第5話 思念体


 美夢たちの世代で配信者になった人の多くは同じ経験をしているはず。

 推しの菖蒲だってきっとそう。

 十三年前に起こった思念獣の氾濫。

 ダンジョンから溢れ出した命のない獣によって東京は火の海になった。

 憶えていることは多くない。

 ただ熱かった、息が苦しかった、足が痛かった。今でもたまに悪夢を見る。

 炎で赤く染まった夜空を、人の悲鳴を、思念獣の叫びを。

 一番怖かったのはお母さんが大怪我を負ったこと。

 思念獣に噛み付かれ、腹部を大きく噛み千切られていた。もうダメだ、家族全員ここで死んでしまう。

 そう思った時だった。ある一人の冒険者に助けてもらったのは。

 その人は思念獣をあっという間に斃すと、お母さんの傷を魔術で癒やしてくれた。

 顔はよく見えなくて憶えてない。

 けど、その日から美夢に将来の夢が二つ出来た。

 医者と冒険者。

 どちらかになろうと心を決めて中学生になった頃、美夢の先天魔術が医療に向いていることがわかって歓喜したのを憶えてる。

 美夢はこの時、二つの夢を同時に叶える術を得た。

 あの日の朧気な記憶の中で、唯一はっきりと思い出せることが一つだけある。

 あの冒険者が私に掛けてくれた言葉。


「大丈夫、絶対に――」


§


「――絶対に助けてやるんだから!」


 患者は推定二十代後半の男性。腹部に二十センチほどの切創。

 真一文字に斬り裂かれているけれど、内臓にまでは達してなさそう。傷口が綺麗だから塞ぐのも比較的容易なはず。


「待ってて。いま治したげるから」


 美夢の先天魔術、回恢毀傷かいかいきしょう

 対象者の治癒力を高め、時を戻すように傷を癒やす医療魔術。患部の修復、欠損部位の復元、血液の製造、その他もろもろ。

 身体的なダメージによる生命の危機なら美夢の魔術で食い止められる。


「思念……が、くるっ」

「大丈夫よ! フィル・クィラなら美夢の推しが――」

「違う……フィル……じゃな……」


 悪夢にうなされた譫言のような言葉。信頼するにはあまりにも頼りない情報。

 でも激痛の中、彼がそれでも伝えたかった言葉でもある。


「……この傷はフィル・ウィラのものじゃない?」


 真っ直ぐ過ぎる切創に、綺麗すぎる傷口。

 通常、フィル系の思念獣に攻撃された際、種類にもよるけどその患部は擦過傷のようになる。

 まるでおろし金で摺り下ろされたように。


「ねぇ、そこの人! この人本当にフィル・クィラにやられたの?」

「わ、わからない。俺もこの人のリスナーに呼ばれて来たんだ」

「なんですって? なら、誰も見ていない? この人のリスナーは?」


 配信のコメントを確認しないと。


「はじめ……に、ドローンを……潰された」

「え?」

「あいつは知ってる。俺たちの……ことを」

「あいつ?」

「思念……思念――」


 その先の言葉を聞いて、美夢は同じ言葉を叫んだ。


「思念体がいる!」


 思念によって形作られ、獣ではなく人に寄ったモノ。知性があり、理性があり、創造性がある。この世に存在する如何なる生物よりも人間に肉薄した存在。

 人より出でてダンジョンに育まれ、思念獣を統べる絶対支配者。

 それが思念体。


「知ってる」


 この場にいる誰もが思念体の存在に畏怖を憶える中、菖蒲だけは違っていた。すでに予期していた? その証拠であるように菖蒲だけは表情に余裕を浮かべている。

 いつから?

 そうか、たぶん最初に腹部の切創を見た時から。あの瞬間から菖蒲一人だけが思念体の存在に気がつき対策を練っていた。


「しまっ――」


 わかっていながら情報を共有しなかった理由に今更ながら気がつく。

 美夢がこのまま黙っていれば思念体からの奇襲を逆に待ち構えることだってできたはず。情報のアドバンテージを自ら捨ててしまった。この緊急時になんて不用意なことを。


「大丈夫。俺のほうが強いから」


 美夢を安心させるように浮かべた笑み。その背後に思念体が現れた。


§


「大丈夫。俺のほうが強いから」


 背後に現れた気配は風切り音を鳴らす。察するに斬撃を与える能力かな。

 そう分析しつつ足下の剣を抜いて魔力の刃を弾く。が、やはりただの剣では耐久が足りないのか刃が掛けてしまった。

 とりあえずその剣は捨てて、続く第二撃に対して指を振るう。

 指先に集束させた魔力が虹色に輝いて軌跡を描く。それに打ち砕かれた魔力の刃はガラスを割ったような音を鳴らして砕け散った。

 降り注ぐ無数の魔力片の只中で思念体と目が合う。


「格好つけてるんだから水刺すなよ」

「クソガキが」


 思念体を蹴り跳ばし、歩きながら距離を詰める。あっちはすぐに体勢を立て直して待ちの構え。上手く受け身を取ったようで蹴りのダメージはほとんどない。


「悪趣味じゃない? 斬って捨てて思念獣をけしかけるだなんて。まぁ、フィル・クィラはもう全滅させたけど」


 渦巻く思念の渦から生まれ出でた獣と人をない交ぜにしたような思念体。人と獣の思念配合が絶妙な塩梅で成り立たなければこうはならない希少種だ。

 上澄みも上澄み。あの外見を見るにベースとなったのは人と狼かな。


「そこの娘はどうした? 来ないのか」

「必要ある? 俺一人で十分でしょ」

「くくくっ、あの負傷者のためか。弱き者のために命を張る。これのなんと無駄なことか。理解に苦しむが、あれよあれよという間にハエのように集りおるわ」

「あー、じゃあやっぱり仕留め損なったんじゃないんだ」

「当たり前だ。あれは言わば撒き餌、生きがいいほうが良い」

「人を集めてどうするつもり?」

「決まっておろう。鏖殺おうさつだ。殺して殺して殺し尽くし、我が領土に踏みいる痴れ者を排除する。人が己の立場を理解し、二度と逆らえぬようになるまでな」

「へぇ、気の長い話だこと」


 あ、撮影ドローンが戻って来た。


「それじゃ始めよっか。ギャラリーも来たことだしね」

「あの世で後悔するぞ。たった一人で我に挑んだことを」

「心配には及ばないよ。むしろ申し訳ないくらいさ」

「なに?」

「だってこれからするのってただの弱いモノいじめだもん」

「貴様ッ!」

「好感度が心配で堪らないよ」


 激怒した思念体は怒りに身を任せて魔力の刃を繰り出した。

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