第8話 美術問答
「不良」とは、クラスで浮くものだ。尚且つ、クラスメイトに恐れられ、誰一人として近寄ってこず、一匹狼として過ごすものである。私もそうなるのかな……と思っていた。学校に戻ると、クラスメイトのびくびくした、遠巻きの視線が……
「ねえ、錦織さん。前の学校ってどうだったの?」
「いつの間にあの二人と仲良くなったの?」
「髪の色、綺麗よね」
「えっと、一斉に質問されても困るんだけど……」
遙が座る机を囲むように女子が集まり、口々に質問を投げかけてくる。
「うるせーんだけど」
「いいじゃない、吉村君。今は休み時間なんだし」
一人の女子がピシャリと言う。光は、「はいはい、ごめんなさい」とイスの背にもたれた。
「……光、あんた不良なうえに一個年上なんでしょ? 権力弱っ!」
「ああ? 何だと?」
「ほらほら二人ともケンカしないで。それにみんな、次は移動よ」
優子が手を叩きながら割って入ってきた。遙と目が合うと、にっこり微笑む。どうやら助けてくれたようだ。
「ありがと。で、次、美術だったよね」
遙はスケッチブックを取り出し、イスから立ち上がった。集まっていた女子たちも解散する。
「一緒に行きましょ」
抱き締めるようにスケッチブックを持った優子が、すっと横に立つ。断る理由もなく、遙は「いいよ」と答え、並んで教室を出た。
「あ、今回はあいつら誘わないんだ?」
「真君と光君? そんないつも一緒にいないわ」
「ふふっ」と笑い、優子は悪戯っぽい顔で遙を見る。
「一緒に行きたかった?」
「はあ? 何であいつらなんかと」
むしろ、あいつらの方が優子と一緒に行きたかったんじゃないの? と言いそうになる。その代わりに遙は、優子を上から下まで眺めた。
アイドルを真似たふわふわの髪。垂れ目がちの大きな目。ぽってりとした唇。そしてお嬢様……まあ、不良が惚れるにはピッタリかもね。
「どうかしたの?」
「いや、別に。才色兼備ってこういうことかなと。ほら、着いたよ」
首を傾げる優子をよそに、遙は美術室に入る。思った通り、知っている美術室とは、明るさも綺麗さも違う。
「そういえば、選択で美術取ったこと無いかも」
「選択? 珍しい授業形態ね」
優子はそう言いながら、教卓の上に置かれている箱に手を突っ込み、中から一枚の紙を引く。
「まあ、科目が増えたし……って何してんの?」
「今日は人物画だから、その相手を決めるのよ。……五番だわ」
紙を広げ、優子はキョロキョロ見回す。すると一人の女子が手を振っていた。どうやら彼女が優子の相手らしい。遙も箱から紙を引く。開くと中には「九番」と書かれていた。
「九番……誰?」
紙から目を上げるが、誰も手を挙げない。どうやらまだ相手は箱の中のようだ。相手の前に座る優子を横目に、遙は近くのイスに座りスケッチブックを開く。
絵の自信ないんだけどなあ……
バラバラと入ってくる生徒たち。しかし遙と同じ番号を口にする者はいない。
あ、何かヤな予感。
「美術とかめんどくさいな」
「絵を描いてればいいんですから、ある意味楽っすよ、真さん」
ガラリとドアを開け、真と尾形の二人が入ってきた。
「何だ優子、相手は決まったのかよ」
真が残念そうに口を開き、紙を引く。続いて尾形。
お願い! 当たるなら尾形でっ!
ぎゅっと目を閉じ、心の中で手を合わせる。
「八番。悟は?」
「あ、俺も八番っす」
良かったあ~
思わず肩の力が抜ける。しかしすぐに、あれ? と首を傾げる。
「ちょっと待てよお前ら! 何で俺を置いて行ってんだよ!?」
勢いよくドアを開け放ち、光は二人を睨んだ。
「だってお前、スケッチブック買いに行くのに、どれだけかかってんだ」
「購買のおばちゃんと話してたんだよ」
ぶつぶつ言いながら光は箱に手を突っ込み、無造作に紙を引く。
まさか……ね。まだ来てない人もいるし。
「九番。九番のヤツ、誰だ?」
マジですか。
遙は光から視線を外し、紙を胸ポケットにしまい込む。そして知らんぷり。
「おい、誰だっつーの」
誰も名乗り出ないことにしびれを切らし、光はぐるりと周囲を睨む。
「あ、遙さんは何番だったんすか?」
一人で座っている遙を見つけ、尾形が近寄ってくる。「こっち来ないで」と目で合図を送ってみるが、尾形に伝わるわけもない。
「え? えと、何番だったかなあ~。あれ? 紙がどっか行っちゃったかも」
遙は口元を引きつらせ、スケッチブックを振ってみる。
「確か遙さん、九番だったわよね」
優子が振り返って口を開く。助け舟を出してくれたようだが、遙にしてみれば迷惑極まりない。
「そ、そうだったっけ?」
「先程、『九番誰?』とおっしゃってましたよ」
ガリ勉もそう言いながら振り向く。遙は思わずガリ勉を睨んだ。
「まさかお前が……」
あ、光の視線が痛い……
しかし光はそれ以上何も言わず、遙の前にどっかり腰を下ろすと、ぞんざいにスケッチブックを広げる。
「……何か文句ないわけ?」
絶対何かしら文句を言うだろうと思っていた遙は、拍子抜けしてしまう。
「文句、言って欲しいのか?」
スケッチブックに目を落としたまま、光は口を開く。どことなく険のある言い方。
「いや、別に……」
遙はなんだか気まずくなり、大人しく鉛筆を動かし始めた。
「悟、カッコ良く描けよ」
「あー、ちょっと動かないで、優子」
様々な声が飛び交う中、遙と光だけ無言でもくもくと手を動かしている。
うっ……人の顔って案外難しいのね。
そう思いつつ、遙は光の顔を観察しようと顔を上げた。光もちょうど上げたところで、ばっちり目が合ってしまう。
「っ……!」
ぼっ、と顔が火照るのが自分でも分かった。遙は慌てて下を向く。
な、何で? 人物画だから相手見るのは当たり前なのに。何照れてんの、私。
「おい、何下向いてんだよ。顔見せろって」
「ご、ご想像にお任せします」
「はあ!?」
遙は渋々顔を上げる。しかし視線は逸らしたまま。
そうこうしていると、「そこまで」と美術教師の声がした。遙は急いで描き上げる。
「じゃあ、お互いに見せ合って」
美術教師がパンッと手を叩くと、生徒たちはざわざわと見せ合い始めた。
これ、見せるべきかしら?
「あーっ! 真さん、俺のこと描いてくれてないじゃないっすか!」
尾形が悲愴な声を出す。遙はそちらを見て、思わず吹き出した。
尾形に向けられた真のスケッチブック。そこには優子が描かれていた。しかも可愛らしいタッチで。
目の中に星があるし……まさに昭和の少女マンガね。それにしても、あの真がこんな可愛い絵を描くなんて……
遙の肩が震える。大笑いしたいが、真の機嫌を大いに損ねそうなので、必死に我慢しているのだ。
「遙、お前の早く見せろ」
「あ、ああ、ごめん。じゃああんたも……」
顔を前に向けた遙は、そのまま固まった。
遙に向けられたスケッチブック。そこには、ピカソもかくやと思われる、個性的な絵が描かれていた。
「これ、私?」
「光は壊滅的に絵が下手だからな。それにしても、これは過去一番のヘタさだな」
真が笑いながら、遙の肩に手を置く。
「モデルが悪いから仕方ねーよ」
「失礼ね! 私のどこが悪いのよ?」
「まあまあ落ち着け遙。で、お前はどうなんだ?」
「こいつよりかはマシよ」
そう言いながらスケッチブックを向ける。
「誰だ? これ」
光と真、二人が眉を寄せる。
それもそうだ。遙は、リーゼントではなくサラサラヘアーの光を、現代の少女マンガ風に描いたのだった。
「あんたに決まってるじゃない。リーゼント描けなかったのよ。てか、こっちの髪型の方がカッコ良くない?」
「……お前たち二人は、もっと相手をよく見て描け」
美術教師は、溜息混じりにそう口を開いた。
「あー、今日は散々だったわ」
遙は、うーんと伸びをした後、机に突っ伏した。しかしすぐにガバッと顔を上げ、優子の姿を探す。
「あ、優子。ごめん、ノート貸して」
黒板を消していた優子は、手を止め振り返った。そして「ああ」と一人頷く。
「出てない授業の分ね」
「お願い、すぐ写すからさ。ね?」
遙は手を合わせ頭を下げるが、優子は少し困ったような表情を浮かべた。
「明日の予習したいし……」
「そこをなんとかっ! 優子ぐらいしか貸してくれる人いないし」
「うーん……じゃあ下校時間までならいいよ」
『ありがとう、優子!』
三人の声が見事に重なる。
「ん?」
くるりと振り返る遙。
「あ?」
机に両足を投げ出したまま、真の目が険しくなる。
「ああ?」
イスの背にもたれ、手を挙げていた光の眉が寄った。
「ちょっと、私が頼んだんだから便乗しないでよ」
「一体誰の為にサボったと思ってんだ」
真がピシャリと言い放つ。痛い所を突かれ、遙は言葉に詰まる。
「誰の為に、俺は今朝、殴られたんだっけなあー」
「あー痛い痛い」と、光はわざとらしく顔をしかめてみせた。
「ああ、そうですね! 二人とも私のせいですねっ!」
遙は口を尖らせると、「ふんっ」と二人から顔を逸らす。その視界に尾形の姿が入った。鞄を膝の上に置き、友達と喋っている。
遙はおもむろに腰を上げると、尾形の机の前に立った。
「な、何すか? 遙さん」
「尾形、ノート貸しなさい」
仁王立ちをし、遙は片手をずいっと差し出す。
「は、はい。どうぞ!」
遙の剣幕に押され、尾形は慌ててノートを渡した。遙はページをパラパラと捲り、「うん、ありがと」と一つ頷くと席に戻り、鞄に仕舞う。
「こえー」
真と光がポカンと口を開け遙を見る。しかし遙はそんな二人には目もくれず、鞄を持つとドアに足を向ける。
「遙さん、気を付けて帰ってね。また明日」
優子の声を背に受け、遙は振り返る事無く手を振って応えた。
「明日からは真面目に過そう。で、元の時代に帰る方法を探す」
帰り道、遙は自身に言い聞かせるように呟く。
あの二人と関わらなければいいのよ。でも優子といると、そうもいかないのよね……
「遙さん」
てか、優子はあの二人に好かれてるの知ってんのかしら?
「錦織遙さん」
「何よ? こっちは考え事……っ!」
遙は身構える。そこには綾部の姿があった。吉田も一緒かと、周囲に目を向ける。
「大丈夫。吉田さんはいませんよ。私一人です」
「……何で苗字知ってんの?」
「それぐらい、調べれば簡単です。それより、立ち話も何ですからカフェにでも……」
「今朝あんな事しといて、行くと思う?」
遙は上目遣いで睨むが、綾部は意に介する風も無く、眼鏡を直すと口元に笑みを浮かべた。
「質問の答えが知りたいのでしょう? その為にわざわざ黒羽まで来てくれたというのに……下の者が失礼をしたそうで」
「知ってたら、何でアンタが出てこなかったのよ!」
追い掛けられた恐怖を思い出し、遙は両腕を抱く。
「ちょうど席を外していたんです。いたら、あんな事は絶対させませんでした」
綾部の目が険しく細められる。本当に憤っているようだ。
「……で、教えて。どうしてスマホを知っているのか」
「ですから、そのお話はお茶でも飲みながら」
先程の憤りが嘘のように、綾部は微笑んだ。
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