2:やってきたのは大柄な青年でした。
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ギシ、ギシッという耳元にまで響く木製の床が軋む音。それなりの重さを持つ何かが歩いているかのような音。
何か来た……?
ここは土の床であるが、どうも外には木で作られた通路があるらしい。その音はゆっくりと、だが確実にこちらに近付いてきていた。
私は警戒し、身を捻って扉からわずかに離れる。
ちょうどそのとき、私の力ではどうにもならなかった扉が開かれた。角灯の明かりが部屋に急に入ってきたため、私の目は眩んで視界が奪われる。
「ん……」
眩しくて閉じていた目をそっと開け、そして私はぎょっとした。
「んぁ!?」
燃え盛る炎のように真っ赤な瞳が私を捉えていた。そう、見知らぬ青年の顔が間近にあったのだ。
「お。結構可愛い顔してるじゃん」
炎のように輝く赤い前髪が揺れ、人を遠ざけているかのように感じられた難しげな顔が、はじけるような笑顔に変わる。それが私を安心させるためのものではないことはなんとなく察せられた。
なんなの、この男っ!?
整った顔をしている男前だが、第一印象は最悪だ。一見敵意はないように感じられるものの、そんなどうでもいい感想を述べている余裕があるならさっさとこの縄をどうにかして欲しいところだ。そういうところに頭が回らないだなんて、なんと気が利かない男なのだろう。
そんなふうに苛立ちつつも、状況を確認することは忘れない私である。他に人はいないらしいことを彼の周囲で物音がしないことから理解。結局、助けを求めるならこの男しかいないと判断するしかなかった。
「んががっ! んがぐがっ」
なかなか助けてくれないので声を掛ける。まともな言葉にならないのは百も承知だが、いつまでも転がっているつもりはない。早く助けろ、切実にそう言いたい。
「まてまて。落ち着け」
野生の動物を手懐けるかのごとく青年は私の頭をぽんぽんっと軽く叩いてなだめてきた。
んなことしてる暇があったら私を助けろっ!
じっと睨んで訴えると、彼は私の鼻先にそっと人差し指を当てた。
「まずはその猿轡を外してやるから、いきなり術をぶっ放すんじゃねーぞ」
「んぐっ」
しぶしぶ私は同意する。助けてくれるなら、そんな真似はしない。恩人に攻撃するほど残念なお子様ではないのだ。
私がおとなしくなったのを見て、彼は後ろに回るときつく噛まされていた猿轡を外してくれた。
「ほらよ。しゃべれるか?」
「ふぅ……助かったわ。ありがと。できるなら、腕の縄も解いて欲しいんだけど」
「そうだな。ちょっと待ってろ」
見えない位置でごそごそされるのはあまり良い気分じゃないが仕方がない。思わず変な声を上げてしまいそうになるのをぐっと堪えておとなしく待つ。
「――俺はザクロだ」
そんな私の気まずい様子を察してくれたのか、彼は不意に名乗った。
「君、名前は? 村の人間じゃないだろ?」
彼は自己紹介を終えると、私に訊ねてくる。そりゃ私はこの村の人間ではない。別の土地からやってきた人間だ。
村の人間じゃないだろ、って聞いてきたって事は、彼は村の住人ってことかしら? でも村で見かけなかったような……。見かけていたら、こんな目立つ容姿の人間を絶対に忘れたりしないと思うんだけど。
真っ赤な髪と瞳は珍しい。私も似たような色の髪と瞳であるが、彼ほど鮮やかではないし、そんな色の人間に会ったことも実のところない。この珍しい容姿のためにからかわれたこともあったが、それは今となっては幼い頃のどうでもいい話だ。
まぁ、そんな些細なことはどうでもいいか。
自分の身元を隠す理由も意味も特になかったので、私は素直に答えることにする。
「私はアンズ。文化調査員として、この村の龍神祭を調査しに来たの」
「あぁ、文化調査員、ねぇ。この国に残る龍神に関係した祭りを調査している国家機関だっけ?」
軽い口調でそう訊ねてくるものだから、私はカチンと来た。文化調査員と言う仕事に憧れ、誇りを持つ私には許しがたい態度だ。
「何よ、その言い方。馬鹿にしてるの? 試験難しいし、なるには大変なのよ? それに、調査の内容によっては危険地帯にだってほとんど単独で派遣されるから、それなりに武術や魔術に長けていないといけないんだからねっ!」
「で、そんだけすごい調査員サマがこのザマですか?」
完全に見下されている。呆れたと言わんばかりの口調だ。
「う、うっさいわねっ! ちょっと油断してたのっ! このくらい私一人でどうにかできたわよっ!」
「ったく、どうだか」
しゅるしゅると縄が解ける。私は自由になった腕をさすって違和感がないことを確認。続いて上体を起こすと着崩れた前身頃を整え、さっさと足の縄を解きにかかる。
「その口ぶりからすると疑ってるでしょ? ちゃんと私は正真正銘の文化調査員なんだからねっ!」
「そうは言うが、文化調査員やるにはあまりにも頼りない感じだからさ。幼すぎるっていうか。――あれって、十五になって始めて試験受けられるんだろ? 君を見る限りではやっと十を越えたかなってくらいだし」
なんですとっ!?
子どもっぽいとはよく言われる。顔は童顔だし、背は低いし、胸だってちんまりとして目立たない。明らかに発育が遅れている。行動も落ち着きがないように見えるらしく、それ故にお子様扱いされることはしばしば。
だからこそ、文化調査員としてしっかり仕事をしているところを見せつけてやるはずだったのに。
私の苛立ちはさらに増す。
「馬鹿にするのも大概にしてよねっ! すぐに証明してあげるから、ちょっと待ちなさい」
足の縄を解くと、私は自分の胸元から文化調査委員会が発行する金属の名札を取り出してザクロに突き出してやった。
「どうよ、これでっ!」
彼は私が持つ名札を角灯の光で照らしてしっかり確認する。
「へぇ、初めて見た。こんなもの持たされるんだ」
「身分証よ。これでわかってくれた?」
「とりあえず、ガキではないことだけは認めてやろう」
「だから、そういうことじゃなくって――」
「いいのか?」
私が文句を続けようとしたところをザクロの台詞が制す。
「な、何が?」
真面目な顔をして彼が訊ねてきたので、私は目をぱちくりさせて聞き返す。ザクロは不思議そうな顔をした。
「いや、逃げないのかな、と思って」
「…………」
はっとして、私は状況を思い出す。こんなわけのわからん男とこんな物騒な場所で長話をしている場合じゃない。
「そ、そうよ! 逃げないとぱっくり喰われちゃうんだったわ」
名札を元の場所に押し込み、私はザクロを押し退けて室外に出る。
今宵は新月。外は星明りのみの静かな薄暗い世界が広がっている。
だいぶ気を失っていたみたいね……
ぱっと目に入った星の位置を確認し、今の時刻を把握する。日付が変わった頃のようだ。
「こんな時間だ。無闇に動くと野性の獣たちを刺激する。俺がこの山を下りる道を案内してやろう」
ザクロが私の隣に立って角灯をかざす。木製の橋がずっと続いているのが目に入った。この建物は湖の中にあるらしく、通路はその橋だけのようだ。
私は背の高い大柄なザクロを見上げる。
角灯の明かりに照らされているだけとは思えない煌めく赤い髪がとても美しく感じられた。癖のある髪質らしい。短い毛が思い思いに跳ねている様がよりいっそう炎を連想させる。伸ばしっぱなしにしている私の赤毛も湿気があるとすぐにうねってしまうが、おそらく彼のようには見えないだろう。羨ましい。
綺麗な髪だなぁ……って、悠長なことを考えているんじゃないわよ、私。
自由を手に入れてほっとした反動だろうか。私は気を引き締め直して彼に訊ねた。
「あなた、地元の人?」
「まぁな。ここは庭みたいなもんだ。ちゃんと里まで連れて行ってやるよ」
「どうせならもっと早く助けに来てくれりゃよかったのに……」
むすっとしながら呟くと、ザクロは怪訝な顔をした。
「村長が「ちょうどいいから文化調査員を生け贄にしてやった」とか抜かすから慌てて助けに来てやったのに、そんな贅沢を言うか? ったく、これだから礼儀知らずは……」
指摘されて、私は膨れる。しかし彼の言うとおりだ。私は彼にもっと感謝すべきであり、そんな贅沢を言える立場じゃない。
「む……そうね、悪かったわよ。とにかくこんなところに長居は無用だわ。申し訳ないんだけど、助けてくれたついでに案内してくださらないかしら?」
国の役人らしく尊大に言ってやると、つまらなそうに彼は眉間をわずかに寄せた。
「普通に頼めないのか、普通に。君の親御さんはそんな基本的なことも教えてくれなかったのか?」
「う、うっさいわね。あいにく私には親はいないの。だけどそういう言い方は気に喰わないわ。礼儀作法くらい知ってるし」
両手を腰に当ててきっぱり言ってやる。親の話をこんなふうに出されるのは好きじゃない。むしろ大っ嫌いだ。
「……ったく詐欺だな。好みの顔だったんで期待したのに、なんだか損した気分だ。しおらしくしていたら、もっと可愛げがあるだろうに」
はぁっとあからさまにため息をついて、ザクロは歩き出す。
「勝手に期待して勝手にがっかりしないで欲しいもんだわ。そこに私が介在する余地ないし」
むーっと膨れたまま、私は彼の背を追いかける。
こうして私たちは龍神の棲む湖がある山を、真っ暗な深夜に降ることになったのだった。
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