第18話 吉田

 どさっと机の上に鞄とサブバッグを置く。その中身は、ブレザーの制服。

 そして遙は椅子に座ると、「ふう」と息を吐いた。

 こういう時、元の時代ではスマホで音楽を聴くかゲームをするかだが、スマホの充電はとっくに切れている。

 最近、スマホの事忘れてた……順応してたんだ、私。

「おはよう」

 優子の声に、遙の体が反応する。そして胸の辺りにモヤモヤとしたものが湧く。そんな遙の気持ちを知らない優子は、遙の前に立つとにっこり微笑んだ。

「おはよう、遙さん。 どうしたの? その荷物」

「おはよ。ちょっと帰りに使うから」

 モヤモヤを押し込め、遙は笑顔を作る。その時、バタバタと廊下を走る音と共に、勢い良くドアが開かれた。

「遙、いるか!?」

 顔を見せたのは光である。目だけで教室内を見回し、遙の姿を見つけると「ちょっと来い」と手で招く。しかし遙はすっと視線を外すと、近くの女子に話し掛けた。

「おい、何無視してんだよ」

 眉間に皺を寄せ、光が近付いてくる。それでも遙が無視していると、バンッと机に両手を突き、ずいっと顔を寄せてきた。

「聴こえねーのかよ。外出ろって」

「はあ? 私、あんたと違って真面目に授業出るんですけど」

 口元を歪め、厭味ったらしく遙は答える。光の顔がますます険しくなった。

「遙、尾形の事で話がある」

 落ち着いた真の声に、二人は顔を向ける。ドアに寄りかかるようにして立つ真の顔は、真剣そのものである。

「ホームルーム前に、あの二人が教室にいるって珍しいよね」

「最近、どっちかは早く来てるよね」

 女子の囁きが遙の耳に入る。それを聞いた遙は、「ああ」と頷いた。

 そっか。優子と一緒に登校してたって事。

「何一人で頷いてんだ?」

 不審そうな光とは対称的に、遙は笑みを浮かべる。

「なーにが『あんまり優子にくっつくな』よ。そう言うあんたたちの方がくっついてんじゃない」

「お前、その話は……」

 遙は顔を優子に向けた。話が分からない優子の、困惑した表情が余計に遙の口を滑らかにする。

「いいわよねー、優子は。白麗で一番強い二人に護衛してもらって。尾形なんか、私と帰ったせいで殴られちゃったのに。それに、お腹殴られると本当に気絶しちゃうのね」

「遙、お前……」

「どうせあんたたちは、優子以外守る価値無いと思ってんでしょ。尾形も可哀想に」

 ドンッ!

 先程よりも強い力で机が殴られた。周囲のざわめきがピタリと止まる。

 光は握った拳を震わせ、上目で遙を睨み付けた。その鋭さに、遙はぐっと身を引く。

「お前、俺たちをバカにすんじゃねーよ。守る価値が無いなんていつ言ったよ」

「だってそうじゃない。なら何で裕子の登下校についてんのよ。尾形とか理香子さんは放置で」

「それはだな……」

「二人とも、喧嘩はやめて!」

 そう言って、優子が二人の肩に手を置く。しかし遙はばっと振り払うと立ち上がり、冷たい眼差しで睨み付けた。

「そうやって良い子ちゃんでいれば、二人が守ってくれるからいいわよね。こっちは背後に気を付けたり、気絶させられたりで大変だったのに。ねえ、優子。本当は気付いてるんじゃないの?こいつらが自分の事好きだって」

「そ、そんな……遙さん、私……」

 優子の声が震える。それが余計に遙を苛立たせた。

「っ……もういい。もう付き合いきれない。馬鹿ばっかり!」

 鞄とサブバッグを掴むと、遙は肩を怒らせ出て行こうとする。ドアの所に立つ真が何かしら止めてくるだろうと思っていたが、意外にすんなりと出ることが出来、遙は思わず真を見てしまう。目が合うが、真は何も言わない。遙も無言で通り過ぎた。

「遙っ!! おい真、何ボーっと見てんだよ、遙を止めやがれっ!」

 それでも真は何もしなかった。




 とりあえず、どっかで時間潰すしかないか。

 商店街を歩きながら、遙は溜息を吐く。本来なら放課後まで大人しく過ごすはずだった。

 私、ださっ……嫌味言い散らかして、優子に八つ当たりして。

 時間が経つにつれ、冷えていく頭。しかし戻るという選択肢は無い。

 今更戻って謝るとか無いわ。もう進むしかない。

 変な意地を張っていると思う。が、優子を守る光を見たくないという気持ちもある。


 ふと気付くと、遙はシャノワール近くに来ていた。

 どうせ黒羽行くんだからいいわよね。

 シャノワールを見つけ、躊躇なくドアを開ける。この時間にも拘らず、中には何人か黒羽の生徒がいた。白麗の制服を着た遙を見ると、一斉に腰を浮かす。

「ここは黒羽の溜まり場や。一人で何しに……って、お前はいつかの」

 一番奥に座っていた吉田が驚きの表情を見せる。しかしそれも一瞬で、口元に笑みを浮かべた。

「俺の頭殴った事でも詫びに来たんか?」

「放課後、綾部と会う約束してて、その時間潰しよ」

 そう答えると、遙は空いている席に腰を下ろす。

「お前、何や雰囲気が違うなあ。何かあったんか?」

「あんたのせいでこうなってんのよ」

 吉田の顔を見る事無くそう答える。吉田の気分を害したかと思ったが、意外にも笑顔で頷いていた。

「やっぱり綾部は凄いな。言うてた通りになってる。ここに来るのは予定外やったけど」

「言ってた通り……?」

「そや。前の制服着てみてくれへんか」

 吉田の瞳が輝く。遙は溜息を吐くとトイレの場所を訊き、着替えに入った。

 殺気吉田が言った言葉、気になるのよね。綾部が言ってた通りってどういう事なんだろう……

 ごそごそと着替え終わり、最後に鏡で乱れをチェックする。久し振りに着るブレザーは、遙に少しの違和感を与えた。

 なんか、コスプレしてるみたい。

 そう思い、くすりと笑う。

 それだけこのセーラー服に馴染んでたんだなあ……

 きゅっとリボンを結ぶと同時に、遙は感慨を振り払う。そしてトイレを出ると、吉田の前に立った、

「おお、ええ制服やないか」

 吉田は、椅子に座り頬杖を突いた格好で、遙を頭からつま先まで眺めると、

「じゃあ、飯でも食いに行こか」

 立ち上がり鞄を掴む。

「ちょっと吉田! 人の話を……」

「腹が減っては戦は出来ぬ。安うて美味い店知ってるんや」

 そう言うと、吉田はおもむろに肩を組んできた。遙は体を離そうとするが、いつの間にか取り巻きに囲まれていて、そうする事が出来ない。仕方なく肩を組まれたまま、遙はシャノワールを後にした。




「天気悪ぅなってきたなあ。これは一雨くるかもしれんな」

 湯呑に入った茶を啜り、吉田は窓の外を見た。

 シャノワールとは正反対の大衆食堂。昼食を済ませた遙は、急かす様に空の湯呑をコンコンとテーブルにぶつける。

「なら、雨が降る前に早く行きましょうよ」

 不機嫌な表情で口を開くが、そんな遙に視線を向ける吉田は余裕の笑みを浮かべた。

「早う行ってもしゃーないで。綾部は真面目やからな。授業受けとるやろ」

「三年のあんたはいいの?」

 吉田は「ふふん」と鼻で笑うと、自信満々でこう答えた。

「綾部に教えてもろたら、テストなんか楽勝や!」

「下級生に教えてもらうとか……」

 遙はやれやれと肩を竦めた。そんな遙をよそに、吉田は綾部について語り続ける。

「綾部を助けて正解やったな。あんなに頭ええとは。俺が卒業する前に、あいつを次の番長にしよと思てるんや」

「綾部の事、信頼してるんだ?」

 意外な吉田の話に、遙は興味を覚えた。テーブルに頬杖を突き、じっと吉田を見る。

「信頼しとらんと副番は任せられん。言い換えれば『右腕』って事やからな」

「黒羽の、『武の吉田』と『知の綾部』って言えば有名ですからね」

 角刈りの男子が、自分の事のように胸を張って言う。その姿を見て、遙は思わず吹き出してしまう。

「通り名ってやつ? でもそれじゃ、どっちかが欠けたら意味無いんじゃないの?」

「それはお前もそうやろ。通り名が『雉』とか言われても、一人やと訳分からん」

 吉田を始め、取り巻きたちがどっと笑う。遙の顔が引き攣った。

「な、何でそれを……」

「綾部にかかれば、何でも分かるんや」

 自慢げにそう言うと、吉田は時計に目をやり、残っている茶を飲み干した。

「ほな、そろそろ戻ろか」

 引き攣っていた遙の口元がきゅっと結ばれる。

 いよいよ綾部に会うんだ……もう戻れない。

 空は、どんよりと灰色の雲で覆われていた。

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