉大な覇王と呼ばれ、シスも嬉しいでしょう?」


「操られて得た称号が、嬉しいわけないです。お姉さま、もうやめてくださいっ」


「シスがそんなに形にこだわるとわね。やめろと言われてもねぇ。次はメイヤーを仕込まないと」


「孫にまで手を出すのですかっ!?」


「さっき言った通りよ。あなたの親族を滅ぼすのが嫌だから、あなたの孫を選んだのよ。別の国から滅ぼされたくはないでしょう」


「……分かりました。お姉さまとは敵対しません」


「それが賢明よ。シスならきっと分かってくれると思ったわ」


 私はアネモネを滅ぼすことを決意した。アネモネが聖女のときは、私では勝てないが、チャームを発するときの魔女であれば、私でもアネモネを滅ぼすことができるはずだ。魔女は聖女に圧倒的に分が悪いからだ。


 アネモネにはそんな私の決意が伝わったようだ。


「シス、その顔、分かっていないようね。では、今、決着をつけさせてあげる。私をここで殺しなさい」


 アネモネは無防備に私の前に立って、剣を抜いて私に持たせた。


「今、私は魔女の人格よ。ここを刺せば死ぬわ。さあ、殺していいわよ」


 私は結局アネモネを殺せなかった。


「うぐっ」


 私はお腹に熱い痛みを感じて、自分のお腹を見た。槍の剣先がお腹から突き出ていた。


 アネモネが口を押さえて、目を見開いて驚いている。


(お姉さまもこんなお顔をされるのね)


 私は不思議と冷静だったが、今度は心臓を後ろから突き刺され、私の魂は肉体から離れた。


 剣を持ってアネモネに対峙していた私を見つけたアネモネの護衛兵が、私を背中から突き刺したのだ。アネモネが私を抱き上げて、狂ったようにキュアをかけているのが見える。


(私の人生は嘘だったのか……)


 私の魂はそのまま天に召されるのかと思っていたら、ミントのダンジョンのスケルトンに宿った。

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