第21話 遙の決意

 二年C組の教室前に、数人の人だかりが出来ていた。その中にいた尾形が、三人の姿を見ると血相を変えて駆け寄る。

「な、中に、教室の中に……って、光さん、その怪我は!? あっ! 遙さん、その髪は一体!?」

 せわしなく目を動かし、わたわたと慌てている尾形の肩に手を置き、「落ち着けよ」と光が一言。尾形は一つ息を吐くと、今度ははっきり口にする。

「中に、黒羽の綾部さんが」

 尾形の肩から手を放すと、光は素早くドアを開けた。

「今日は珍しく三人で登校ですか? しかもこんな早くに」

 まだ柔らかな日差しの中、窓際の机に腰かけ微笑む綾部。その綾部に一番に噛み付いたのは光であった。

「何しに来やがった。人を使う事しか出来ねー臆病もんが」

 光はギッ、と睨み付けるが、綾部は笑顔を崩さずに、視線を遙に向け口を開く。

「短い髪も似合っていますね。元が良いからでしょうか」

「吉田はどこ?」

 綾部の発言を無視し、遙は訪ねる。昨日の今日で乗り込んでくるとは思っていなかったが、綾部がここにいる以上、吉田も何らかの行動を起こしている可能性が高い。

「それに答える前に、向井さん。貴方は落ち着いているんですね」

 話を振られた真は、「ふん」と鼻を鳴らすと、首をこきこきと動かし気怠そうに答えた。

「お前はそうやって、口で相手を翻弄すんのが得意なんだろ? なら聴かなきゃいい」

「向井さんらしいですね。でも……」

 綾部の口角が、きゅうっと持ち上がる。

「これを見たらどうでしょう」

 そう言って綾部は、机の横に掛けている鞄を持ち上げてみせた。鞄に付けられているキーホルダーが、日を反射して光る。それは、緑色をしたハート型。

「それはっ!!}

 真の目が一気に険しくなった。その隣では光が腰を低くし、早くも臨戦態勢を取っている。

「登校途中の後藤さんを拉致させていただきました。吉田さんは後藤さんと一緒に、黒羽近くの河川敷にいますよ」

 真が息を飲む気配を遙は感じた。しかし真は動こうとしない。本当かどうか、決めかねているのだろう。

「真、行きなさい」

 真と光、二人の視線を感じるが、綾部を見据えたままきっぱりと遙は言う。

「……分かった。ここは任せる」

 そう言うと真は背を向け、教室を走り去る。しかし光は動かない。

「光。あんたも行きなさいよ。真と二人でなら吉田にも……」

「それはこいつと決着つけてからだ」

 一歩踏み出し、綾部を睨み付ける。その横顔は、今までの光の中で一番頼りがいがあった。

 遙の口元に、柔らかな笑みが浮かぶ。

 こういう時は無駄にカッコ良いんだから。

 一度目を閉じ、遙はゆっくりと目を開ける。その表情は、凛としたものになっていた。

「なら、ちゃっちゃと済ませましょう」

 喧嘩なんかした事無い。でも綾部を捕まえれば、それを材料に交渉出来るかも。

 遙が動くと同時に、光も動き出した。

 一瞬、光と目を見交わす。不思議な事に、それだけでどう動けばいいのか遙には分かった。

 側面に回り込む遙を確認しつつ、一歩で綾部との距離を詰める光。すでに右手は硬く握り締められている。

 しかし綾部は動じる事無く、同じ様に右拳を繰り出した。それは当たる事無く掠っただけ……のように見えた。が、

「つっ……!」

 光が顔を歪め、右手を口元に持って行く。

 一筋の血が流れていた。それを舌で舐め取り、「力で敵わないから武器ってわけ」と好戦的に笑む。

「ええ、そうです」

 微笑む綾部の右手には、銀色に鈍く輝くナックルが装備されていた。

 二人は笑んでいるが、その空気は爆発寸前の静けさを含んでいる。

 互いに意識が向いている今なら……

 遙は猫の様にそろりと足音を忍ばせ窓際から綾部に近付くと、一気に飛び掛かろうと床を蹴った。

 二人の目が遙に向けられる。しかし遙の手は綾部に届かなかった。

 グイッ

「え?」

 この時代に来るきっかけとなった、何者かに強く引っ張られたようなあの感覚。

 遙の体は、窓の外に放り出されていた。

「遙さん!?」

「遙っ!」

 二人の声が聞こえる。しかし遙の視界には青空と、窓枠の下部しか入ってこない。

 あれ? 何で?

 確かに落下しているはずである。しかし音は無く、風景はコマ送りのようにゆっくりとしている。だからか、遙は不思議と落ち着いていた。そして、頭の中に一つの言葉が浮かぶ。

 ああ、これで戻れるんだ。このまま落下に身を任せれば……

 ゆっくりと遠ざかる窓枠から指先が見えた。次いで手首まで。白い包帯。

「光……」

 遙は呟く。

 今ならまだ、手を伸ばせば辛うじて届く。しかし光の手を掴んだら最後、元の時代に戻るチャンスはないと本能がる。

 便利で、上辺だけの楽な付き合いの時代に戻る。こんな濃い高校生活なんて……

 光の顔が覗いた。必死な表情で窓枠から身を乗り出し、遙に向かって手を伸ばしている。

 戻ったら二度と会えない。真にも優子にも……そして光にも。

「嫌だ」

 自然と口をついて出ていた。

 便利よりもお手軽よりも、私は……

「光と、自分の気持ちを選ぶっ!」

 光に向かって思い切り手を伸ばす。

 指先が触れあう。途端に、落下速度が増した。

 指先が離れる。遙は絶望に顔を歪めた。

「遙ぁぁぁぁっ!!」

 そう叫ぶと、光は腰の辺りまで身を乗り出し、遙の手首を掴む。ガクンッと手が抜けそうな衝撃が遙を襲い、反動で体は校舎の壁に叩き付けられた。

 暗転。




 柔らかく、温かいものが遙の唇に優しく触れた。しかしすぐに離れていってしまう。

 それとともに、呟く声が聞こえた。

「お姫様は、王子様のキスで目を覚ます……ってか」

 ん? て事は、さっきのは……

 パチッ、と目を開けたが、カーテンで仕切られた空間には自分以外いなかった。

 もう見慣れてしまった保健室。急いでベッドから起き上がると、もどかしく靴を履きながらカーテンを引き開けた。

「あ、気が付いたっすか?」

 所在なく保健室内を歩き回っていた尾形が、パッと表情を明るくさせて振り向く。

「……あんただけ?」

「そうっすけど?」

 遙はきょろきょろと見回すが、尾形以外は誰もいない。

 さっきのはもしかして……

「尾形、私に何かした?」

 疑いの眼差しを向けるが、尾形はきょとんとした表情で、「何かって?」と首を傾げる。焦っている様子は微塵も無く、嘘を吐いているとは思えなかった。

「どうしたんすか?」

「ううん、気のせいだったのかも。それより、あれからどうなったの?」

 外を見るに、あれからそう時間は経っていないようだった。でも騒がしい様子ではなく、綾部の乗り込みは終わったように感じる。

「光さんが遙さんを助けている間に、綾部はどっかに行ったんす。で、光さんはここに運んだ後、綾部を追って行っちゃいました」

 多分二人は河川敷へ行ったんだろう。優子を助けるために。決着をつけるために。

 遙はいきなり尾形の襟首を掴むと、そのまま保健室を飛び出し教室へ向かう。そして自分の鞄にありったけの教科書を詰め込むと、引き摺られてきた格好のままで座り込んでいる尾形に押し付け、遙は廊下へと足を踏み出した。

「尾形。河川敷へ行くわよ。案内しなさいっ!」

「は、はいっ!」

 パンパンに膨らんだ鞄を抱え、尾形は小走りで遙の後をついて行った。

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