第46話 サーシャのアルバイト

―― サーシャの視点


 聖女教育はいよいよ三日後から開始されるが、宿舎にはまだ私しか入居していなかった。


 今日は私は特にやることがなく、宿舎でじっとしていても手持ち無沙汰なので、近くにある冒険者組合に来ていた。「ミント冒険者組合キャピタルダンジョン出張所」だ。


 お昼過ぎだったので、人はまばらだった。


 掲示板で暇つぶしできそうな仕事を探していると、誰かが近づいてくる気配がした。さっさくナンパかと私はウンザリしたが、意外にも声をかけて来たのは、二十代と思われる美しい女性だった。


「サーシャ、いつかここに来ると思っていたぞ」


 私は名前を呼ばれて、驚いて女性を見た。よく注意しないと分からないが、霊体が二つ見えた。


「憑依? スケルトンクイーンのお姉さま!?」


 女性がにこやかに微笑んだ。


「そうだ。クレアと呼ぶといい」


「おじさまもいらしてっ!?」


 私は辺りを見回したが、お姉さまお一人のようだ。


「そうガッカリするな。あのロリコンのスケベトンのことは忘れた方がいい。十五歳の少女を五人も侍らせて、すぐ近くの貴族の別荘で悠々自適に暮らしておる」


「え? まさか!? でも、この近くなのですかっ?」


「うむ、馬車で十分ほどだ。だが、お前から会いにいくのはまずい。面会できるようになったら、スケベトンの方から会いに来るだろう。もう少しだけ待て。そのときには、ぶん殴ってやるといい」


 五人の女の子というのが気になるが、おじさまがすぐ近くにいるというのは、非常に心強かった。


「わかりましたわ」


 クイーンのお姉さまは、以前あったときとは違って、雰囲気がずいぶんと柔らかい感じがした。


「スケベトンには許可は取ってあるのだが、私の仕事を手伝って欲しい。護衛の仕事で、一日で終わる。お小遣いは弾むぞ」


 時間はあるし、スケルトンのお姉さまのことをよく知りたいと思った。おじさまの許可があるのであれば問題はない。


「はい、大丈夫ですわ」


「では、よろしく頼む。すぐに行くぞ。詳細は目的地に向かう途中で話す。そうだ、忘れていた。冒険者組合に契約の手続きをしてくる」


 まさか冒険者組合を通しての契約だとは思わなかったが、念のために院長の監視があったときのためだと耳打ちされた。


 組合の前に停めてある馬車に乗る前に、私は行き先を確認した。


「目的地はどこですの?」


「王宮だ」


「え? 王宮!?」


 王都に向かう馬車の中で、私はお姉さまから仕事の説明を受けた。


「いいか。王宮の地下には私が作った秘密の通路がある。その通路を通って王宮に忍び込み、私の本体を取り戻すことが今回の仕事だ」


「本体というのは、骸骨のことでしょうか?」


「そうだ。憑依体が死亡すると、本体に瞬時に戻される。そこを狙い撃ちされると、私は綺麗に浄化されてしまうのだ。まあ、実際には私は浄化されないのだが、レベルが1に戻ってしまうのが痛いのだ」


「憑依しているときに、霊体がこんなに遠くまで本体と離れることができますの?」


「『離脱』というスキルがあれば可能だ」


「おじさまはいつも本体をバックパックに入れておられましたわ」


「今はあのスケベトンにも『離脱』のスキルがあるゆえ、本体は安全なところに置いてある。私のは王宮の中の使用人たちの住居区の井戸の中にある。誰も私の本体があることすら、知らないはずで、安全と言えなくもないが、心配なのだ」


「井戸の中に置きっぱなしのまま、王宮を出られたのは何故ですの?」


「クレアを逃すためだ。クレアは現王の元側室だ。正室に嵌められて死罪になるところを、私が憑依して王宮から逃げ出したのだ。本体を持っていく時間はなかった」


「でしたら、クレアさんの姿で王宮に戻るのは危険ではないですの? イリュージョンは使われないのでしょうか?」


「あれを使うと、現王の祖父の姿になるのだ。生前の私の夫だ。大騒ぎになってしまう」


 え? 二代前の王様のお妃様!?


「そ、そんな高貴なお方とは存じ上げず、ご無礼を……」


 私は深々と頭を下げた。


「ああ、そういうのは気にしないでよい。クレアは使用人たちにはほとんど顔バレしていないゆえ、居住地では一番安全なのだ。さあ、そろそろ着くぞ」


 私たちは王都の繁華街にあるおしゃれなカフェの裏通りで馬車を降りた。お姉さまが御者に何か言うと、馬車は去って行った。


「こっちだ」


 お姉さまは辺りを見回して、人がいないことを確認した後、私の手をとって、カフェの壁にぶつかるかと思ったら、壁を通り抜けていた。


 ダンジョンの隠し部屋と同じ仕組みだ。道路側の壁とカフェの内壁の間に空間があり、そこから王宮に続いているらしい。


「暗いが大丈夫か?」


「はい、霊視で見えますわ」


「ここから歩いて五分ほどで井戸から一番近い使用人の住居に出る。巡回している衛兵に見つからないように井戸まで移動して、私の本体を回収して終わりだ」


「護衛って本当に必要ですの?」


「私は悪魔から狙われている。衛兵に悪魔が混じっている可能性があるのだ。万一、悪魔やアンデッドが出現した場合、全力で浄化してよいぞ。よし、着いたぞ。今は使用人は仕事中のはずだ。住居にも誰もいない。壁をまた抜けるぞ」


 お姉さまにはおじさまと同じ索敵のスキルがあるらしい。使用人の住居に侵入したが、人の気配はなかった。


「玄関を出て真っ直ぐ五メートルで井戸だ。一緒に行って、私が井戸の中に入るゆえ、釣瓶つるべの上下移動を頼むぞ」


 そう小声でお姉さまが説明して、目を閉じて索敵している。


「今だっ」


 お姉さまと私は井戸に向かって走った。私たちは井戸に着くと、お姉さまが滑車に掛けられている縄を私に渡した。


「そちらを持ってくれ。私が釣瓶に乗るから、井戸の底に下ろしてくれ」


 そう言ってお姉さま釣瓶に足をかけ、縄を握った。お姉さまの体重が私の握っている縄に掛かるが、これぐらいは私には全く問題ない。私はゆっくりと釣瓶を下ろしていった。


 井戸の中の下の方は暗くてよく見えないが、霊視でお姉さまの霊体がどこにいるのかは見える。


 やがて釣瓶が井戸の水面に達し、お姉さまが水に潜ったようだ。


 私は辺りを見回した。使用人の住居は井戸を中心に放射状に並んでいるが、時刻は夕方になる前で、住人は仕事に出ているらしく、辺りはしんと静まり返っていた。


 しばらくして、縄にトントンと合図があった。


 そのとき、左の方から誰か一人近づいて来る気配がしたが、私は構わず釣瓶を上げた。お姉さまがチャームをかけるだろうと思ったからである。それに、手を止めるのは不自然だと思った。


「姉ちゃん、誰だ?」


 男の声だった。私は無視して釣瓶を引き上げた。


 お姉さまが骸骨の本体を背負って、井戸から現れた。


「な、なんだあ!?」


 男が目を見開いて驚いている。骸骨を背負ったずぶ濡れの女が、井戸から出て来たのだ。驚かない方がおかしい。


「チャーム」


 お姉さまはすぐにチャームをかけたが、男は私たちを敵とみなしているようで、チャームがかからない。


「え?」


 私は目を疑った。お姉さまが胸をはだけたのだ。男の視線はお姉さまの美しい乳房に釘付けだ。


「チャーム」


 お姉さまが再びチャームをかけた。今度は効いたようで、男の目がらんらんとし始めた。


「井戸に物が落ちたの。拾って来てぇ」


「あ、ああ」


 男はお姉さまの色っぽい言葉に従って、井戸にダッシュした。


「え? え?」


 私は驚いた。


 男が井戸に頭から飛び込んだのだ。あの高さだ、絶命しているに違いない。


「骸骨本体を見られたのは不味かった。殺生は好きではないが、自分の身を守るためなら躊躇はしない。アンデッドだからな。さあ、早く逃げるぞ。これ以上、人間を井戸に身投げさせたくはないからな」


「……はい」


 とりあえず、私はお姉さまの言う通りにすることにした。


 私たちは先ほどの使用人の住居に駆け込み、壁を通過した。


 お姉さまが骸骨を布に包んで、背負っている。


「さあ、カフェまで戻るぞ」


 私たちは無言のまま、カフェの外側の路地まで戻った。


「サーシャ、今回の仕事はこれで終わりだが、別の仕事も手伝ってもらいたい」


 私はこのまま解散かと思っていた。


「どんなお仕事ですの?」


「夕食を一緒にどうだ? 食事をしながら説明する。もちろん、私の奢りだ。ここのカフェは食事が美味なのだ。人間に憑依すると、食事を楽しめるのがいい」


「頂きますわ」


 おじさまも人間を躊躇なく殺すが、おじさまは悪人しか殺さない、という線引きがあった。お姉さまは自分を守るために殺すという線引きをしている。無差別に殺人を楽しんでいるわけではない。


 そう考えて、私はお姉さまの話を聞くことにした。


「いい返事でよかった。さっきの男の身投げで、見限られたかと心配していた。ここはシチューが絶品なのだ。きっと気に入ると思う」


 私たちはカフェの中に入って行った。


 お姉さまはウェイトレスにシチューを注文した後、すぐに話を始めた。


「次の仕事はもう少し難しい。王太子のチャームの解除だ。今は聖魔女、アネモネと言った方が分かりやすいか。王太子はアネモネにチャームをかけられている。それの解除だ」


 仕事の難易度が跳ね上がったのではないだろうか。


「院長が聖魔女様で、おじさまを浄化しようとしたことは、リズから聞いておりますわ。でも、院長は私たちにとても優しくしてくれましたの。いまだに信じられませんわ」


「そうか。少し長くなるが、聖魔女と私の因縁から話した方がよさそうだな」


 お姉さまは院長との五十年以上に渡る闘争について、話し始めた。

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