第2話 インフルエンサー

 長い間、連絡を取り合ってなかった旧友からも鬼のように連絡が来ていた。顔すらも朧気で、会話した回数すら片手で足りるくらいの、辛うじて顔と名前が合致するような関係の希薄だったクラスメイトまで連絡を寄越している。

 どこから俺の連絡先を仕入れたんだ? それを言えば親戚を名乗る見知らぬ名前まである。俺の個人情報を号外かなにかだと勘違いしている奴がいるみたいだ。


「インフルエンサーたちって、なにこれ? 俺の配信に来てたリスナーなんて四人だぞ……たしか宣伝してくれるって話だったけど……なんでこんな数のインフルエンサーが……」


 ふとたった今入った通知が目に止まる。送り主の名前に見覚えがあったからだ。

 夥しい量の通知に押し流されていくそれを追い掛けて表示する。その内容はコラボしませんか? とのこと。


入江美夢いりえみゆって」


 携帯端末からテレビに視線が移る。

 俺のチャンネルを最初に紹介したという配信者史上もっとも奇特なインフルエンサーの名前だ。入江美夢の文字がモニターにたしかに表示されている。


「あれが、これ?」


 チャンネル登録数1000万越えの雲の上にいるような配信者が、天と地くらい立場の離れた俺をコラボに誘っている。底辺配信者の妄想にしたって酷い出来だ。

 でもそんな馬鹿馬鹿しい話が現実にいま起こっている。本気で夢じゃないかと目の前の現実を疑ったのは初めての経験だった。画面の向こうの世界に突然引きずり込まれたような不思議な感覚がする。


「コラボ……すればはっきりするか」


 このインフルエンサーは果たして、俺の配信に来ていたリスナーの一人なのか。

 こうなった以上は真相を確かめないことには気が収まらない。コラボを了承する旨を伝えると、すぐに返事が携帯端末に届いた。

 待ち合わせ場所は近くのカフェ。


「行くか」


 すぐに身支度を整えて家を後に。玄関の鍵を閉めたのを確認してから地面を蹴り、魔術で空へと舞い上がる。

 眼下に広がる街並みはいつも通り忙しなく自動車が動いていて、線路上で我先にと電車が走っている。公共の移動手段を効率よく使ってもカフェまでは三十分ほどかかるけど、空を使って真っ直ぐに飛べば数分にまで短縮可能だ。

 俺の魔術って超便利。

 優雅な空の旅もあっという間に終わって目的地付近到着。人目のない路地裏に降りたその足で約束のカフェへ。鈴を鳴らして店内に足を踏み入れ、適当な席について注文を済ませる。

 約束の時間までまだすこし。運ばれてきたコーヒーを飲んで目を覚ましているとまた鈴の音が鳴った。


「今朝ニュースで見た顔だ」

「こっちは親の顔よりあんたの配信を見てるけどね」

「もっと親の顔見ろ」

「お馴染みの返しをどーも」


 対面に腰掛けたのはニュース番組のモニターに映し出されていた人物そのもの。

 ダンジョンに挑むにしては少々長い黒髪。やや幼い印象を受ける顔立ち。流行を意識したメイクとネイル。本当に戦闘用なのかと疑いたくなるような派手なデザイン性の衣服。

 登録者数1000万越えのトップインフルエンサー、入江美夢だ。


「アイスコーヒーで」

「かしこまりました」


 改めて視線がこちらに向く。


「こうして対面してみても初めましての気がしないわね」

「俺は初めましての気しかしねーけど。一応、聞くけど。俺のリスナーってことでいいんだよな?」

「そうよ。信じられない? まさかあの美夢がって感じ?」

「いや、あの美夢もこの美夢も知らねーけど。俺は」

「あんたってホントに配信界隈のことなにも知らないのね。美夢のリスナーなんて直接会った日には感動のあまりむせび泣いて最後には脱水症状で倒れるのに」

「それもうなにかしらの妖怪だろ」


 妖怪、リスナー泣かせ。


「しかし、まさかたった四人のリスナーのうちの一人がインフルエンサーだとはな」

「四人もいないわよ」

「ん?」

「だから美夢しか見てなかったのよ、昨日までのあんたの配信。あれ全部、美夢のアカウントだから」

「……え?」


 とんでもないことを言わなかったか? 


「じゃあなにか? 配信のたびに一人で1000件もコメント打ってたってこと?」

「そうよ」

「正気か、テメェ」


 目の前にいるこの女が途端に怖く見えてきた。とても正気の沙汰とは思えない。なにか得体の知れない狂気を感じる。


「な、なんでまたそんなことを」

「それは……あんたが可愛そうだったからよ。いつ見に行っても美夢以外誰もいないし、配信に二人切りだと気まずいし。ちょっと喜ばせてあげようと思って」

「ちょっと?」

「最初はそうだったのよ。でもリスナーが増えるとあんたが喜ぶんだもん。そりゃエスカレートしちゃうでしょ。そのうち美夢以外の新規リスナーであんたが喜ぶのが憎たらしくなってコメントの数で圧を掛けるようになったわ。それで1000件」

「怖。怖すぎて笑えてくるな。ははっ」


 こうして面と向かって直接会っていることに危機感を抱き始めている。誘いに乗ったのは間違いだったのかも知れない。

 彼女の瞳が深淵と繋がっているのではないかと思うくらい黒く暗く見えて来た。逃げたほうがいいか? これ。腰を浮かせそうになったが、このタイミングでアイスコーヒーが運ばれて来て機会を見失ってしまった。


「というか、俺の配信が伸びない理由の一端じゃねーか」

「あんたを独占したかったのよ」

「俺のこと大好きかよ」

「そうだけど?」


 飲んでいたコーヒーを噴き出しそうになった。寸前のところで踏み止まったけど。


「はぁ?」

「美夢の一番の推しはあんただし、推しのために出来ることならなんだってしてあげたい。今回だってそう。あんたが宣伝してほしいって言うから、片っ端から知り合いに頼んで回ったんだから」

「それはありがとう」

「どう致しまして」


 えらく満足げな表情をしている。


「推し、推しねぇ」


 恋愛感情を抜きにして応援したい対象だったり、恋愛感情アリアリで応援もしたい対象だったり、人によって定義がバラバラな概念だ。目の前のインフルエンサーが前後どっちの意味で推しという言葉を使っているのかはさておくとして、俺のためか。


「俺のなにを見て推しになったんだ?」

「顔」

「顔かい」

「内面も好きよ? いつも自信満々でちょっとナルシストなところとか、高めの身長も、鍛えた体も、響く声も、魔術がとっても綺麗で儚げなところも好き」

「へぇー」


 そういう風に見られてるわけか、悪くない気分。


「ねぇ、あんたから美夢はどう見えてるわけ?」

「どうって……」


 四つのアカウントを駆使して一配信につき1000件のコメントを打つ凶人、とは言えなかった。またあの深淵を覗いているような漆黒の瞳に見つめられたくはないから、ここはそれ以外の印象を言葉にするのが無難か。


「自分磨きに余念がない、かな。ダンジョンに入り浸ってりゃ髪も肌も爪もボロボロになるのが普通なのに、しっかり手入れが行き届いてる。今のコンディションを維持するのに相当な努力をしてる証拠だ」


 それがダンジョン攻略に必要な努力かと言えば口を噤まざるを得ないが。


「流石は登録者数1000万越えのトップインフルエンサーってとこ」

「ふふーん、よくわかってるじゃない」


 言葉の後ろで音符が弾んでいそうなくらい上機嫌になった。


「はぁー、最高の気分。推しに褒められるの気持ちいい」

「しっかし、よかったのか? 俺を宣伝なんかして」

「どういう意味よ?」

「そっちのリスナーが怒ったりしないのかってこと。ほら、推しの女が知らない男を紹介してたら気分が悪くなる奴もいるだろ? そういうのよく見掛ける」

「平気よ、美夢のリスナーは女の子がメインだから。そうだ、そんなことよりコラボよ、コラボ」

「あぁ、そう言えばそんな話だっけ」

「忘れてんじゃないわよ、今日のメインでしょうが、メイン!」


 いまも見知らぬ親戚や関係が希薄な友人もどきから連絡が着続けている。

 この現状の説明をしてもらうのが俺にとってのメインだった。正直、もう帰りたいくらいの気分でいるけど。流石に俺のために色々としてくれたのに、ここに一人残して帰るのはしのびないか。


「コラボ、コラボね。知っての通り経験ないんだけど、具体的になにするんだ?」

「難しいことなんて何もないわ。ただ一緒にダンジョンを攻略するだけよ」

「俺について来られるのか?」

「甘く見ないでよね。頭の中で何回あんたとコラボしたかわかってんの?」

「いや知らんが」

「とにかくいつも通りでいいのよ、美夢が合わせるから。トップインフルエンサーたる所以をあんたに見せてやるわ」

「まぁ、そこまで言うならわかったよ。日取りは?」

「これから」

「すぐか? こう言うのって事前にロケハンとかするんじゃねーの?」

「お互いに行き慣れた階層なら必要ないでしょ? それに鉄は熱いうちに打て、よ。美夢のお陰であんた今かなり熱いんだから、今日中に配信しないなんてあり得ない」


 たしかにそうか。


「わかったよ。じゃあ、行くか。美夢」


 名前を呼ぶと美夢は目を丸くして、直ぐに両手で顔を覆い隠した。


「推しが美夢の名前をっ――えぇ。えぇ! 行くわよ、菖蒲!」


 アイスコーヒーを飲み干し、勢いよく席を立った美夢の表情には隠しきれない笑みが浮かんでいた。

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