第7話 ダンジョン

 殺意。苛立ち。屈辱。

 あらゆる思念の渦巻きの中で我は産まれ、死してなお復活する。

 肉体の構築はなんとかなったが如何せん不完全。元のサイズより随分と矮小になってしまった。腹立たしい限りだが力を取り戻すまで大人しくしているほかないか。


「ガキめ。次は必ず斬り刻んでやる」

「あはははははははっ! 負け犬がなんか言ってるぅ」


 不愉快。不愉快過ぎる悪童の声。


「聞き間違いか? いま我のことを負け犬と言ったか? 閃姫せんき

「聞き間違いじゃないですぅ。あんなに自信満々で人間狩りに言ったのに返り討ちにされたんだもん。負け犬じゃなかったらなんなの? あはははッ」

「このメスガキがッ!」


 虚空を引っ掻いて魔力の刃を飛ばす。だが、なおも腹立たしいことに一筋の閃光によって我の攻撃は打ち砕かれた。


「……やはりこの姿では出力が出んか」

「元の姿でも無理無理ー。閃姫ちゃんには叶いませーん。ザーコ、ザーコ!」

「憶えておれよ、貴様ッ!」

「えー、もう憶えてませーん! あれぇ? こんなところに負け犬がいるぅ。蹴っ飛ばして遊んじゃおー!」

「やめんか! バカガキッ!」


 屈辱の極みだ。閃姫如きに蹴飛ばされて蹴鞠扱いとは。許せん。あのガキの前にまずこのメスガキを蹂躙してくれる。力が戻ったら覚悟しておれよ。


「やめないか、閃姫」

「えー、楽しく遊んでたのにー」

「大丈夫かい? 流切」

「いらん世話だ」


 差し伸べられた手を払う。


「まったく強情なんだから。もっと素直になったらどうだい?」

「そーだ、そーだ!」

「閃姫」

「はーい」

「ふん」


 我は我だ。変わる気などない。


「しかし流切がそんな風に負けるとはね。どんな人間だった?」

「聞くだけ無駄だ。我が殺す」

「ふぅん。まぁ、それで本当に殺せるならいいけどね。ここは流切を立てるとしよう」

「優しーんだ、暗駆あんく

「ケッ」


 いずれ暗駆ともどちらが上かはっきりさせなければな。

 とはいえ、まずはメスガキとあの人間のガキだ。必ずや斬り刻んで思念獣のエサにしてやる。


「人間は僕たちの母なるダンジョンを破壊しようとする害獣だ。害獣は駆除しなければならない。そのためにも二人にはもっと頑張ってもらわないとね。僕たちはコアの守護者なんだから」


 紅く、黒く、脈動するダンジョンのコア。これが破壊されればダンジョンは死に、我々思念体も二度と復活できなくなる。まぁ、例えコアが破壊されようと負けなければよい話だがな。


「さぁ、今日も張り切って人間を殺そう」


§


 常連だったリスナー四人のアカウントが実は入江美夢たった一人によって操作されていたという衝撃的な事実が明るみとなってから数日が経った。

 鉄は熱いうちに打てという美夢の指示通り、その日のうちに行った配信は大盛況となり、アーカイブの再生数は現時点で八百万。とんでもない数字になっていた。

 数日経った今でも熱はまだ冷めていないらしい。そのため他の配信者からもよくコラボに誘われるんだけど。


「ダメ。しばらくは美夢以外とコラボしたら許さないから」


 と、強制的に断らせられている。

 束縛の強い彼女みたいなことを言っているわけだが、現状俺は配信界隈のことがまるでわからないため、下手なことはせずに美夢に従っている。

 特にそれが不満だと感じてもいないし、しばらくは美夢と行動を共にすることになりそうだった。

 そんな訳で今日もコラボ配信のために美夢と初めて会ったカフェでコーヒーを啜っているんだけど。

 先ほどからずっと対面の席に見知らぬ男が座っている。

 彼の第一印象は、女を殴っていそうなくらい人相の悪い奴、だ。切れ長の目に、黒い短髪。耳にはピアス。年齢は俺と変わらないくらいで、戦闘服を身に纏っていることから配信者、正確に言えば冒険者だろう。

 一応、失礼があっては行けないと記憶の引き足を探ってみたけれど、どうもこの人相に見覚えがない。

 あまりにも自然と対面の席に腰掛けたものだから知り合いかと思ったが、たぶん違うな、これは。


「DVとかしてる?」

「ふざけてるのか?」


 一言目を誤った気がする。


「生憎、色紙とペンを切らしてる。サインはまた今度で」

「この間まで底辺配信者だった癖にもう有名人気取りか?」

「お陰様で今は違うんだ。あ、チャンネル登録してくれた? まだなら高評価と一緒にしといてくれ」

「どうやら僕の思っていた以上にいけ好かない人のようだね」

「奇遇だな、俺もそう思ってたところだよ。それで? もう待ちかねてしようがないだろうから聞いてやるよ。誰だ? お前」

「僕は――」

美里みさと? あんたこんなところで何してるのよ」

「姉貴」

「姉貴?」


 この男が美夢を姉貴と呼ぶってことは、つまりそういうこと?


「弟なのか? この女を殴ってそうな奴が」

「誰が女を殴ってそうな奴だ! あ! だから最初にDVって!」

「そう。この女を殴ってそうなのが美夢の弟」

「姉貴まで!」


 弟がいたのか。そう言われてみればたしかに。どことなく雰囲気や顔つきが似ているような気がする。


「いやー、悪かったな。そうとは知らず横柄な態度を取って」

「態度より先に謝ることがあるだろう」

「……俺のファン扱いしたこと?」

「女を殴ってそうな奴だと断じたことだよ!」

「随分と仲がいいわね。あんたたち、もしかして美夢に隠れて会ってたりした?」

「会ってるわけないだろう! あぁ、もう! いいか! これでも僕は登録者数500万人のインフルエンサーだぞ!」

「菖蒲はもう600万人まで来てるけどね」


 崩れ落ちるように美里はテーブルに突っ伏した。


「なぜだ、僕は姉貴とコラボしてもそこまで伸びないのに……」

「ポテンシャルの違い?」

「チクショウ!」


 美夢も中々容赦のないことを言う。実の弟なのに。


「それで? あんたなんでここにいるのよ。待ち合わせしてたの美夢なんですけど」

「いや、姉貴がご執心の推しがどんな奴なのか気になっただけだよ。もし碌でもない奴だったら目を覚まさせてやろうと思って」

「シスコンか?」

「断じて違う」

「姉をDVしてる?」

「してない! 僕はそういうのが許せない質だ!」


 家族思いのいい弟ってことか。それにしたって姉より先に待ち合わせ場所に来て人を睨み付けるのはどうかと思うが。

 いや、この姉にしてこの弟ありか、行動力があり過ぎる上にやることがとにかくぶっとんでる。

 普通はそんなことしない。

 せいぜい、バレないように後を付けるくらいが良いところだ。正面切って向かい合うのは中々根性がいる。


「姉貴。こんな奴のどこがいいんだい?」

「聞きたいなら丸一日中喋ってられるけど?」

「いや、いい。止めとく。ぞっとした」


 身震いするように自分を抱き締めている。姉、というか家族のそういう話を聞きたくない心境はわかってしまう。それでなくても一日中はキツいなんてものじゃない。まぁ、流石に冗談だろうけど。


「たしかに菖蒲と配信する時間がなくなるのは困るわね」


 本当に一日中喋るつもりだったのか?


「そうだ。あんたも参加しなさいよ。これから配信するコラボに」

「はぁ? なんでそんなこと」

「美夢がどこに惹かれたのか知りたいんでしょ?」

「ぶっちゃけそれはもうどうでもいい」


 げんなりした様子で美里が席を立つ。


「それに今回行くのは第四十階層、黄泉よみさかづきよ」


 ぴたりと動きが止まった。


「本当に?」

「この手の話で美夢が嘘吐くわけないって知ってるでしょ」


 二人とも真剣な表情をしている。

 第四十階層、黄泉の杯。どうやらそこになにか特別な思いがあるみたいだ。気になるけど口は挟まないほうがいいかな。プライベートでデリケートな話っぽいし。


「わかった。行かせてもらう」

「よろしい。というわけよ、いいわよね? 菖蒲」

「あぁ、別に構わないけど。じゃあ、仲良くしよう。美里」

「今回限りの付き合いだ、菖蒲」


 お互いに硬く、強く、握り潰さんとするかの如く、握手を交わす。

 予定にない参加者が現れたが、まぁ問題ないか。チャンネル登録数は実力に比例しないし指標にもならないが、美夢が連れて行って問題ないとしているなら大丈夫だろう。

 血の繋がった弟なら尚更、その辺の評価は厳しいはずだ。


「さぁ、善は急げだ。僕は先に行ってる」


 今度こそ美里は席を立ち、鈴の音を鳴らしてカフェから出て行った。


「悪いわね。勝手に行き先を変更して」

「なんか事情があんだろ? いいよ、別に。何が起こっても俺がなんとかしてやるさ」

「ありがと」


 元々の行き先は第三十八階層、蝋の森だ。

 第四十階層、黄泉の杯はその次の配信で攻略する予定だったから、一つ前倒しになっただけだ。俺もまだ未攻略だけど、なに問題はない。いつも通り楽勝で攻略してやるさ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る