第17話 目撃

「女性の体を殴るなんて感心しませんね」

 氷のように冷たく、刺々しい声が聞こえる。

「すみません、綾部さん。でも、そうでもしないとここには……」

 恐縮した声がそれに応えた。

 綾部……綾部ぇ~っ!?

 遙は勢い良く体を起こすが、腹部の痛みに顔を歪める。

「おや、遙さん。気が付きましたか。体は大丈夫ですか?」

 革張りのソファに腰を下ろした綾部は、心配そうに遙を見た。

「大丈夫なわけないでしょ。どういう事? それに、ここどこ?」

 黒を基調とした壁やテーブル。床はこげ茶色のフローリング。何とも落ち着いた、大人の雰囲気である。そこに似つかわしくない坊主頭とパンチパーマの男。

「ここは俺たちの溜まり場だよ」

 坊主頭が口を開く。しかし綾部が目を向けると、ぐっと口を閉じた。

「私が説明しましょう。ここは『シャノワール』という喫茶店です。私たちが集まる時に使わせてもらっています」

 そう言って微笑むと、綾部はすっと手を挙げた。それを見た店員がテーブルにやってきて注文を受ける。

「コーヒーと紅茶を」

「もう一つの質問に答えてないわ」

「それは遙さんも同じです。まだ答えを聞かせてもらっていません」

 遙と綾部、二人の視線がぶつかり合う。

 先に逸らしたのは遙だった。そしてそのまま口を開く。

「私は、あんたと一緒に白麗を乗っ取ろうとは思わない。そうして何が面白いか分かんないし……」

「それに、あの二人といるのが楽しいからですか?」

 遙は「違うわよっ!」と否定するが、綾部は笑みを浮かべると、遙の耳元に顔を寄せ囁いた。

「顔に出ていますよ。で、どっちが好きなんですか?」

「い、いきなり何言って……」

 遙の頭の中に、光の顔が浮かぶ。

 こんな非常時に、何してんの私。

 高鳴る鼓動と熱くなる頬。遙は綾部から顔を隠そうとするが、反対を向けばあの二人組がいるのでどうする事も出来ない。

「カマを掛けてみただけなのですが……分かりやすい人ですね」

 クスクスと綾部が笑う。しかしそれは嘲笑ではなく、心から笑っているようだ。

ずれてくる眼鏡を指で押さえながら、綾部は肩を揺らし続ける。

「綾部さん」

 パンチパーマが恐る恐る話し掛けた。

「そろそろ時間が……」

「ああ、そうですね」

 綾部は眼鏡を外し、滲んだ涙を指で拭うと再び眼鏡を掛ける。その顔からはすでに笑みは消え、代わりに冷たい眼差しが浮かんでいた。

「では遙さん。貴女がいかに愚かか分かっていただきましょう」

「どういう意味? ……きゃっ!」

 訝しむ遙の体が、二人によって窓に押し付けられる。

「何すんのよっ!」

 振り返ろうとするが、男二人の力には抵抗のしようがない。

「外を見ていて下さい。今日はどちらが来るのか」

「何を言ってるのか、全く分からないんだけ……ど……」

 押し付けられた窓の向こう。白麗の制服を着た人物が三人歩いていく。

 優子を真ん中にして、左に真、右に光。声は聞こえないが、楽しそうな雰囲気である事は、その顔を見れば一目瞭然である。

「今日は二人でしたか。昨日は向井さんだったのですが」

「……昨日はって事は、いつからなの?」

 三人を見詰めたまま、遙は綾部に尋ねる。その声は落ち着いているように聞こえるが、綾部はぶるりと身を震わせた。

「怒らせると吉田さんより怖いかもしれませんね……貴女たちがバラバラに下校し始めた時からですよ。あの三人だけは違いましたが」

 私にああ言っときながら、自分は相変わらず優子の後を追っかけていたってわけ……優子も、「最近すぐ帰っちゃうけど、どうしたの?」って心配そうに訊いてきてたけど、自分は二人に守ってもらってて……

 ぎりっ、と遙は唇を噛む。窓に映る遙のその表情を見て、綾部はすっと顔を近付け囁いた。

「あの三年の石田理香子がいても、襲うのは簡単です。貴女は所詮、その程度だと思われてるんですよ。白麗で一番強い自分たちが守る価値もないと」

 綾部の甘い声が鼓膜を揺らす。三人の姿が見えなくなり、押さえ付けていた二人が離れても、遙は動かなかった。

「後藤優子はそれを当然のように思っている。自分に向けられている好意をだしに、二人の恋の鞘当てを楽しんでいるのでは?」

 遙は答える代わりに、指の関節が白くなるほど、両拳を強く握りしめる。

「私と手を組めば、あの三人を見返せます。あの二人も、貴女に振り向いてくれるかもしれませんよ」

 遙の両肩に手を置き、綾部はガラス越しに微笑んだ。

「明日の放課後、黒羽で待っています。その時は是非、元の制服で来て欲しいものです」

 綾部の体が離れる。遙はゆっくり振り向いた。その表情からは何も読み取れない。

「ああ、それと忠告を一つ。吉田さんは、自分から他校に乗り込むことはしませんが、他校の生徒が校舎内に入って来た場合、敵とみなし相手校へ乗り込むのを良しとします」

「じゃあ私も入れないって事?」

「いえ、貴女は大歓迎です。ただ万が一、誰かを連れてこられると面倒なので」

 遙は鼻を鳴らすと綾部の横を通り、ドアへと向かう。しかしドアの前で足を止めると、くるりと振り返り口を開いた。

「綾部。ここはどこで、どうやって帰ればいいの?」




 綾部が描いた地図を頼りに歩く事十数分。見慣れた通りに遙は出た。

 尾形は大丈夫なのかしら。多分、誰かが助けてくれてると思うんだけど……

 襲われた場所へ足を向ける。

「遙!」

 息せき切った声が遙の背中に掛けられる。振り返ると、髪を乱し、肩で激しく息をする理香子の姿があった。

「理香子さん」

「尾形が襲われて……あんたは大丈夫だったかい!?」

「私は……大丈夫です。それで尾形は?」

「水無瀬病院にいるよ。あんたの事が心配らしくて、探しに行くってきかなくてさ」

「とりあえず、尾形を安心させようか」と、理香子が歩き出し、遙は黙ってその後に続く。しばらく歩くと、小さな病院が見えてきた。

「硬い物で後ろから殴られたらしくて。検査入院するらしいよ」

「金属バットだから、ちゃんと検査してもらった方が良いかも」

「遙、あんた……」

 自動ドアが開く。それと同時に、「遙さぁ~ん!」と叫びながら、尾形が抱きつかんばかりに駆け寄ってきた。その頭には包帯が巻かれている。

「大丈夫っすか!? 怪我は? 何もされてないっすか?」

 遙を、頭の先からつま先までしげしげと眺め、尾形は心配そうな顔をする。それを見て、遙は思わず苦笑した。

「あんたの方が大丈夫? よ。私は何ともないし」

 ひらひらと手を振って見せる。尾形は、「良かったっす」と安堵の息を吐くと、へなへなと座り込んだ。

「あーもう、こんなとこに座んないで。早く病室に戻んなさい」

 慌てて理香子と二人で立ち上がらせる。二人に支えられる形になった尾形は、涙声で口を開いた。

「もし遙さんに何かあったら、俺、どうしようかと……良かったっす。本当に良かった……」

「無事だったからもういいって。それに、自分の身くらい、自分で守れるわよ」

 そう。優子みたいに何も知らずに守られるなんて……

「尾形。真や光には連絡したのかい?」

 二人の名前に、遙はぴくりと反応する。

「したんすけど、家にもアンドレにもいないって……」

 そりゃそうでしょうね。優子の騎士してんだもん。

「じゃあ後で探して伝えとくよ。遙、尾形も落ち着いたし帰ろうか」

「そうですね。じゃ尾形、お大事に」

 尾形に手を振りながら病院を出る。理香子と並んで歩いていると、不意に理香子が口を開いた。

「ねえ、遙。一体何があったんだい?」

 遙は、歩きながら理香子の顔を見るが、理香子はまっすぐ前を向いたままでこちらを見る素振りすらない。

「別に、何も無いですよ?」

 へらっと笑いながら答えるが、理香子は冷然と話し続ける。

「尾形が金属バッドで殴られたのを見ていながら、あんたは無事だった。なのに、尾形がどうなったのか知らない。それっておかしいだろ? 襲われた尾形をほっといてどっか行って、また戻って来たって事かい?」

 そこまで言って理香子は立ち止まり、じっと遙を見た。遙も足を止め、理香子の顔を真正面から見る。しかし口を開く事は無く、ただ沈黙だけが流れていく。

 やがて、「ふう」と理香子の溜息がそれを破った。

「言う気は無いって事かい。私が信用ならない?」

「いえ、そういう事じゃないんです」

 遙は目を閉じ、ゆっくりと首を振りながら答える。

「これは私の問題で……あー、何て言うか、私は守る価値も無いというか」

 再びへらっと笑うが、理香子は眉を寄せた険しい表情になった。

「守る価値? どういう事……」

「理香子さん。多分、明日からは大丈夫です。友達と一緒に帰って下さい」

 理香子の言葉を待たずにペコリと頭を下げ、遙は駆け去った。

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