第8話 鎧武者
虚蜉蝣の巣を抜けて到着するのは第三十九階層、白亜の迷宮の最奥部。
美夢が複数アカウントを駆使して1000件ものコメントを打っていた狂気の配信最後の地だ。ここからならすぐに第四十階層へと下りられる。
「この先が……」
美里は第四十階層へと続く通路を見つめている。黄泉の杯はたしか――
「ほーら、配信始めるわよ」
「あぁ」
「いま行くよ」
とやかく考えてもしようがないか。未踏破の階層に挑戦する直前で、人の内面を探ってもいいことない。
俺と美里の関係はすでに拗れているが、これ以上かき乱すのもな。いまは配信、そしてダンジョン攻略に集中しよう。
『お』
『あ』
『来た!』
『予告通り』
『待ってました。楽しみです!』
『あれ、今日は美里くんもいるの?』
「はーい、リスナーのみんな元気してた? 今日もダンジョンから配信開始よ。美夢たちがいるのは第三十九階層、白亜の迷宮の最奥部。これから第四十階層、黄泉の杯に下りて初見攻略していくから応援よろしく。あぁ、それと今日は美里もいるわよ」
「やあ、久しぶりかな? 姉貴の配信にお邪魔するのは」
『美里くん!』
『愛してる』
『結婚して!』
『全財産上げる』
『私を殴って!』
『首締めて!』
『監禁して!』
『このコメントは公序良俗に違反するため削除されました』
「あははー、ありがとう」
どうやら女を殴っていそうな奴、という俺の第一印象はリスナーの中でも共通認識のようで、読み上げられるコメントに不穏なものが混ざっている。それをよしとする性癖――もとい心の広いリスナーが多いみたい。
一部、よしとされていない過激なリスナーもいるみたいだけど。
これが500万人か。苦労してんだな、美里も。リスナーに向けた笑顔が引きつって見えるのは気のせいじゃないはず。ちょっと同情する。
「今回は初見攻略だから多少のぐだぐだは勘弁な。それじゃ行こうか、黄泉の杯」
第三十九階層から下って第四十階層へ。
俺も初めて足を踏み入れる地。通路が途切れて空間が広がり、視界に映り込んだのは大小様々な杯が乱雑に散らばった奇妙な風景だった。
西洋風の杯から和風の盃まで。大きい物は山のようで、小さいものはサイコロほど。
爪先で石ころを蹴ったかと思ったら、それが杯だったなんてことが今まさに起こったところだ。
そしてそれら全てではないにしろ、杯の一部からは絶え間なく水が溢れ出ている。
滝の音が延々と鳴り響き、足下は足首の辺りまで浸かっている。水かさはこれ以上増えないようだけど、残りの水は一体どこへ?
「やだ、靴が濡れちゃうじゃない。最悪なんだけど!」
「靴くらい濡れたって構わないだろ? 代わりなら下駄箱が胃もたれするくらい持ってるじゃないか」
「今日は気合い入れてきたの! 推しにはちょっとでもよく見られたいもん!」
「もん! じゃないよ、まったく。じゃあ、どうする? 止める?」
「止めるわけないでしょ。あぁもう! サンダル持ってくるんだった!」
文句を言いつつも美夢は渋々水場に足を浸けた。急な予定変更がなければサンダルも用意していたんだろうけど、こればかりはしようがない。
まぁ、サンダルでダンジョンを歩くのもそれはそれで危険だと思うが。
「ふーん。こうしてみると結構綺麗ね。水が光ってるみたい」
「実際に光ってるのは下の地面か」
踏みつけた感触は土を焼き固めたものに近い。それに発光性の鉱石が練り込まれている。地面まで誰かが捏ねて焼いて作ったみたいだ。メイキングを見て見たいもんだね。
「ん?」
足を進めるたびに波打ち、飛沫を上げる光る水面。その中に一際輝く何かを見付けて視線を持ち上げた。近くには山のように大きい杯が聳え立っているだけで、特になにも見当たらない。
見当たらないが、なにかがいた気がする。
「どうかしたのか? 上を見上げて」
「いや、なんでもない」
視線を正面に戻して先を行く。
『四十階層ってこんなんなんだ』
『はじめて見た』
『ほかの配信じゃ滅多に見られないからな』
『そりゃこのレベルの階層に出入り出来るのなんて数えるくらいしかいないし』
『チャンネル登録数と実力って比例しないからな、基本的には』
『じゃあ滅茶苦茶実力あるのに底辺みたいな奴もいんの?』
『それがまさに菖蒲だろ』
『菖蒲じゃん』
『いま画面に映ってる奴がそうでは?』
『総ツッコミで草』
『許してやれ』
と、コメント欄の様子に軽く笑っていると、身の丈ほどある盃の影から水面に波紋が走る。俺たちが発生させた波紋の揺り返しにしては勢いがある。
何かがいると身構えたと同時に、ゆっくりと魔物が姿を見せた。
水面を歩く蹄、器を象ったような両角。荒波のように靡く毛皮。
鹿型の魔物、バン・ロアだ。
バン系の魔物は比較的大人しい性格の種が多いものだけど。バン・ロアは俺たちを視認したと同時に周囲の水を操り、こちらを威嚇し始めた。
逃げずに威嚇するってことは、この辺りを縄張りにしている可能性が高いな。
迂回するのも面倒だし、後の配信者のためにも道は開通させておきたいところ。
「誰がやる? 俺でも構わないけど」
「僕がやろう」
「出来るのか?」
「登録者数で抜いたからってあまり僕を舐めるなよ」
「そんなに悔しかったんだ」
「うぐっ、直ぐに抜き返してやるさ」
歩み出た美里に対して、バン・ロアは更に威嚇を激しく行った。逆巻いた水流が触れた盃を粉々に打ち砕き、それが何本と並び立つ。これ以上近づくなとでも言っているのか、バン・ロアは喉を震わせて
「
美里の周囲から水が退く。
「
露出した地面が黒く染まり、闇より這い出てくるのは身に纏う甲冑も、握り締めた真剣も、すべてが朽ち果てた鎧武者。
全長は美里の倍はあり、その重量は地面が微かに揺れるほど。
不吉。その言葉がよく似合う。
対するバン・ロアはついに威嚇を止めた。それは鎧武者の出現によって次の段階へと移行する。天に逆巻く水流の渦。一つ一つが岩を砕く破壊力を秘めた攻撃手段。そのすべてが鎧武者へと差し向けられる。
杯の破片を含んだそれに巻き込まれれば、それはミキサーに掛けられたのと同じことだ。水流は瞬く間に血で染まり、人体はその痕跡を一つも残らずぐしゃぐしゃにされる。
そんな恐るべき破壊力を持った水流が飛沫を上げて迫る。美里がそれらに対して鎧武者に取らせた動作はたったの一振りだった。
ただそれだけでバン・ロアの攻撃のすべてを消し去ってみせる。
「終わったわね」
「みたいだな」
バン・ロアが再び水を巻き上げようとした刹那、
流石にこの一撃はこの階層にいる思念獣でも耐えられない。その潰れた肉体は霧散し、同じように敵と定めた対象を撃破した鎧武者は霞のように消えていなくなった。
「美里の先天魔術、
「へぇ、思念獣を相手に幽霊で戦うのか。面白いな」
思念と魂。意思と心。似たようなものだと思っていたが、両者の間には明確な違いがあるらしい。詳しいことは美里本人にしかわからないことだろうけど。
『やっぱかっけぇな、朽壊刃衣』
『この前、イベントであれのコスプレみたわ。完成度たけー奴』
『いいよな、九回表一失点刃衣』
『いい。九回裏逆転満塁ホームラン刃衣』
『俺も好き。球界の風雲刃衣』
「名前で遊ぶな!」
美里の配信では定番ネタなのか、次々に名前弄りのコメントが打ち込まれている。
この様子を見ると普段の美里の配信がどんな様子か察しがつく。見た目こそ女を殴ってそうな奴だけど、弄られ、愛されている。
人は見かけによらないって昔の人はよく言ったもんだ。
「これで実力がわかっただろう。あまり僕を舐めるなよ」
「あぁ、十分見させてもらった」
朽壊刃衣の戦闘能力は俺の目から見ても高い方だ。美里自身は召喚しただけだが、あれを調伏して操るだげの魔術的技量がある。一朝一夕では叶わず、努力の積み重ねがなくてはなし得ない魔術だ。
吼えるだけのことはあってこの階層に望むに相応しい実力はある。
ただまだ朽壊刃衣の実力を十分に引き出せていないように見えた。けど、それは美里の問題だ。俺は口を挟まないでおこう。口出ししたらまた話が拗れそうだしな。
「強いよ、この階層じゃ敵なしだろうな」
「ふん。当然だ」
腕組みをして、ふんぞり返っている。
「可愛いでしょ? 美夢の弟」
「子犬と戯れてる気分」
「おい! 聞こえているんだからな! まったく……」
入江美里という男がどういう人間なのか、ようやく掴めて来た。
第一印象は地を這うようなものだったけど、俺はそんなに嫌いじゃない。弄るといい反応が返ってくるし、なんていうか弟って感じがする。俺に兄弟はいないけど。
「あははははははっ! やーっと見付けた」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます