第12話 観覧車は空へ上っていく

「もう、ちょっと目を離すとケンカしちゃうんだから」

 買ってきた小さな包みを一人ひとりに選ばしながら、優子は小言を口にする。

「しかも何で桃太郎でケンカ出来ちゃうかなあ……」

 溜息を吐きつつ苦笑する。そして全員が取ったのを確認すると、「開けてみて」と微笑んだ。

 言われた通りに、遙は包みを開けてみる。中には、赤地に白い水玉模様のハート型をしたキーホルダーが入っていた。

「おおっ! 優子、センス良いなあ!」

 満面の笑みで真が取り出したのは、同じくハート形のキーホルダー。色は黄緑一色である。

「一生の宝物……いや、家宝にする!」

 大袈裟に言う光の手には、型は同じで、青地に白い水玉模様のキーホルダーがあった。

「じゃあ私は緑色ね」

 最後に優子が取り出し、三人の前に差し出す。

「ね、皆も出してみて」

 言われるがままに、三人はキーホルダーを差し出した。中央に集まったそれは、四葉のクローバーになる。

「素敵でしょ? 皆で遊んだ記念っ!」

 ぱっと花が咲くように笑う優子を見ると、遙は「ダサい」と言えなくなってしまった。

「ありがとう。鞄にでも付けるわ」

 そう言ってしまおうとした遙の手を、優子が掴む。

「じゃあ遙さんは、光君と乗ってね」

「は? どういう事?」

 どうしてそんな話になるわけ?

「観覧車に乗るペアをこれで決めようかなって。水玉ペアと、無地ペアとでちょうどいいでしょ」

『観覧車にこいつと……?』

 遙と光は口元を引きつらせ、互いに指差す。その横では、「よっしゃー!」と真がガッツポーズしている。

「俺だって優子と二人で乗りてーよ! 真、交換してくれ」

「やだね。さあ優子、乗りに行こうか」

 光に向かって舌を出すと、真は優子の隣に立ち歩き出す。

「くっそー。羨ましいなあ……」

 本気で肩を落としている光の背に、遙はパンチをお見舞いした。

「いてっ! 何すんだよ、遙」

「なーんかイラッとしただけ」

 そう。理由なんか無い。ただ本当にムッとなっただけ。そんなに私と乗るの嫌なの? って。

「遙さん、光君。ケンカしてないで、ほら早くっ!」

「優子、やっぱりコイツと乗りたくないんだけど……」

 遙は光の方を見る事無く、優子たちを小走りで追い掛けた。




「足元に気を付けてお乗り下さーい」

「じゃ、先に乗るね」

 優子が遙たちを振り返り、小さく手を振りながら乗り込む。

「お先に。光君たち、くれぐれも中でケンカしないように」

 ビシッと指を突き付けると、真は相好を崩し、優子の後に続いて乗り込んだ。

「お前こそ、優子に変なことすんじゃねーぞ!」

 光は口を尖らせそう言うが、二人は笑顔を向けたままで、扉が閉められた。そして遙たちが乘るボックスが来る。

「ったく。真ばっかいいトコ取りやがって」

 ぶつぶつ文句を言いながら乗り込む光。

 このまま私が乘らなかったら、こいつどうするんだろう。

 ふと遙は意地悪をしてみたくなる。ゆっくりと扉が動いていく。係員が、動こうとしない遙を不思議そうに見た。

「あんた一人で寂しく乗って下さーい」

 遙はにこやかに手を振る。

 ざまあみろ。指をくわえて優子と真を眺めてればいいわ。

「ふざけんな、遙!」

 光は、扉から上体を乗り出し遙の腕を掴むと、思い切り中に引き込んだ。半ば転がり込むように遙が乘ったのを確認すると、係員は笑顔で扉を閉める。

「何すんのよ! 怪我したらどう落とし前つけるつもり?」

「お前が早く乗らねーからだろ!」

 遙と向かい合わせに座る光は、足を開き、頬杖をつきながらジト目で遙を見詰めてくる。対して遙も口を尖らせ、同じ目で返す。

「一緒に乗りたくなかったんだもん」

「何で?」

「だってあんた、優子と一緒に乗りたかったんでしょ」

 あれ? 何だかこの言い方って……

 光の顔がニヤリと歪んだ。

「あれ~? もしかして妬いちゃってんの?」

「それはないわ……そういえば、観覧車乗るの何年振りだろ」

 遙は話題を変えるように、外に視線を向ける。ゆっくりと上昇してく景色。

「お台場とか横浜の観覧車とは大違いよね。高さも外観も」

「そうなのか?」

「そうよ。一周十五分とか掛かるし、ボックスが透明なのとかあるし」

「ほんとか!?」

 いきなり光が身を乗り出してきた。その瞳は好奇心に輝いている。

「今度連れてってくれよ、遙!」

「はあ? そんなの無理に決まってるじゃない……」

 あんたが二〇二三年に来れる訳ないし、第一私が戻れないんだから。

 じんわりと視界が滲む。でもここでは泣くもんかと、遙は眉を寄せて外を睨んだ。

「……なあ、遙は戻りたいのか?」

 急に真面目なトーンで光が訊いてきた。じっと見詰めてくる視線を感じるが、遙は顔を向けない。向けられなかった。

「そ、そうよ? 悪い?」

 語尾が震える。遙は唇を噛み締めた。

「だけど戻れないんだから仕方ないじゃない。だ、大体あんたが言ったんじゃない。腹括れって……」

 ずずっと鼻を啜る。外の景色は、最早よく見えない。

 遙の目に溜まった涙に気付いた光は、ギョッと目を見開き慌てて言葉を探す。

「だってそうするしかねーだろ……って、あー泣くなって」

「な、泣いてないってば」

 少し、光が逡巡する気配がした。そして遙はまたしても腕を引かれ……

「分かった。諦め切れねーのは、大声で泣いてスッキリしてねーからだ。この光様の胸を貸してやるから、泣き尽せ遙」

 遙は光の腕の中にいた。驚きのあまり、一瞬涙が引っ込む。しかしそう言って光がぽんぽんと優しく頭を叩くので、遙の涙腺は決壊した。

 小さな子供の様に顔をくしゃくしゃにして、遙は声を上げて泣く。光はそんな遙に何も言わず、ただあやすように頭を叩き続けた。

 観覧車はいつの間にか頂上を越え、ゆっくりと降下を始めていた。




「足元に気を付けて降りて下さーい」

 係員の呑気な声とともに、ガチャリと扉が開かれる。

 遙はしゃくり上げながら、埋めていた顔を上げた。光と目が合う。笑われるかと思いきや、優しい眼差しに驚くが一瞬の事であった。

「ほら着いたって。降りるぞ」

 そうぶっきらぼうに言うと、光は先に扉へ向かう。遙も立ち上がり、よろよろと扉へ歩き出す。が、ボックスが動いているため、躓きそうになる。その手を光が掴んだ。

「ほんっと手間掛かるヤツだな」

 そのまま、遙は手を引かれながら降りた。

「遙さん、どうしたの!?」

 先に降りていた優子が、驚いて駆け寄ってきた。真も目を見開いている。

「光君、遙さんに何したの!?」

 光の手がパッと離れる。

「何って……」

 光がこちらを見ているのが分かるが、遙は上手く言葉に出来ない。

「あ~……こいつ、高いとこ駄目らしくてさあ。俺にしがみついてピーピー泣いちゃって。『光君、離さないで!』って」

「だ、誰がそんなこと言うか!」

 鼻を啜りながら、遙はバッグで光の頭をはたく。

「いてっ! 何だよ、人が親切にフォローしてやってんのによお!」

「フォローになってないわっ!」

「良かった。いつもの遙さんね」

 優子が、ほっと息を吐きながら微笑む。が、遙の顔を見ると、その表情は慌てたものになった。

「あ、えと、遙さん、こっち」

 ぐいっと遙の手を引き、優子は二人から離れる。そしてガサガサとポシェットを漁ると、中から手鏡とティッシュを取り出した。

「私、化粧したこと無いから、そういうの持ってないんだけど……」

 遙は手鏡を受け取ると、それを覗き込み絶句した。

 涙の跡がくっきりと筋になって頬に残っている。そして目元。マスカラとアイライナーで真っ黒になっていた。その状態から察するに、涙も黒かっただろう。

「ウォータープルーフの有難さを、身をもって実感したわ……」

 ティッシュで目元を拭う。その手がふと止まった。

「あ……」

 確か私、光の胸に顔を埋めてた様な……

「やば」

「え? 何が?」

 遙の呟きに、優子が首を傾げた時だった。

「何だこれっ!?」

 光の声が響く。それを聞いた優子は、「どうしたの?」と小走りで引き返す。遙も渋々その後に続いた。

「天罰だな。女泣かせた」

 真が笑いながら指差している光の服。そこにはべったりと黒い汚れが。明らかに遙が付けたものであると分かる。

「う……ごめん」

「クリーニング代よこせ」

 視線を外し謝る遙に、光はずいっと手を出す。自分のせいなので、遙は大人しく財布を取り出した。

「いくら?」

「じゃあ一万」

 どう考えても高い金額に、遙は眉を寄せ光を睨む。

「ぼったくりじゃない。ここは、『いいよ。これぐらい』とか言う所でしょ? さっきの優しさはどこいったのよ」

「ほほう。この光が女に優しくねえ……」

 真がニヤニヤしながら、肘で光を小突く。

「遙なんかに優しくしてどうすんだ。優しくするだけ無駄だよ無駄」

 溜息を吐きながらそっぽを向く光の頬に、千円札が押し付けられた。

「これで足りるでしょ。おつりは要らないわよ」

 遙はにっこり笑ってそう言うと、くるりと優子に振り向き「さ、帰りましょうか」と歩き出した。




「今日は楽しかったね。いい思い出が出来ちゃった」

 車の中、優子は実に嬉しそうに口を開く。そんな優子を横目で見ながら、遙は溜息を吐いた。

「楽しいというか……騒々しかったかも」

 そう言いながら、背もたれに体を預ける。

「そうね。あの二人がいればね。でも今の遙さん、スッキリした顔してるよ」

「そう? ただメイクが落ちてるからじゃ……」

 ボッと遙の顔が赤くなる。

 わ、私、結構大胆なことしちゃった!? 光の胸で泣くなんて……

 今頃になって恥ずかしくなってくる。それとともに、手の優しさと胸の温かさが思い返され、鼓動が早くなった。

「遙さん? 顔、赤いけど大丈夫?」

 遙はバッと両手で頬を隠すと、ぶんぶんと首を縦に振る。

「大丈夫。大丈夫よ。うん。全っ然大丈夫」

「そ、そう?」

 リアクションの大きさに、優子は少し戸惑う様な表情を見せたが、小首を傾げると再び前を向いた。

 な、何なのよ。この動悸。おかしい……

 頬を隠したまま、遙は窓を見詰める。そこには、八の字眉で困惑した顔が映っていた。




「じゃあ、また明日」

 わざわざ車から降りて、優子がにこやかに手を振る。遙は「じゃ」と軽く手を振ると家の中に入った。鍵を閉め、座布団に正座する。

 冷静になるのよ。多分これは感情のかけ違いであって……

 そう思おうとすればするほど、浮かんでくる光の顔。遙の頬が、またしても赤く染まった。

「違う。絶対に違う。あんな不良……」

 言葉にするが、どうしても消えない。遙は必死に否定しようとするが、もう遅い。

 遙は、恋に落ちてしまった。

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