第16話 強襲
放課後、二階にある三年生の教室。遙はごくりと唾を飲み、「三年B組」と書かれた札を見上げた。よっぽどの用が無い限り訪れない場所である。
光や真以上の不良がいたらどうしよう……
逡巡しているとガラリとドアが開き、当の理香子が顔を覗かせた。
「おや遙。どうしたんだい? こんな所へ来て」
「あのですね……」
先程の真のメモの要件を伝える。すると理香子は「ふーん」と言うと、鞄を手に取り廊下に立つ。
「あそこは私の趣味じゃないんだけどねえ……ま、それじゃあ行こうか」
「はあ……」
説明をせずに歩き出す理香子の後を、遙は首を傾げながらついて行った。
理香子と合流し歩く事しばし。遙の前に、見知った店が見えてきた。
それは以前、綾部と入った趣味の悪い喫茶店。
「何でここに?」
嫌な思い出を押し込め、遙は理香子に問う。
「あいつらの溜まり場さ。ほんっと趣味が悪いったらありゃしない」
ぶつぶつ言いながら、理香子はガラス戸を開ける。そこには確かに「喫茶アンドレ」と書かれていた。
「遅かったな、理香子」
二人の姿を見つけ、真が手を挙げる。
店内一番奥のソファ席。真と光はもとより、尾形とその友人、見知らぬ男子二人。
「ああ、ちょっと野暮用があって。三年になると色々面倒臭いんだよ」
理香子と遙が近付くのと反対に、尾形の友人と男子二人が「それじゃあ俺たちはこれで」と席を立つ。擦れ違いざまに、三人はペコリと頭を下げ出て行った。
「あの二人って?」
遙は、背中を見送りながら誰にともなく訊く。それに応えたのは光だった。
「一年の村本と福田」
「あんたたちって顔広いのね……で、何なの?」
「岩尾について、取り巻に訊いてみた」
ぐっ、と一口アイスコーヒーを飲み、真が口を開いた。その表情はいつになく真剣である。
「日曜日、吉田に喧嘩吹っかけたらしい。で、反対にボコボコ。それだけなら良かったんだが、俺たちの事を訊かれて色々喋っちまったようだ」
遙は頭を抱えた。どうしてこの時代の人たちは、そうすぐ喧嘩したがるのか。
「それで私らも呼ばれたって事は、その吉田に狙われる可能性があるって事だね」
「はあ? 何でそれで私たちが狙われなくちゃいけないの? 大体この前ので……」
「黒羽の番長さんは納得しなかったって事」
光がそう口を挟み、ソファにもたれ掛かる。その仕草は、いかにも面倒臭いといった様子である。真がそれを引き継ぎ、話を続ける。
「吉田に顔知られてるのは、俺と光、それに遙。後は名前だけのようだ。でも一応注意しといた方が良いと思って」
「優子は大丈夫なのかい?」
理香子が眉間に皺を寄せ訊く。遙も頷き、真を見た。
「あいつは名前だけだからな。それに、狙われてるって言っても、あいつの事だ。『それでも喧嘩はダメよ!』とか言うだろ」
うんうんと光が大げさに頷く。
「知らない方が、何とでも言い逃れ出来る」
「とりあえず吉田が飽きるか、俺たちが吉田をやるまで岩尾が言ってたように、背後に気を付けておくことだな」
「マジか……」
平凡に過ごすはずだったのに、背後に気を付ける羽目になるなんて……
「なるべく俺たちは、外で他の関係無いやつとつるまない方が良いな。下手するとそいつまで巻き込まれちまう」
普通の女子高生みたいに、放課後、友達と遊びに行けないって事?
吉田への怒りがふつふつと湧いてくる。
今度会ったら、文句でも言ってやる。
「遙、何か怖い顔してるけど、解散だってさ」
理香子に肩を叩かれ、遙は我に返り辺りを見回す。空になったグラス類がテーブルに並び、真と光は鞄を手に立ち上がろうとしていた。
「じゃ、お先に」
そう言って、真が代金をテーブルに置いて行く。光も同じようにするが、立ち去る寸前、遙を振り向き口を開いた。
「おい遙。終わるまであんまり優子優子ってくっつくなよ」
「あんたと一緒にしないでくれる?」
ぶすっと頬を膨らませて反論するが、応える事無く光は出て行った。
「……ねえ遙。私はあんたの味方だよ」
理香子が苦笑しながら肩に手を回してきた。
「ごめん、今日は面談があるんだよ」
申し訳なさそうに理香子が眉を寄せる。
「それなら仕方ないです。じゃ、理香子さん、帰りは気を付けて」
「ああ、遙もね」
ぺこりと頭を下げると、遙は「ふう」と息を吐いた。
アンドレでの集まりから数日。遙は理香子とともに下校を続けていたが、吉田はおろか、黒羽の生徒の姿さえ見ない。
全く普通の日常。なのに、一体いつまで気を付けなければいけないのか。
「遙さ~ん!」
そんな事を思っていると、背後から駆けてくる足音と、遙を呼ぶ声が聞こえてきた。振り返ると、尾形が手を振りながら近づいてくるところである。
「もしかして今日、一人っすか?」
遙の前で立ち止まると、息を切らしながらきょろきょろ辺りを見回す。
「まあね。理香子さん、用事あるって」
「なら、俺がお供するっす!」
尾形の目が輝く。対して、遙は不安そうに尾形を見詰めた。
「大丈夫なの? というか、友達はいいの?」
「あいつは今日、塾だとかで先に帰っちゃったんすよ」
「そんな真面目なやつが、良くあんたと仲良いわね」
遙はそう言って溜息を吐くと、くるりと踵を返して歩き出す。その後を、尾形は小走りで追い掛けた。
「ねえ、いつまで続ければいいわけ?」
振り返る事無く、尾形に話し掛ける。尾形は「そうっすね~……」と考え込んだ。
「吉田が諦めたとか、私たちが分かる訳ないじゃない。かと言って、光や真は負けないし」
「兄貴たちは負けないっすよ! こうなりゃあ、黒羽に乗り込んで吉田をやれば手っ取り早いんすけど」
そう言うと、尾形はぐっと拳を握る。
「あんたには無理だって……」
遙は、溜息混じりに尾形に視線を向けた。その目が大きく見開かれる。
尾形の背後。そこに立つジャージ姿でパンチパーマの男。その男は、手にした金属バットを振りかざし……
「尾形っ!」
遙が「危ない!」と続けるより先に、バットが振り下ろされ、尾形は声を立てずに頽れた。駆け寄ろうとする遙だが、後ろから羽交い絞めにされる。
「なっ……!」
首だけで振り返ると、そこには以前黒羽学園で見た坊主頭がいた。
「あんた、黒羽の……っつ!」
腹部に、重く鈍い衝撃が走ったと感じた途端、遙の意識は途切れた。
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