第20話 髪

 しとしとと雨が二人を濡らす。光は遙の肩に腕を回し、遙はそんな光の腰に手を添え、支えながら歩く。

「とりあえず、ここまでくりゃあ大丈夫だろ」

 小さな商店の軒先に入った光は、ふるっと頭を振り雫を飛ばす。遙はほっと息をつくと、光の体に縋るように膝をついた。

「おい、大丈夫か? 遙」

「な、なんか力が抜けて……」

 遙は足を擦るが、微かに震える足は言う事を聞きそうにない。

「ったく、仕方ねえなあ……よっと」

 そう言ってしゃがむと、光は遙を抱き上げた。

「え? ……きゃあっ!」

 視界がぐるりと反転し、光の背中と地面だけになる。

「ちょっ、何これ……ってかスカート!」

 慌ててスカートに手をやる。

 遙は担がれていた。盗賊が麻袋を担ぐように。

「普通、こういう時はお姫様抱っこ……って、あーっ! もしかして……」

 タイムスリップ初日のサッカーの時も、こうやって運ばれたんじゃ……だとしたら、どうして優子が言葉を濁したのか分かる。

「お、降ろしてよ! 怪我人のあんたに運ばれなくても大丈夫だって」

「うるせー。暴れんな。顔から落とすぞ」

 主導権は光にある。遙は大人しく従うことにした。しっかりとスカートを押さえて。




「ほら。着いたぞ、お前んち」

 光が腰を屈めると同時に、遙は素早く足を地面に着くと上体を起こす。

「あ、頭に血が上った……」

 ふらふらする遙の肩に、光の手が置かれた。

「とりあえず、早く中に入って座れ」

「う、うん。そうする……」

 光に背を向け、ガチャガチャと鍵を開ける。

「遙……ごめんな」

「へ?」

 ドアを開け、中に一歩足を踏み入れた遙は、間抜けな声とともに振り返った。

 そこには、神妙な表情をした光。遙の肩に置かれていた手が、そっと髪に触れてくる。

「短く切っちまって……」

「大丈夫だって」

 笑顔でそう答え、遙は光の顔に手を伸ばす。

「そんな心配するより、あんたは早く病院行きなさい」

 濡れて、張り付いている前髪に触れる。光は抵抗する事無く、ただ少し目を伏せた。

 今まで見せた事の無い表情に、遙の胸がときめく。

「これ以上バカになったら困るでしょ?」

 そう言って、場違いな感情を弾き出すように、光のおでこを指で弾いた。

「いてっ! お前、言ってる事とやってる事が反対だぞっ!?」

 光は眉間に皺を寄せ、額を押さえる。

 いつもの光の反応に、遙は声を上げて笑うと傘を差し出した。

「バカはお前の方だろ、遙。これだけ濡れてて今更……」

「一応よ、一応。あ、ちゃんと返してね」

 これでまた、光と話す口実が出来た。

 渋々傘を差す光を見届け、遙はドアを閉めた。途端にどっと疲れが押し寄せる。

 美容室……明日でいっか。とりあえずお風呂入って寝よ。




 短くなった髪を手早く乾かし、ベッドに潜り込む。

 あ、学校終わるまで、この髪でいなくちゃいけないってことよね。うう……誰か切るの上手い子いないかな……

 そんなことを思っていると、いつしか眠りに落ちていた――――




「遙。ねえ遙ってば」

 久し振りに耳にする声。遙はパチリと目を開ける。

 白い壁に、艶のある床。目の前には、スマホを片手に、ジト目でこちらを見ているカオル。

「え? 何で?」

 遙は慌てて自身を見る。セーラー服ではなく、ブレザーを着ていた。雨に濡れていたはずだが、パリッと乾いてる。次に、髪に手をやった。

「短くなってない……」

「はあ? 何言ってんの?」

 不審そうな表情でカオルが口を開く。しかし遙はガタンとイスから立ち上がると、屋上へと駆け出した。

「元の時代に戻って来たの……?」

 フェンスの向こうには、高層ビルやマンションが建っている。

「どういう事……?」

 フェンスに取り付き呟く。

 喜ぶべきなのに、「どうして?」という言葉が浮かぶ。

「何してんの? 遙」

 男子の声に、遙は勢い良く振り向いた。緩みかけていた口元は、男子の姿を認めると溜息を吐き出す。

「タイチ……」

 だらしなくネクタイを緩め、腰までズボンを下げた格好。前までは何とも思わなかったが、遙は眉を寄せる。

「ちゃんと着なさいよ。何か変」

「どしたの遙。なんか変くない? それより、サボって遊びに行こうぜ」

「行かない」

 自然と口が動いていた。

「サボりたかったら、自分だけサボったらいいじゃない」

「冷めるわー、その言い方。いいじゃん。今までそうしてきたし?」

 タイチが遙の腕を掴む。しかし遙はそれを振り払うと、キッと睨み付けた。

「はあ? 何マジになってんの? 遙、ヤバくね?」

「タイチは、好きでもない子の為にケンカ出来る?」

「何それ。意味不~」

 真や光はそれが出来ちゃうのよ。

「遙、サボるんなら鞄、忘れてるよ」

 カオルが面倒臭そうな表情を覗かせる。そして、スマホをいじりながら遙の前に立つと、スマホに目を落としたまま

「はい」と鞄を差し出す。受け取ろうと手を伸ばすが、「あ」という声とともに、カオルは鞄を持ち上げた。

「ねえ遙。何? このダサ過ぎなキーホルダー」

 ハート形をした、赤地に白い水玉模様のキーホルダー。

「こんなの付けないでよ。うちらまでダサく思われんじゃん」

 優子の笑顔が浮かぶ。それに被さるように、カオルが「ふん」と鼻で笑う。

「これは優子が……」

「誰? それ」

 変なものを見るような眼を、カオルが向けてくる。

「優子は……」

 私の友達で、ライバルで……カオルよりかよっぽど……どう答えようかと逡巡しながら口を開きかけた時、

 ピーンポーン

「あ、授業始まっちゃう」

「変なヤツなんかほっとこうぜ」

 ピーンポーン

 背を向けて去っていくカオルとタイチ。しかし遙は声を掛けることも、追い掛けることもしない。

 ピーンポーン

 私、もう自分を偽れない。

 両手を握り締め、遙は風に髪をなびかせた。

 ピーンポーン

 だから……って

「チャイムうるさいっ!!」

 そう叫ぶと同時に、遙はガバッと起き上がっていた。

「……あれ?」

 部屋干しされたブレザー。ベッドの横には、脱いだままのセーラー服。

「夢だった……の?」

 それにしてはリアルだったし。

 頭を掻こうと手を伸ばす。髪は、まだらに短く切られていた。遙はそっと毛先をなぞる。

 その指が、チャイムによって止められた。

「はいはい。今出ますよっと」

 鍵を開け、パジャマ姿のままで顔を出す。

「よお、遙」

 欠伸をしかけていた遙は、慌てて口を閉じる。

 ドアの外には、頭と手に包帯を巻き、顔にはガーゼを貼った光が立っていた。その手には昨日の傘。

 光はパジャマ姿の遙を上から下まで眺めると、何故か残念そうに息を吐いた。

「なんだ、普通のパジャマかよ」

「えと、こんな朝早くから人んち訪ねといて、いきなり何?」

 部屋の時計に目をやると、普段ならまだ寝ているか、起きていても朝食の準備をしている時間であった。

「いいからさっさと着替えてこい。何なら手伝ってやろうか?」

 ニヤリと光が笑うのに対し、遙は思いっきり口を歪めると「結構です」とドアを閉め、急いでセーラー服へと着替えて身支度を整えた。




「こんな早くからどうするってのよ」

 肩を並べて歩きながら、遙はジト目で口を尖らせる。しかし光は横目で遙を見ると、「いいからついて来い」とだけ言い、再び前を向く。

「……迎えに行かないと来ないだろ?」

「何でそう思うの?」

 光の問いに、遙も問いで返す。

「髪型が変だとか、優子に八つ当たりしたからとか色々理由つけて。お前、変にプライド高いからな」

「優子の事は……」

 嫉妬からだなんて言えるわけない。まあそれが変なプライドかもしれないけど。

 遙は口を閉じ、目を落とす。光も何も言わず、しばしの沈黙。足音だけが響く。

 その足音が止まった。遙も慌てて足を止める。

「ほら、着いたぞ」

 目を上げると、現代ではあまり見かけなくなった、赤、白、青の回転看板を持つ床屋であった。

 光は、「おっちゃーん」と言いながらドアを開け、遙の方を振り向き「来いよ」と顎をしゃくった。



「何だ。『髪を切ってくれ』って言うから、てっきりお前だと思ってたが……まさか女の子とはな」

 鋏を動かしながら、店主は鏡越しに光に話し掛けるが、光はソファに座って雑誌に目を落としている。無視された店主は、遙に笑いかけた。

「嬢ちゃん、光の彼女かい? でなきゃ、昨日包帯姿で飛び込んでこないわな」

「おい、おっちゃん……」

 光は雑誌から目を上げ、鏡越しに店主を睨み付けた。しかし店主は気にする風もなく口を開く。

「開口一番、『明日の朝、髪切ってくれ』って。余りにも真剣な顔だったんで、ついにリーゼントやめるのかと思ったよ」

 そう言ってガハハと豪快に笑うと、店主は最後にジャキンと鋏を入れた。そして様々な角度から遙を見ると、「よし」と肩に手を置く。

「若い女の子は久し振りだったが……どうだ? 嬢ちゃん」

 遙は首を動かし確認する。美容院じゃないなんて……と不安になっていた遙だが、技術は良いようだ。

「大丈夫です。ありがとうございます」

 整えられた毛先に触れながら、遙は財布を取り出そうと鞄を開く。それを店主は手で遮ると、ニカッと歯を見せて笑った。

「今日はサービスしとくよ。それに……」

 店主は遙の耳に口を寄せると、光に聞こえないようにそっと囁いた。

「あいつが初めて連れてきた女の子だからな」

 驚いて顔を向けた遙と店主の目が合う。すると店主は、皺が刻まれた目をウインクさせる。遙は照れ隠しに視線を逸らせると、「ありがとうございます」と呟いた。




「まあ、ちょっとはマシになっただろ」

 床屋を後にした二人は学校に向かっていた。すっきりとした毛先が、歩く度にリズムに合わせて跳ねる。

「そうね。床屋って雑な印象だったけど……」

 そう言いながら、ちらりと光を盗み見る。何の感情も読み取れない表情。

 ねえ、ちょっとは期待してもいいの? それとも、責任感じてるから?

「あのさ、光……」

 私のこと、どう思ってるの?

「早いなーお前ら。しかも同半登校か?」

 眠さ半分、からかい半分で声を掛けてきたのは真だった。二人の視線を受け、「ふあぁ~」と欠伸を一つ。

「いや、こいつが髪切って失敗したって言うから、俺行きつけの床屋に行ってたとこ」

「こんな早くからか? 遙、思い切ったな~」

 疑いの眼差しだった真だが、遙を見て目を見開く。

「気分転換ってやつよ。てか真、他に言うことは無いわけ?」

 私の髪より、光の怪我心配しなさいよ。

 しかし真は「ん?」と首を傾げると、二人をじっと見つめ「ああ」と手を打った。

「カップル成立おめでとう! 末永くお幸せに!!」

「ついに狂っちまったか!?」

「どう見たらそう言えるのよ」

 光は睨み、遙は溜息を吐く。真はハハハッと笑うと、光の肩に手を置き顔を寄せた。

「冗談だよじょーだん。で……」

 真の顔から笑みが消え、険しい目つきになる。

「どっちかやったのか?」

「いや、下のモン使って、自分たちは高みの見物だ」

 光の声に、冷たいものが混じる。遙は二人の空気に入ることが出来ず、ただ黙って足並みを揃える。

「優子にちょっかい出して俺たち二人をそっちに集中させ、まんまと遙を出し抜いたってわけ」

「優子にちょっかいって?」

 思わず割り込んでしまう。しかし気を悪くする事無く真が答える。

「ばらばらに帰るようになった次の日、黒羽の奴らが優子に接触してんだよ。しかも何回も。道訊いたりナンパしたりして。で、俺たちが付いてたわけ。優子は何にも知らないし、頼りないとこあるからな」

「私とか理香子さん放っといても大丈夫って?」

 少し皮肉を込めて、遙は真に目をやった。

「ああ。お前の事、信頼してるからな」

 意外な言葉に目を見開く。

 信頼なんて、今まで言われた事無い。なんか気恥ずかしいような……

「背中預けられる女だと思う」

「そ、そう。ありがとう」

 遙は緩みそうになる口元を隠すように顔を背ける。ピリッとしていた空気が和みかけたが、光の一言で元に戻った。

「優子にちょっかい出して、遙にも手ぇ出して……いつやる? 真」

 光の、鞄を持つ手に力が込められる。音がしそうなほど強く握り締められた持ち手。

「すぐに……って言いたいとこだけど、お前のその怪我じゃなあ」

「別にこれぐらい何ともないぜ」

「私も」

 二人の目が遙に向けられる。光と真の険しい視線に一瞬たじろぐが、ぐっと息を飲み言葉を続ける。

「私もあいつら二人をぎゃふんと言わせてやりたい」

 光が口を開く。怒られると思ったが、予想に反した返答だった。

「止めてもきかねーだろうからな。ま、いざとなったら守ってやるよ」

 真も笑みを浮かべる。

「売られた喧嘩は買わなくちゃな」

 そうこうしていると学校が見えてきた。三人は肩を並べて、まだ生徒の姿がまばらな校門を通った。

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