第9話 突きつけられる現実

 けばけばしい赤い絨毯が敷かれ、室内なのに何故か小さな噴水。趣味が悪い、西洋風の陶器の置物。

 遙は、猫足の白いテーブルに綾部と向かい合わせに座ると、ぐるりと周囲を見渡した。

「これがカフェ? カフェっていうよりむしろ……」

「趣味の悪い喫茶店、といったところでしょうか」

 綾部はメニューを開きながら苦笑する。遙もメニューを手に取るが、開く前に確認を取った。

「ねえ、これって割り勘、もしくは奢りよね?」

「私が誘ったので出しますよ、もちろん」

「マジで? じゃあ紅茶とケーキと……」

 綾部がくすくすと笑う。遙は「何よ?」と睨むが、綾部は止めない。

「遙さんは順応力が高いですね」

「今時の女子高生は、周りに合わせないと生きていけないからね……って本題よ!」

 遙は鞄からスマホを取りだすと、ばっと綾部に突き付けた。

「これ、何か分かる?」

「ええ、スマートフォン。通称スマホ。私も持っていますからね」

 すっと綾部がテーブルの上に差し出した物。それは紛れもなくスマホであった。遙はそれを手に取ると、ためつすがめつ眺める。自分のスマホと見比べてもみるが、違う所は無い。正真正銘スマホであった。

「充電はとっくに切れてますが、スマホです」

 遙の手からスマホを取ると、綾部は鞄に仕舞う。そして指を組み、じっと遙を見詰めた。

「これで、私が何を言いたいのか分かりましたか?」

 遙はごくりと唾を飲むと、確かめるようにゆっくり口を開いた。

「あんたも、二〇二三年から来たの?」

「正確には二〇二二年からなので、遙さんよりこの時代を一年長く過ごしています」

「一年も!?」

 驚きのあまり、思わず声が大きくなってしまう。慌てて周囲に頭を下げ、遙は身を乗り出して小声で問う。

「戻ろうと思わなかったの?」

「思いましたよ。でも戻れなかったんです。来た場所から戻ろうとしたのですが」

「私もそう。ねえ……やっぱり戻れないのかな」

 綾部はコーヒーを一口飲むと、静かにソーサーに置いた。そしてゆっくりと遙に視線を向ける。

「諦めるしかないですね」

 ショックで、遙は言葉が出てこなかった。

 戻れない? 諦めるしかない? 楽しみにしてた連ドラ、好きなアーティストのCD、あのコミックの続き……

 ぐるぐると、様々な思いが頭の中を駆け巡る。

「うそ……」

 口元が引きつり、声が震えた。

「あ、綾部。二〇二一年のオリンピックの開催地は?」

「東京でしょう? まだ信じられませんか?」

 遙の前に、紅茶が入ったカップが置かれる。そこに一つ、波紋が生じた。

「遙さん……」

 遙の頬を、一筋の涙が伝う。涙は、ぽたりと紅茶へ落ちる。

「嘘でしょ? だ、だったら何であんたはそんな平静でいられるわけ?」

 泣きじゃくりそうになるのを、遙は努めて我慢するが、返って泣き笑いのような表情になってしまう。

「最初は私も戻りたいと思っていました」

 綾部はハンカチを取り出し、遙に差し出しながら口を開く。遙はそれを受け取るが、ぎゅっと握り締め話の続きを待つ。

「でも戻れなかった。だから諦めました。そして思ったんです。この時代をとことん楽しんでやろうと。元の時代では出来ない事をしてやろうと」

 綾部は目を細め、遠くを見ながら口元を緩めた。

「この時代の人たちは単純です。黒羽の生徒などは特に。だから番長である吉田さんに取り入って、副番にまで伸し上がりました」

 遙は鼻を啜りながら聞き入る。

「吉田さんを操るのは、実に簡単です。でも黒羽だけでは面白くない。飽きてしまいますしね」

 そこまで話し、綾部は遙の手に自身の手を重ねた。

「遙さん、私と手を組んで白麗を手に入れませんか? あの二人が白麗の番長なのでしょう? なら簡単でしょうね」

「綾部、あんた……」

 遙は先程までの悲しみと絶望を忘れ、じっと綾部を見詰める。

「私は貴女のことが気に入ったんです。同じ境遇ということもありますし……」

 カランコロンとドアベルが鳴り、騒がしい一団が入って来た。

「くっそー、下校時間ぎりぎりまで写しやがって。お陰で全部写せなかったじゃねーか」

「だからって、俺に八つ当たりしないで下さいよ~」

「明日借りたらいいんじゃないっすか?」

「そりゃそうだけど……あ?」

 光を始めとし、尾形とその友人たちである。光が二人を見つけ、眉を寄せた。

「綾部。お前、白麗のシマで何してんだ? それに遙……ってどうした!?」

 遙の赤くなっている目と、同じく赤くなっている鼻。それに気付き、光は目を丸くした。そして、遙の手に重ねられている綾部のそれに視線が向く。

 光は尾形に鞄を預けると、無言で近付いてきた。

「お前、遙に何してんだ?」

「何も。ただ手を重ねているだけですが?」

 いきなり、光はぐいっと綾部の胸ぐらを掴み上げ顔を寄せると、低い声で凄む。

「女泣かしといて、何すかしたこと言ってんだよ」

 しかし綾部は嘲るような笑みを浮かべながら、ずれた眼鏡を直した。

「吉村さんには関係の無い事です」

「んだと……っ!」

 光の右拳が振り上げられる。

「やめてっ!」

 遙は立ち上がり、光の右腕を掴んでいた。光と綾部の視線が遙に向けられる。

「何でだよ」

 不服そうな表情の光に問い掛けられるが、遙は何も言えなかった。

 綾部も同じ境遇で……一緒に白麗を手に入れようって言われちゃって……

 何を、どう話したらいいのか分からなかった。でも綾部のせいで泣いたわけではないので、殴るのは違う……と思う。

「はあ……早くこの手を離して下さい。首が苦しい」

 光は舌打ちすると、乱暴に手を離す。遙も光から手を離すが、気まずくなり二人から顔を背けると、ハンカチを綾部の方に差し出した。

「これ、返す。ありがと」

「いえいえ。では遙さん、返事は今度会う時にでも」

 制服を正し、綾部はテーブルの上に二人分のお金を置いて出て行った。

 遙と光、二人の間に沈黙が流れる。尾形たちはドアの所に立ったまま、心配そうに成り行きを見守っている。

「……何で止めたんだよ」

 先に口を開いたのは光。遙に背を向け、ぽつりと呟く。

「綾部は悪くないから」

「悪くないだあ!?」

 ぐるりと勢い良く振り向くと、遙の肩を両手で掴み、強引に向かい合わせる。

「今朝のこと忘れたのか? お前、絡まれたんだぞ!? 俺たちが助けなかったら……それに泣かされてんのに、悪くないだあ!?」

 遙は一度強く唇を噛むと、思い切り両手で光を突き放す。

「あんたには関係ない。これは私の問題なのっ!」

 そう言い鞄を掴むと、尾形たちを押しのけ遙は外へ飛び出した。




 バタン!

 思い切り玄関のドアを閉め、そのままずるずると座り込む。

 戻れない。

 一人になった途端、頭の中がそれで一杯になる。ぐしゃぐしゃと髪を掻き乱す遙の口が歪み、笑いが零れた。

「何の冗談っ……スマホもネットも無い時代に……」

 ひとしきり笑った後、すっと表情が消える。

 遙はのそりと立ち上がると、鞄を放り、ベッドに倒れ込んだ。

 夢だ。悪い夢。きっと次に目が覚めたら平成に戻ってて……

 遙の意識は途切れた。




 鳥の声。朝だ。

 うっすら目を開ける。見慣れない天井。

 ああ、まだ覚めないんだ……

 そのまま再び目を閉じる。

 何度かそれを繰り返していると、玄関のチャイムが鳴った。しかし遙は寝返りを打ち、無視する。

 ピンポンピンポンピンポン

 幼児が面白がって連打するように鳴らされるチャイム。

「うるさい……」

 遙は頭から布団を被る。

 ドンドンドン!

 今度はドアが叩かれた。

 それでも無視を続けていると、相手は叩きながらチャイムを押すという荒技に出た。これはさすがに無視できない。

 遙は布団を跳ね飛ばすと、ずかずかとドアまで歩き、思い切り開けて怒鳴った。

「うるさいっ! 近所迷惑……って真」

「よお」

 そこには、むすっとした表情の真が立っていた。珍しく一人である。

「……何しに来たの?」

「何しに来たって、お前を連れに来たんだよ。今、昼だぞ? 分かってんのか? 貴重な昼休みを使って、わざわざ迎えに来てやってるんだから大人しく来い」

 遙は返事をせずにドアを閉めようとするが、それより早く、真がドアの隙間に半身を滑り込ませる。

「一体何があったか知らねーけど、せめて悟のノートは返してやれよ」

「あ……」

 そうだった。すっかり忘れてた。

「渡すから返しといてよ」

「自分で返せ。優子も心配してるし、なんか光も変だし」

 そう言いながら、真はじっと遙を見る。遙は思わず視線を逸らしてしまう。

「はあ……とにかく行くぞ」

 真は問答無用で遙の腕を掴むと、力任せに引きずり出す。

「ちょっと、ヤダってば! 今はそういう気分じゃ……」

「ほら、これ持て」

 遙の鞄を拾い上げ、投げてよこす。条件反射で遙は受け取ってしまう。

「だから今日は……」

 それでも抵抗しようとする遙だが、真は聴く耳を持たず、腕を掴んだまま走り出した。




「はい、ノート返す。写せてないけど」

 ばさりと尾形の机の上にノートを置きながら、遙はぶっきらぼうにそう言った。尾形は驚いた表情で遙を見上げていたが、慌てて笑顔を作る。

「い、いえ。別に写してから返して下さっても良かったんでございますが……」

 そう言いながら、尾形の視線は光の背中へと向けられ、そして再び遙へと戻された。

「何?」

 思わずきつい口調で訊いてしまう。

「何でもないっす……」

 遙は鼻を鳴らすと、ドアに向かって歩き出した。その背中に優子が声を掛ける。

「遙さん、どこ行くの?」

「帰る。ノート返したんだし、もういいでしょ」

 振り返りもせず、素っ気なくそう答えると、遙は廊下に足を踏み出す。

「綾部んとこに行くのかよ」

 足を止め、遙は眉間に皺を寄せて振り返った。光は頭の後ろで手を組み、背もたれに体を預けている。

「行ったら何? いけないわけ?」

 あんたには分からないでしょ。不便で、全く知らない時代に残される気持ち。

 むくむくと、怒りとも苛立ちとも取れる感情が湧いてくる。

「あんなインテリ野郎がいいのかねえ」

 遙はつかつかと光の席まで戻ると、光の胸ぐらを掴み顔を寄せた。

「そういう問題じゃないのよ。分かる? この絶望。戻れないのよ? 何であんたたちみたいな不良がいる時代に生きなくちゃいけないの」

「悪かったなあ。俺たちみたいなのがいて。でもなあ……」

 光は遙の手を跳ね除けると、ガタンッと椅子から立ち上がった。

「ここに来て、まだ三日ぐらいだろ? よく知らねーくせに、好き勝手言ってんじゃねーよ。戻れないなら腹ぁ括りやがれ」

 遙は反論する代わりに目を伏せた。

 そう。戻れないなら、もう観念するしかない……でも。

「そうだ。遙さん、今度の日曜日に遊びに行かない?」

 優子の突然の提案に、遙は「はあ?」と間抜けな声を出してしまう。光も場違いな発言に、目を見開いて優子を見る。

「色々疲れてるんじゃない? 気分転換に……ね? それに、楽しくなってこの学校も町も好きになれるかもしれないわよ?」

 そう言って、優子はにっこり微笑む。下心など一切ない、心からの発言だと分かった。

「ま、まあ優子がそう言うなら……」

 すっかり毒気を抜かれた遙は、渋々頷く。それを見て、優子は一つ手を打つと、

「じゃあ遙さん。ここからはちゃんと授業受けましょうね?」

 有無を言わせぬ迫力。

「は、はい……」

 遙は大人しく席に着いた。

「最後の優子の笑顔、こえ~」

 真がぼそりと呟き、尾形はぶんぶんと頷いた。

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