第22話 火蓋は切って落とされた。

 河川は、簡単な小屋とショベルカーが一台。埋めるのか、コンクリートで出来た大きなブロックが点在している。

 そこで繰り広げられている不良同士の喧嘩。両校とも学ランなので、パッと見どちらがどちらなのか分からない。

「優子は?」

 手近なブロックから目だけ覗かせ、遙は素早く見回す。

「見当たらないっすね。それに吉田と綾部も」

 同じように見まわし、尾形が口を開く。言う通り、肝心な人物の姿がない。

「という事は……」

 二人は小屋に目を向けた。常に黒羽の生徒が何人か出入りしており、その度に金属バットやら角材を持っていることから、ちょっとした武器庫の役割もしているようだ。

 遙は視線を戻し、戦況を見る。真と光だけではなく、尾形の友人や、前に会った村元と福田も加勢しているが、数でも武器でも負けており、押され気味であった。

「光……」

 頭に巻かれていた包帯は解け、手の包帯はは土と血で汚れている。

 それでも雄叫びとともに拳を繰り出し、または蹴り倒していく。しかし時たまふらつき、それを狙って反撃を受ける。

 先に戦っていた真も同じようで、疲れが見て取れる。

 遙は必死に頭を回転させた。

 優子さえ取り返せれば……いや、吉田か綾部を押さえれば何とかなるかも。そうなれば、まず二人を別々にしなきゃ。

 視線を前に向けたまま、遙は「尾形」と口を開く。

「制服貸して」

 唐突な言葉に、尾形はきょとんとした顔を遙に向けた。しかし遙は真顔で振り返ると尾形の学ランに手を伸ばし、ボタンを外していく。

「は、遙さん! こんなとこで……」

「静かにしなさい。見つかるでしょ……ほら、ズボンも」

 上着を無理やり脱がし終えると、次にベルトに手を掛けようとする。が、それは尾形に阻止されてしまった。

「せ、説明を求めるっす! それによっては協力……いててっ!」

「一回しか言わないから、よーく聴きなさい」

 尾形の耳を引っ張り、遙は口を近付けた。




「吉田さんに会いたいって言う奴がいるんだけど」

 鼻から下を隠すように赤いスカーフを巻いた男子が、怯えたように下を向き肩を震わせている女子を連れて、ショベルカーの陰で休んでいた黒羽の角刈り不良に話しかけてきた。

「ああ? 見かけないやつだが、お前、誰だ?」

「一年だから知らなくても当たり前ですよ。吉田さんにもまだ認めてもらえてないし。ま、それよりコイツです」

 男子は親指で後ろの女子を指す。角刈りは不審な目を女子に向けた。

「女にしてはがっしりしてるなあ……」

 じろじろ見てくる角刈りから、女子は恥ずかしそうに顔を逸らす。角刈りの視線が男子に向けられた。

「何笑ってんだ、お前。何かあんのか?」

 眉を寄せ睨み付ける角刈りに対し、男子は目元を指で拭いながら振り返る。

「いや、何でもないです。それより、この女が吉田さんに会いたいらしいんですよ。一目惚れってやつですか。こういう時に何ですが、喧嘩してる吉田さんが見たいって」

 女子はコクコク頷く。角刈りは、「ふーん」とだけ言うと、小屋に目を向けた。

「でも吉田さん、今は小屋に籠ってるじゃないですか? だから呼び出してもらえないかな~と。だって、吉田さんに認められてる先輩じゃないと出来ないでしょ」

 畳み掛けるように男子が言葉を紡ぐ。しかし角刈りは良い返事をしないばかりか、困ったような表情を浮かべた。

「綾部さんがいるからなあ……あの人に事情を話さないと」

「金属バットとか取りに行くついでに、吉田さんに耳打ちとかは?」

「あー無理無理。もう中に武器ねーから。だからここで休んでるんだよ」

 男子の口が笑った。しかしそれはスカーフに隠されていて分からない。

「そこをなんとかっ! 女の頼みなんだから」

 顔の前で両手を合わせ、拝むように男子は頭を下げた。角刈りは溜息をつくとぼりぼり頭を掻く。

「ならお前が行って来いよ……ん?」

 角刈りは目を細め、男子の襟に顔を寄せてきた。男子も自らの襟に目をやる。

 そこには、鈍く光る白麗の襟章。

「お前、白麗の……っ」

 ブンッ、という風を切る音がし、次いでドガッと硬い物同士がぶつかる鈍い音がした。ゆっくり倒れていく角刈り。

「尾形、やるじゃん」

 口元に赤いスカーフを巻いた男子――遙は、セーラー服姿の尾形に向けて親指を立てる。尾形も遙の鞄を置くと、肩で息をしながらへらっと笑った。

「さて、呼び出してもらう作戦は失敗か……」

 小屋へと視線を向ける。

 もうあの中に武器は無い。となれば、今外で喧嘩をしてる不良たちが中に入る事はないかも。中にいるのは吉田と綾部と優子……

「尾形。ここからあの小屋の窓を狙える?」

 足元に転がる、少し大きめの石を拾い尾形に差し出す。

「多分やれるっす。でも遙さんは?」

「裏に回る。で、気を取られてる隙に突入する」

 よいしょっと鞄を持ち、遙は真っ直ぐ小屋を見据えた。

 真や光たちも段々小屋に近付いてきている。上手くいけば、外に出た吉田たちと鉢合わせしてくれるかもしれない。

「私が手を挙げたら投げて」

 そう言うと、遙は身を低くして駆け出す。

 幸いに、両校の者に見咎められる事無く小屋の裏側に辿り着いた。

 しかし、そこには意外にも大きな窓があり、慌てて遙はしゃがむ。そしてそろりと鼻から上を出し、中の様子を覗き見た。

 この窓から少し離れたパイプ椅子に縛り付けられている優子。綾部と吉田は中央に置いてある机に座り、何か話し合っている。

 今なら……

 遙は小屋の陰から半身覗かせ、さっ、と尾形に向かって手を挙げた。

 その数秒後、ガシャーンという音とともに入口側の窓ガラスが割れる。室内の三人の意識がそちらへ向いた。

 吉田が割れた窓の傍に行き、屈み込んで石を拾い上げ綾部に見せている。それを見た綾部は、立ち上がり窓から外を覗く。尾形の姿を見付けたのか、指示し、吉田を振り返った。そして二人はドアを開け出ていく。

 よし、今がチャンスだ。

 遙は鞄を思いきり窓ガラスにぶつけた。派手な音とともに破片が飛ぶ。

 破片の煌めきと手の痺れに眉を寄せつつ鞄を放ると、足元に落ちた破片を拾い、中に飛び込んだ。

「誰!?」

 優子が気丈に睨んでくる。遙はそんな優子の傍に立つと、素早く破片でロープを切っていく。

 はらり、と腕を拘束していたロープが落ちる。それを確かめると、口元のスカーフを外した。

「手が自由になれば、後は大丈夫でしょ」

 そう言いながら顔を上げ、優子に向かってニッと笑む。優子は驚きに目を見開いた後何か言おうと口を開きかけるが、遙の言葉がそれを制した。

「優子がいないと、ノート見せてくれる人がいないから助けたってだけ。それに、ライバルがいないと張り合いがないしね」

「誰かと思ったら、遙さんでしたか」

 ドアに目を向けると綾部が立っていた。しかしいつものような笑みはなく、少し眉をしかめ、苦々しい表情である。

「優子。足のロープ解いたら、後ろの窓から逃げて」

 素早くそう告げると、遙は綾部に向かって一歩踏み出した。

「吉田は?」

「外で交戦中です。意外にも白麗がしぶといので。それにしてもその格好……貴女は何を着ても似合いますね」

 そこで初めて綾部は笑む。

 対して遙は真顔になり、更に一歩近付く。

「もうあんたたちの負けでしょ? 挟まれてて人質はいない。いつもみたいに降参しなさい」

「挟まれているといっても遙さんだけ。簡単に突破出来そうですが?」

「あんたは情報に頼りすぎてんのよ……っ!!」

 そう言うな否や、遙は手にしていたスカーフを綾部の顔面めがけて投げつけると、一足飛びに距離を詰め、さっと背後をとる。

「私、本気出せばデキる女なのよ」

 ピタリ、と綾部の頬に破片を当てながら耳元で囁く。

「しかもあんたは女を殴れない。残念だったわね。さ、そのまま外に出なさい」

 逃げられないように、片手を綾部の腰に回しゆっくりと歩む。

 外に出ると、吉田と対峙する二人がいた。他の者たちは、半円を描くように取り囲んで、黙って成り行きを見守っている。

 そこに出てきた遙たちに対し、一斉に視線が向けられた。

「吉田。あんたたちの負けよ。降参しなさいっ!」

「遙!?」

「綾部!」

 驚きに目を見開く光と吉田。しかし真は鼻で笑うだけ。

「吉田さん、私の事はいいです。早く満身創痍の二人をやって下さい」

 余裕たっぷりに綾部は言うが、吉田はそうではなかった。眉根をぎゅっと寄せ、険しい表情で遙を睨むと、両拳を握り締め一歩踏み出す。

 明らかに全身から怒気が発散されていた。

「綾部から離れんかい。俺は女やからって容赦せえへんぞ」

 遙はごくりと唾を飲む。が、ひるむ事無く吉田を睨み返した。

 遙と吉田、二人の間に火花が散る。

「おい。お前の相手は俺たちだろ?」

 そこに、落ち着いた真の声が割って入った。

 吉田はゆっくり顔だけ振り返ると、

「お前らは後や」

 とだけ言い、再び顔を戻す。

「私は大丈夫です。遙さんは私を傷つける事なんか出来ません」

 焦ったように少し早口になって、綾部は吉田に話し掛ける。しかし吉田は肩を怒らせ、また一歩近付いた。

「一度こうなったら人の話を聴かないんですから……遙さん、少し失礼します」

 舌打ちしそうな勢いでそう言うと、綾部は頬が傷つくのも気にせず、するりと遙の腕の中から逃れる。

 そして遙と向き合うと、不意に唇を寄せた。

『!?』

 口付けされている遙をはじめ、吉田、臨戦態勢を取っていた光までもが、いきなりの行動に目を見開いた。遙の手から破片が落ちる。

 綾部って、こういうキスするんだ。タイチとは……って、違う! 今はこんな事考えてる場合じゃなくて!

 ぎゅっと目を閉じ、突き放そうと遙は手に力を入れた。だがその前に綾部の顔が離れる。

 そして綾部は吉田を見据え、こう言った。

「吉田さん。私は遙さんが好きなんです。ですから遙さんを傷付けるという事は、私に喧嘩を売る事と同じです」

 睨むでもなく、笑みを浮かべるでもなく、ただじっと真顔で吉田を見る綾部。

 吉田は開いていた目と口を閉じると、自身を落ち着かせるように一度深く息を吐いた。

「……分かった。綾部がそう言うならしゃあない」

「何が『しゃあない』だあっ!」

 そう声が聞こえたと思ったら、綾部の頬に右拳がヒットしていた。

 カシャン、と眼鏡が落ちる。遙はその眼鏡から視線を上げ、拳の先を見る。そこには、ぎゅっと眉を寄せ、歯を食いしばった光の顔があった。

 口元から流れる血を拭いながら眼鏡を拾う綾部を見下ろし、憎々しげに口を開く。

「お前、何遙にキスしてんだよ。それに、泣かせたり拉致しといて『好き』だあ? 一体何言ってやがる」

「貴方も相当馬鹿ですね」

 眼鏡をかけ直しながら、綾部は溜息を吐く。その余裕を感じさせる態度が、余計に光を苛立たせた。

 いきなり綾部の胸倉を掴み、グイッと引き寄せる。

 うっすら笑みを浮かべる綾部と、険しい目つきで睨む光。

 先に口を開いたのは、意外にも綾部だった。

「吉村さん。ここで決着をつけましょう。この時代風に言えば、タイマン……でしたっけ」

「いいぜ。お前は一発殴らないと、俺の気が済まねえからな」

 さっき殴ってるじゃん。

 そう遙が突っ込もうとした時、真と吉田の方にも動きがあった。

「じゃあ、俺の相手は番長さんがしてくれるんだろ?」

 笑みを含んだ、挑戦的な真の声。

 遙がそちらに目をやると、腕を組んだ真が吉田と向かい合っているところであった。

「おう。番長同士、これで優劣が決まるんや」

 ざっ、と吉田は腰を落とし身構える。

 真は、組んでいる腕をゆっくり解いた。

 真と光、二人はお互いを見ていないにもかかわらず、寸分違わぬ動作で右手を前に出すと、クイッと手招きをし、

『かかって来いよ』

 と不敵に笑う。

 吉田と綾部は、じゃりっと足元を踏みしめ、相手に拳を振りかぶった。

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