第3話 虚蜉蝣

「いっつもこうなのか?」

「まさか。いつもはもっと平和よ、我ながら自分の影響力が恐ろしいわ」


 カフェを出てダンジョンに近づくにつれて人目を引くようになった。最初はちらちらと遠巻きから眺めているだけだったものが、最終的には人集りに化けた。勝手に携帯端末を向けて動画や写真を撮られる始末だ。


「見て! あの二人!」

「あ! 美夢ちゃんと例の人だ!」

「付き合ってるのかな?」


 凄い、有名人になったみたい。


「美夢はもう慣れてるけど、カメラとか平気?」

「平気じゃないからフラッシュ焚いてる」

「フラッシュ? あぁ、魔術でってことね」

「あれ? 白飛びしてる」

「なんにも撮れてなーい!」


 魔術で周囲の光を屈折させることで動画や写真を妨害しておいた。

 盗撮、ダメ、絶対。

 人混みを掻き分けるように進んだ先、ダンジョンのほど近くにもなれば、今度は逆に人の数が減る。ダンジョンの近辺には一般人にとって用途のない施設ばかりが建っているからだ。

 耳障りなシャッター音もなくなり平和が訪れたと思ったのも束の間、入れ替わるように今度はダンジョン関係者の視線に晒された。一般人みたく盗撮して来ないだけマシか。


「それで何階層に行くつもりなんだ?」


 ダンジョンの出入り口に設けられた施設でネームタグを首から提げ、受け取った撮影ドローンの動作確認を済ませる。


「そうね、あまり難易度を上げても配信がグダるだけだし、三十二階層あたりでいいんじゃない?」


 動作確認よし。


「三十二、剣の丘か」


 ダンジョンの出入り口は魔術結界で塞がれている。通り抜けられるのは通行証を持った魔術師だけ。抵抗もなく空気の壁を一枚すり抜けるような感覚を伴ってダンジョンに足を踏み入れた。

 第一階層、石壁回廊。入り組んだ地形と草木の生えない岩肌の地質が特徴的な階層で出現する思念獣もダンジョンの中では最弱の部類。初心者の登竜門的な立ち位置で、ここで散ることになる者も多い。


「とっとと虚穴うろあなに入っちゃいましょ。あ、そうだ。告知しとかなきゃ。ほら、くっついて。はい、撮るわよ」


 さりげなく腕に絡みつかれ、SNSの告知用写真を一枚撮る。


「宣伝用にしては密着しすぎじゃないか?」

「いいのよ、SNSの宣伝のために撮ったわけじゃないし」

「じゃあなんのためだよ」

「個人的に楽しむため。記念よ、記念。やった、推しとのツーショット!」


 なんだか凄く騙された気分になりつつ、第一階層を抜けて虚穴へと進む。無数の泡が膨張したような壁の形状が特徴的で、夏の匂いの中で黒い蜉蝣が飛び回る。

 正式名称、虚蜉蝣うつろかげろうの巣。ダンジョンを覆うように形成されたこの巣は内部の空間が歪んでいて距離的な矛盾が常に発生している。俺たちはこの矛盾を利用することでどの階層へでも十分と掛からず到達できる魔術を編み出した。

 まぁ、魔術の構築式を無理なく成立させるために、一度でも足を踏み入れたことのある階層に限る、という条件を追加せざるを得なかったんだけど。


「告知完了っと。凄い反響よ、あんたはSNSやらないの?」

「面倒臭そうだからやらない」

「じゃあ、今から作るってことで」

「話し聞いてた?」

「そっちこと美夢の話し聞いてた? 鉄は熱いうちに打てって言ったでしょうが。ほら、早く! 美夢のアカウントで本物だって証明したげるから!」

「わかったよ。面倒だけどしようがない」


 美夢の圧力を前に観念してSNSのアカウント作る。


「じゃあ、そのアカウントをフォローして――あ! 誰かに先越された! 菖蒲! このアカウント削除して作り直して!」

「なんで? 別に良いだろ、これで」

「やだ! 早く!」

「えぇ?」


 困惑しながら再度、アカウントを作り直すと誰よりも速く美夢がフォローする。それに満足したのかにんまりとした表情が作られた。なんだったんだ? と首を傾げている間にこのアカウントの証明と宣伝がなされ、一気にフォロアーが爆増する。

 たしかに凄い反響だ。まだ一文字だって投稿してないのに。


「言っとくけど、美夢がフォロワー第一号なんだから。そこんとこ忘れないように」

「それが目的か」


 ファンクラブの会員番号かよ。


「ほら、もうすぐ出口よ」


 ふわりと漂う光の糸に導かれ、俺たちは虚穴を抜けて目的地に到達する。

 第三十二階層、剣の丘。

 この階層では天井の特殊な鉱石から滴り落ちる鉄の雫が落下の過程で剣状となり地面に降り注ぐ。岩を砕き、木々を裂き、地面を貫き、視線をどこに向けても剣がある。落ちてくる頻度はそれなりに早く、頭上に注意していないと串刺しになる階層だ。

 けれど、そんな剣の丘にも幾つかの安置はあって、その地点だけは剣が一本も刺さっていない。配信を始めるならスタート地点はそこがベスト。だが、安全なところにいたいと思うのは思念獣とて同じこと。

 安置に向かうと、案の定そこで思念獣が陣取っていた。


「フィル・クィラか」


 刃の鱗を持った魚型の思念獣。基本単体で行動することはなく常に群れで行動し、空中を泳ぐように移動する。主な攻撃は群れ全体での突進で、それを受けた対象は鱗の刃に肉を削ぎ落とされて骨しか残らないとか。

 今まさに安置を守ろうと魚群が蠢き、外敵を排除しようと動く。


「俺がやる」

「じゃあ任せたわ」


 ぴんと伸ばした指先に魔力を集束させて雫とし、虹色に輝かせる。攻撃判定を持った虹色の弾丸を指先から放つと、それは七色の軌跡を引いて魚群の中心を貫いた。

 ぼとぼとと撃ち抜かれた死体が地に沈む。だけど、これで終わりじゃない。指先を振るって虹色の弾丸の軌道を操作し、再び魚群を背後から撃ち抜く。更に更に軌道を折り曲げ、幾度となく、何度でも、虹色がフィル・クィラを撃ち抜いた。

 魚群が壊滅し、生き残りはあと一体。

 仲間の仇を討たんとしているのか、逃げずに単身こちらへと向かってくる。弧を描いて舞い戻ってくる虹色の弾丸で撃ち抜こうかと思ったけど止めにした。

 フィル・クィラのラストワンがこの身に届くその刹那、天から落ちた剣に貫かれる。俺が手を下すまでもなく地に沈み、ほかの死体と同様に存在が霧散した。


「いっちょ上がりっと」


 虹色の弾丸をぱっと掻き消して戦闘終了。ハリネズミの背中みたいに突き立てられた剣の数々の隙間を縫って安置へ。ここでなら頭上を気にせず配信を始められる。早速、取りかかろうかと思ったけど、美夢はなぜだか難しい顔をしていた。


「飽きた?」

「はぁ? そんなわけないでしょ。あんたと一緒で最高の気分よ、この時がずっと続けばいいと思ってるわ」

「じゃあその顔はなんだよ」

「……あんたの魔術って」

「ん?」

「ううん、なんでもない。それより配信を始めましょ」


 はぐらかされた。けどまぁ、無理に聞くことでもないか。

 そう納得することにしてSNSで告知を行った通り、各自撮影ドローンを通じて配信を開始する。瞬間、同接の最大風速が10にも満たなかった俺の配信に何万人というリスナーが雪崩込んで来た。

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