第13話 屋上にて

「まったく、今日はついてねーなー」

 音無ランドからの帰り道。岩尾たち三人はぶつぶつ文句を言いながら歩いていた。

「ナンパもことごとく失敗しましたしね~」

「吉村の野郎には馬鹿にされるし……くそっ!」

 岩尾は、落ちていた缶を蹴り飛ばした。まだ少し中身が残っていたらしく、液体を撒き散らしながら感は飛んでいく。そして前を歩いていた男の足に当たった。

「ああ?」

 くるりと男が振り返る。日曜なのに長ランを着た人物。それは吉田であった。

「お前、よう俺のボンタン汚してくれたなあ?」

 ギロリと睨まれ、岩尾を除く二人は思わず身を縮める。しかし岩尾は一歩踏み出すと、両手をポケットに入れ睨み付けた。

「日曜にそんなの着てる方が悪いんじゃねーか。ああ? こっちはむしゃくしゃしてんだよ。なんならやるか? 関西弁」

「よう言うたな」

 そう言いながら、吉田は拳を繰り出した。岩尾の顔面にヒットする。

「関西弁で悪かったなあ。でもな、関西行けば、お前らの方が馬鹿にされるんやで」

 吉田は岩尾を殴り続ける。岩尾は手も足も出す事が出来ず、ただなすがままであった。二人はと言うと、身を寄せ合って怯えるしか出来ないでいる。

「それに、方言なんか強さと関係無いやろ」

 岩尾の腹に強烈な一撃が入った。声を出す事無く、岩尾は頽れる。それを見届けると、吉田は二人には目もくれず、背を向け再び歩き出す。しかし数歩進んだところで、何か思い付いた様にくるりと振り返った。

「そう言えばお前、さっき吉村とか言うてたな」




「おはよー」

「おはよう、錦織さん」

 翌日、廊下でクラスメイトに挨拶しながら、遙はドアから教室内を覗き込む。

 ……よし。二人はまだ来てないわね。

 真と光、二人の席が空いているのを確認すると、遙はドアを開け中に入った。

「おはよう、遙さん」

 気付いた優子が微笑みながら手を振る。「おはよ」と返しながら席に着いた遙の背が、ポンと叩かれた。思わず肩が跳ねる。

「遙さん、おはようございますっ!」

 振り返ると、尾形が瞳を輝かせ立っていた。遙の肩から力が抜ける。

「なんだ尾形か。おはよ」

「ええっ!? なんすか、そのガッカリ感は!?」

「別に」

 遙は小さく息を吐きながら前を向く。ほっとしたような、残念なような気持ち。

 複雑な感情に、遙はそわそわと落ち着きなく視線を動かす。ドアが開く度に鼓動が跳ねるが、挨拶の声に肩を落とす。それを何回か繰り返していると、徳井が入って来た。

「お前ら~出席とるぞ~。ま、見りゃ分かるけどな。向井と吉村だけだな、来てないの」

 出席簿に鉛筆を走らせながら、徳井は教室内を見回す。

「遅刻かサボりか……また喧嘩してんのかもしれないが」

「もう、仕方ないわね」

 優子が小さく呟くのが聞こえた。モヤッとしたものが遙の胸中を過ぎる。

 そして一時間目が終わり、休み時間。結局二人は来なかった。

 ま、いいけど。

 遙は気分転換に、屋上に続くドアを開け放った。風に髪をなびかせ、両手を広げて「うーん」と深呼吸する。

「何だ、遙か」

 ばっ、と声の方を見ると、そこには光の姿があった。不良座りで遙を見上げている。その横には、本をアイマスク代わりに寝転ぶ男子。学ランの長さからして、真であることは間違いない。

 気を抜いた瞬間の遭遇に、目を見開いて光を見る。そして、ボッと一気に顔が熱くなった。

 気付かれないように、遙は腰に手を当ててつんとそっぽを向く。

「な、何でここにいるのよ!?」

「何でって、ここは俺たちの場所だからに決まってるだろ」

「屋上は学校の共有スペースでしょ。本当にあんたたちは……」

「うるせーよ。優子みたいなこと言うなって」

 優子か……。こいつは優子の事好きだったっけ。

 風が遙の頬を冷やす。くるりと光に顔を向けると、遙の表情は落ち着いたものに戻っていた。

「優子が怒ってたわよ。『またサボり!?』って。で、二時間目もサボったら、二人とはもう口きかないって言ってた――」

「ほんとか!?」

 光はざっと立ち上がると、壁に立て掛けてあった鞄を手に、屋上を走り出て行った。

「ばーか」

 その背を見ながら遙は呟く。そして溜息を吐きながら視線を戻した。そこには寝ころんだままの真の姿。寝ているのだろうか。

「あんたは戻らないの?」

 試しに話し掛けてみた。のそりと手が動き、本がどかされる。その下から、眩しさに目を細めた真の顔が現れた。

「だって嘘だろ」

「分かった?」

「わざわざお前に頼まないだろ。あいつは自分で言いに来るヤツだ」

「ふ~ん。優子の事、分かってるんだ?」

 真って意外と冷静なとこあるのね。それに比べて……

「光は単純だからな」

 思っていた事を先に言われ、遙か思わず吹き出す。

「ほーんと単純よね」

 遙は、真の横に同じ様にごろりと寝そべると空を見た。

「お前、二時間目サボるのか?」

 真が顔を向けるが、遙は空を見上げたまま「そうねえ……」と呟く。

「自分が馬鹿らしく思えてきたから、ちょっとクールダウンしようかな」

 めんどくさい事は避けてきた。他の人を好きなヤツに恋するとか、一番厄介で面倒臭い。

「何言ってるのか分かんねえけど……」

 真の指が遙の髪に触れる。顔を横に向けると、真と目が合った。

「お前も結構単純だぞ」

「はあ!? 私のどこが?」

 ガバッと上体を起こし、真を睨む。

「そういうとこ」

 真は口元に笑みを浮かべると、再び仰向けになり本を顔の上に乗せる。どうやら、もう遙と話す気は無いらしい。

「ちょっと真。ちゃんと言いなさいよ」

 本を取ろうと、遙が手を伸ばした時だった。

「珍しい組み合わせだねえ」

「理香子さん」

 理香子は遙に歩み寄ると、「遙もサボりなんてね」と笑いながら見下ろす。

「真と遙のコンビなんて初めて見るよ。光は?」

「真面目に授業受けてるんじゃないですかあ?」

 目を細め唇を尖らす遙に、理香子は「おや?」と首を傾げる。

「あいつが真面目になんて、嵐でも来るんじゃないかい」

「嵐でも何でも来たらいいんです」

 ぷいっと顔を背ける遙に、理香子は得心したように目を見開く。そして真に視線を向けると悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「おい、真。何だかこれから面白くなりそうじゃないか」

「めんどくさいだけだろ。それより理香子。あんまサボってると卒業できねーぞ」

 真は本をずらし、口元だけ出して話す。

「理香子さんって三年なんですか?」

「ああ。進路だなんだ色々うるさい学年さ」

「でも真は呼び捨てにしてますけど」

 そして理香子は笑いながら真を指差す。

「真とは元同級生。本当、あの頃と比べると大分変わったねえ、真」

「どんな感じだったんですか?」

 さっきまでの不機嫌はどこへやら。遙は興味津々で身を乗り出す。

「荒れてたねえ。しょっちゅうケンカしてたし、授業も聴かないわサボるわで。教室まで他校の連中が乗り込んで来たりね」

「おい、理香子」

 上体を起こし、真は理香子を睨むが、当人は気にする風もなく続ける。

「二年で留年して、優子と同じクラスになってガラリと変わった。多少は真面目に授業受けてるし、ケンカの回数も減ったんじゃないかい? それより、普通のダチが出来た。これが一番だね」

 真と光の友達というと……

 遙はクラスメイトを思い浮かべる。

「尾形とかガリ勉? 後は……優子とか」

「そう。『狂犬』と恐れられてた真にダチだよ!? 知った時は笑ったね」

 その時を思い出したのか、理香子はからからと笑う。遙は不機嫌な表情で頭を掻いている真を見た。どう見ても『狂犬』には見えない。むしろ、優子に飼い慣らされた大型犬という印象である。そうすると、岩尾が言っていた例えは、本当に的を射てるなと感心する。

「ま、それが今や『犬』と『猿』だからね」

「理香子さんの所にまで広まってるんですか!?」

「有名だよ。二年C組の『犬・猿・雉トリオ』って。遙も有名になっちまったねえ」

「転校してきて数日で、だからな」

 そう言いながら、真は本を拾い上げ鞄に仕舞う。そして大きく欠伸をすると、「よっと」と立ち上がり、鞄を肩に担いだ。

「三時間目は真面目に出席かい?」

「ああ、なんたって次は……」

「あーっ!! ここにいたのね、真君、遙さん!」

 優子の声に、三人は振り返る。優子は視線を受けながらも、つかつかと歩み寄り、仁王立ちになって眉を寄せた。

「心配したんだからね、遙さん。休み時間に出て行ったきり戻らないから……光君は来たけど、二人の事は知らないって言うし」

 あいつは本当に……

「はあ……」と溜息を零す遙と、口を尖らせ小言を言う優子。

 理香子は両手の指で三角形を作ると、そこから二人を覗いた。

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