第19話 乱闘

 遙は、先日と同じ様に黒羽の校舎を見上げた。違うのは、着ている制服と吉田たちがいる事。そして、多分歓迎されている事。

「どした? 早よ来んかい」

 そう遙に向かって言い放つと、吉田は背を向けて歩き出す。ぎゅっと拳を握り、遙は小走りでその背を追い掛けた。

「まさかシャノワールに行くとは予想外でした」

 乱雑に並び、色々な物がはみ出ている机たち。そんな教室の中で一人、パチンと将棋の駒を動かしながら、綾部は吉田たちを見る事無く口を開く。しかし吉田は気にする風も無く、どかりと隣の席に腰を下ろすと、綾部に向かって手を出した。

「で、俺の取り分はいくらや」

「シャノワールは大穴も大穴でしたからね。結構な額ですよ」

「ちょっと綾部。何? 私で賭けでもしてたの?」

 眉間に皺を寄せ、遙は綾部に詰め寄る。そこで初めて綾部は顔を上げた。その顔には笑みが浮かんでいる。

「ええ、教室を飛び出した遙さんがどこに行くかで。候補はアンドレ、石田さん行きつけの喫茶店『猫の瞳』。近くの公園、そしてシャノワールでした」

 遙の眉がぴくりと動く。

「どうして私が教室を飛び出すと分かっていたの? 放課後まで授業受けて、寄り道せずに行くとは思わなかったの?」

「貴女なら絶対に飛び出すと思っていました。向井さんか吉村さん、どちらかと揉めて」

 遙に顔を向けたままで、ぱちりと駒を動かした。雨の臭いが鼻腔をくすぐる。

「どういう事……?」

「楔を打ち込むなら、貴方とあの二人の間。そして、貴女と後藤さんの間」

 綾部は眼鏡に指を添え、すっと押し上げながら目を細めた。眼鏡が電灯の光を反射している。

「好きだけどそう認めるのは嫌だ。だけど後藤さんばかり守られ、嫉妬して憎く思う。そして今、二人の話も聞かずに飛び出し黒羽にいる。遙さん、貴女は実に思い通りに動いてくれました」

「綾部、もうちょっと分かるように言ってやれや」

 机の上に足を投げ出し、吉田は大きな欠伸をした。

「では要約します。黒羽は白麗に乗り込みたい。その口実の為に、遙さんを利用した。以上です。まあ、吉田さんに岩尾さんが喧嘩を売ってくれたので考え付いたのですが」

「騙したのね。じゃあ前に言ってた事は……」

 眉を寄せる遙に対し、綾部は笑みを消し真顔で返す。

「それは本当です。気が強くて美しい貴女が欲しい。吉田さんも気に入ってますし」

 話を振られた吉田は、眠たげな目を遙に向けると、「おう」と答えた。

「俺の頭を殴った女は初めてやからな。その威勢の良さがええな。それにまあ美人やし」

 二人に褒められたが、遙の表情は緩む事無く、かえって一層険しくなる。そして文句を言おうと口を開いた時だった。

「綾部さん! アンドレで張ってたやつらが!」

 転がり込むように数人の不良が仲間の肩を抱きながら入ってくる。抱えられてる方は、殴られでもしたのか、口から血を流し呻いている。しかし綾部は心配するどころか、口元に笑みを浮かべた。

「誰にやられたんですか?」

「吉村に……っ。あいつ、まともじゃねえ。一人で立ち向かってきやがった」

「で、吉村さんはそれからどうしたんですか?」

「俺たちから今までの事を訊くと、どっかへ走っていきました」

 ついに綾部は声を出して笑いだす。吉田も含め、周囲の者は不思議そうな表情で綾部を見た。遙も不審そうな顔を向ける。

「吉田さんに負けた吉村さんらしいですね。話を聴いておきながら、向井さんの所にでも助けを求めに行ったのでしょうか」

 そして綾部は三日月に歪んだ目を遙に向けると、「遙さんはどう思います?」と問うてきた。遙は何も言えず、ただ綾部から視線を外す。

 光の考えてる事なんて分かるわけないし……いや、怒ってるか。怒ってるなら、このまま……

「遙さん。貴女の王子様は吉村さんですね?」

 笑みを含んだ綾部の声に、遙の意識は戻される。反論しようと口を開きかけるが、綾部にしても無駄だと思い、遙は「そうよ」ときっぱり言い切った。吉田が口笛を吹く。

「吉村さんを振り向かせるのは難しいですよ? あれだけ……」

 何かに気付いたように、綾部の目が遙から逸らされた。冷たい笑みが綾部の顔に広がる。そしてそのまま再び駒を動かした。

「王手」

 その言葉に、遙は綾部の視線の先を追う。

 窓の外、澱んだ空の下。両手をズボンのポケットに突っ込み歩いてくる生徒が一人。

 遙は窓に駆け寄ると、身を乗り出して生徒の名を呼んだ。

「光っ!」

 顔を上げた光と目が合う。アンドレで喧嘩したその顔は、口の端が切れ、片目は腫れている。

「ほんっとに手間の掛かる女だなあ、遙」

 そう言って、ニヤリと笑う光とは対照的に、遙は思い切り眉を寄せ険しい表情で口を開く。

「何しに来たのよ。しかも一人で」

「せっかく助けに来てやったってのに、何だよ、その言い方は」

「今すぐ帰って。じゃないと……」

 校舎の中に一歩でも入ったら最後。吉田たちの思うつぼなんだから。

 しかしそう伝える前に、遙の髪が思い切り後ろに引かれた。そしてそのまま椅子に深く座らされる。

「つっ……! 何すんのよ、吉田っ!!」

「遙、どうした!?」

 外から光の声が聞こえる。遙は立ち上がろうとするが、深く座らされた上に、後方に髪を引っ張られているのでどうする事も出来ない。そんな遙に代わり、綾部が窓辺に立つ。

「吉村さん。遙さんを助けたかったらここまで来て下さい。お待ちしています」

「光っ、これは……痛っ!」

「おう、雁首を揃えて待っとけ!」

 それを聞いた綾部が笑いながら振り向く。

「良かったですね、遙さん。王子様が助けてくれるそうですよ」

 遙は何も言えずに、ただギッと睨む。その時、ガラリとドアが開かれた。

「ようこそ黒羽へ。これで堂々と白麗に乗り込めます」

「はあ? 何言ってんだ? それより遙を返しやがれ」

 目を細めて笑む綾部と、目を細めて睨む光。

「返して欲しかったら、力、示せや」

 吉田が割って入る。そして周囲に目をやり、「お前ら、かかれ」と顎をしゃくった。一斉に場の空気が張り詰める。

「いいぜ。お前とは決着付けとかなくちゃなと思ってたんだよ」

「何、威勢のええ事言うてんねん。そいつらとやってからや」

 光は鼻で笑うと、周囲に目を走らせながら手を招いた。

「かかって来いよ、雑魚ども」

 雄叫びと共に、取り巻きたちが光に飛び掛かる。

 乱闘が始まった。




「ちょっと、一人に大勢とか卑怯じゃない!」

 声を出すしか出来ない遙の前では、様々な音が飛び交っている。

 机や椅子を巻き込んで倒れる音。呻き声。雄叫び。骨がぶつかり合う音。

 遙は必死で声を出すが、誰にも聞こえていないようで、傍観者である綾部と吉田が答えた。

「言ったでしょう? 勝てばいいんです」

「あいつら倒したら、俺がタイマン勝負してやるつもりやからな」

 二人はそう言って笑い合う。遙は綾部を睨み付けた。

「あんたたち、二人いないと何も出来ないくせに。しかも今回は私をだしに使ってるから、二人でいても弱い……きゃっ!」

 ガクンと遙の頭が、更に後方に引っ張られる。

「うるさい女やのお。いくら俺が褒めたからって、調子に乗るなや」

 両手で遙の髪を掴み、吉田が冷たく見下ろす。遙はほぼ上を向く体勢で、痛みに顔を歪めた。

「遙っ、大丈夫か?!?」

 光の声に、目だけ動かし何とか前を見る。

 少しだけ割れた人垣。その隙間から、光の顔が見えた。血で汚れた顔。それでも動きを止めずに、相手を突き飛ばし、またはガードしながら遙に声を掛ける。

「光、私は大丈夫だけど……っ! 後ろ!!」

 遙の声に、光が後ろを振り返る。そこに椅子が振り下ろされた。

「ぐっ……!」

 かわす暇も無く、光はその場に膝をつく。そこに一斉に群がる取り巻きたち。

「光っ……もういい。もういいってば! 綾部、止めさせて!」

「遙さん。では私の……私たちの元に来ますか?」

 ……私のせいでこんな事になってる。それに、従わないと光が……

 遙は息を吸い、ぎゅっと唇を結ぶと意を決したように口を開いた。

「分かったわ。私は……」

「おい遙。それはやめとけ」

 笑みを含んだ声とともに、人垣の中から光が立ち上がる。頭から血を流しながらも、その顔には不敵な笑みが浮かんでいる。

「綾部んとこ行ったって、お前みたいな手間の掛かる女、すぐに捨てられるのがオチだぜ」

 横から殴りかかる取り巻きの顔面に拳を叩き込み、光は続ける。

「この俺以外に、誰が遙の面倒見る事が出来るんだよ。なあ? 遙」

 遙は目を見開いて光を見た。そこに、みるみる涙が湧いてくる。そのくせに、口元には笑みが浮かんだ。

 そこまで言ってくれた光を裏切れない。惚れた弱みだと言われても。

 視線をさっと走らせる。

 何か、今の状況を打開するもの……あ。

 机の中から覗くもの。遙はそれを確認すると、吉田と綾部に目を向ける。二人とも乱闘に気が向いているようだ。

「あんたは本当にバカよね」

 そう呟くと、遙は素早く手を伸ばしそれを掴む。そして、


 ジャギッ


 躊躇う事無く、自身の髪に鋏を入れた。

 一気に頭が軽くなる。続けてもう一回。完全に吉田の手から逃れる。

「なっ……!?」

 切り離された髪を持ったまま、吉田が息を飲む。綾部は声も出せないのか、驚きに目を見開いているだけ。取り巻きたちも光も、動きを止めて遙を見ている。

「綾部。この展開も想定内?」

 遙は椅子から立ち上がり、挑戦的に笑う。開け放されていた窓から生温かい風が吹き込み、吉田の手から零れた髪が教室内に舞った。

 そして遙は呆然としている綾部の背後に回ると、その首筋に鋏の先端を当てる。

「吉田。今すぐ乱闘を止めさせなさい。で、私と光の姿が校門から出て見えなくなるまで、みんなここから動かないで。分かった?」

 ぐっ、と鋏を握る手に力を込める。綾部はやれやれというように両手を広げた。

「吉田さん。ここは降参しましょう。今の遙さんなら本当に刺しそうです」

 苦笑気味にそう言う綾部に、吉田は渋々頷くと、「お前ら、そこまでや」と告げる。人垣が割れたのを確認し、遙は光へと駆け寄った。

「光っ、大丈夫?」

 血と汗の臭い。遙は光の手を取ると、半ば引っ張るようにして教室を後にした。

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