第7話 喫茶店にて
「で? 何があったか話してくれるかい?」
理香子はテーブルに頬杖を突き、じっと遙を見詰めてくる。遙は紅茶を一口飲むと口を開き、今朝の事、綾部が何か知っているかもしれない事を話した。
「ふーん。で、あんた一人で黒羽に乗り込んだと」
「だってあんな不良校だとは知らなかったし……」
理香子はハハッと笑うが、すぐに真剣な顔つきになる。
「でもよく無事に逃げてこられたね。捕まってたらどうなっていた事やら」
「そ、そんなに悪い学校なの?」
「男子校だからね。そこに一人の女子……分かるよね?」
ぞっと遙の肌が粟立つ。カップを持つ手が震えた。
「ああ、別に怖がらせようと思ったわけじゃないよ? あんた無事なんだし。でもこれからは一人で行かない方が良いね」
「……この時代はこういうヤツばっかなの?」
「まあこの辺りは不良が多いからねえ……私もそうだけどさ」
理香子はそう言って鼻で笑う。
「白麗はまだマシな方だよ。優子みたいに真面目なヤツもいるし」
「はぁ……」
遙は、溜息とも相槌ともとれる返事をする。
「でも面白いだろ?」
「は?」
「真と光と関わると飽きないだろ」
飽きないというか、昨日からずっと休む暇が無い。一歩引いて状況を見れなくなるというか……
はっと我に返ると、理香子はニヤニヤ笑っている。
「あ、あいつらが、ていうかこの時代が変過ぎるから休む暇が無いのであって……元の時代ではクールキャラなんだから」
遙は早口でそう言うと、残りの紅茶を一気に飲み干した。
「何かよく分かんないけど、あんた……遙も面白いね。退屈しないで済みそうだ。さ、落ち着いたんなら戻りな」
「今更戻っても……」
これで完全に私も不良のレッテル貼られちゃったしなあ……
遙が遠い目をした時である。
「おい理香子! 遙を……あ、いた」
光が血相を変えて飛び込んできた。優子に手当てされたのであろう顔は、絆創膏とガーゼで見ているだけで痛々しい。その顔が遙を見つけ、険しいものに変わる。
「お前、何一人で黒羽に乗り込んでんだよ!」
遙たちのテーブルまでずかずか歩いてくると、光は両手を勢いよくテーブルについた。
「女一人で行くって事がどういう事か分かってんのか!?」
「だって知らなかったものは仕方ないじゃない。尾形も言ってくれなかったし……」
遙はそっぽを向き、口を尖らせた。
「何かあってからじゃおせーんだよ!」
胸倉を掴まれ、遙は無理矢理光に引き寄せられる。
「それともなにか? 何かされたかったのか?」
「はあ? そんなわけないじゃない! ちょっと綾部に会いたかっただけよ!」
光の目を睨み付けながら反論する遙。二人の間にしばし沈黙が流れる。
「お、いたいた」
それを破ったのは、真の呑気な声だった。隣には尾形がびくびくしながら立っている。
『真』
遙と光、二人して真に顔を向け、同時に名を呼ぶ。
「遙、お前よく一人で行ったな」
真は理香子の隣に腰を下ろすと、頭の後ろで両手を組み、横目で尾形を見る。
「尾形が慌てて保健室に来た時は驚いたぜ。まさか一人で行くとは思わなかった」
「僕だって思わなかったっすよ。でも飛び出して行っちゃったし……だから二人に止めてもらおうと思って」
「ま、遙の逃げ足が速かったのが良かったな。で、お二人さん。いつまでそうしてんの?」
真に指摘され、遙は顔を正面に向ける。
光とばっちり目が合った。
鼻がくっつく寸前の距離に、遙の顔が一気に赤く染まる。
「お? 何赤くなっちゃってんの? もしかして俺に惚れちゃった?」
さっきまでの険しさはどこへやら。光はにやけた笑みを浮かべた。
「だ、誰があんたなんかに……」
遙の口元が引きつり、握り締めた拳がわなわなと震える。
それに気付いていない光は目を細め、ゆっくり顔を近付け……
ドスッ
「ぐえっ」
光が間抜けな声を出し、体をくの字に曲げる。そのお腹には遙の拳。
「あんたなんか絶対好きにならないわよ。このゲス野郎っ!」
「なんだとぉ~!?」
腹を押さえながら、上目遣いで光が睨んでくるが、遙は「ふんっ」と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「よく言った!」
「やるねえ、遙」
真は腹を抱えながら、理香子は手を叩きながら笑っている。尾形は光の手前、笑うのを我慢しているが、肩が震えてしまっていた。
「あー最高だね。遙、あんた前の学校では相当目立ってたんじゃないかい?」
笑い過ぎて滲んだ涙を指で拭いながら、理香子はそう遙に問う。問われた遙は、理香子に顔を向けると溜息を吐きつつ首を振った。
「はあ……前のっていうか、令和五年の白麗ね。まあいいけど。てか目立つとかありえないし」
「お前みたいなのばっかっていう事か? うえ~最悪だな」
光は不機嫌な表情のまま、いつ間に注文したのか、オレンジジュースを呷る。
「そうじゃないわよ。下手に目立つとめんどくさいの。そりゃあ読モとかやってる子は目立ってなんぼだけど……」
「どくも……?」
四人は顔を見合わせ首を傾げる。説明しようかと思ったが、ややこしくなりそうなのでそのまま続ける。
「とにかく、私みたいな平凡な女子高生がグループに所属して、周りに合わせて大人し~く過ごすのが正しいのっ」
「おわかり?」と遙は腰に手を当てて小首を傾げた。
「周りに合わせて大人しくねえ……」
「そうよ。グループ内で、リーダーより目立つ事がどれだけ恐ろしい事か」
「目立ったらどうなるんだ?」
「無視。仲間はずれ。最悪はいじめられる」
「何だい、その学校は。それだけでいじめとかありえないだろ」
理香子は腹立たしそうにカップを置く。真も納得がいかないという表情でコーヒーを飲んだ。
「なあ、そんなんで楽しかったのか?」
空になったグラスを弄びながら、光が口を開いた。
「それは……」
遙は言葉に詰まる。
グループにいれば、少なくともいじめられる事は無い。それに、グループで行動してれば安心だし。楽しいかどうかなんて……
「すぐに答えられねーって事は、楽しくなかったんだろ」
そう言って顔を上げた光と目が合う。先程までとは打って変わった真面目な表情。真よりもぱっちりとした、三白眼気味の目が遙を見詰めている。
「う、うるさい! あんたなんかに女子の事、分かるわけないじゃない!」
見詰めてくる視線の鋭さに耐えられず、遙は目を逸らしてしまう。
な、何で真剣な顔してんのよ。あんたには関係ないのに。
ドギマギした遙は、話題を変えようと真に話し掛ける。
「それよりも、あんたやけにのんびりして来たわよね」
「ん? ああ、だってお前一人でどうにか出来るとは思ってなかったし。それに、どうせ先に光が見つけるだろうと思ってた」
「何で?」
意外な返答に、遙は思わず眉を寄せてしまう。
確かに血相変えてやって来たけど……
「だって光さん、俺の話を聞くやいなや走ってっちゃいましたからね。俺、突き飛ばされましたもん」
「悟ぅ~、お前、後で覚えてろよ?」
口元を引きつらせ、光は尾形を睨む。尾形は、「ほ、本当の事じゃないっすか~」と反論しながらも、鞄を盾に体を縮めている。
遙は信じられないという表情で光を見た。
「何だよ? 悪いかよ?」
ふて腐れたように口を尖らせると、今度は光が顔を逸らした。
「いや、別に。びっくりしただけ。えと……ありがと?」
「何で疑問形なんだよ」
真が茶々を入れる。その表情は完全に楽しんでいる。
「だってそうだと知らなかったし。というか、光に感謝したくないだけ」
「なんだってぇ~?」
「はいはい、二人とも落ち着きなよ。ケンカよりも、学校に戻らなくていいのかい?」
一触即発の雰囲気に理香子が割って入った。火花を散らしていた遙と光は、同時に溜息を吐く。
「もう不良の仲間入りしちゃったし……」
「遅刻した上にサボって、それで今から行ってもなあー……」
「あんたたちは……で、真はどうするんだい?」
理香子はやれやれといった表情で肩を竦めると、真に話を振った。しかし真も「戻るのめんどくせーなー……」と、遠くを見る。
「また留年する気かい? 今回は遙まで」
「俺は兄貴たちと遙さんについて行くっす!」
目を輝かせている尾形を横目に、遙は鞄を手に立ち上がった。
「留年とか冗談じゃない! しかもこいつらとなんてまっぴらごめんよっ!」
そう、この時代で留年とかありえない。何としても元の、便利で平凡な時代に戻るんだから。
「俺も。優子を先輩って呼びたくねーしな」
真が「よっと」と立ち上がる。
「あ、何だよ。じゃあ俺も戻ろっと。優子はもとより、お前や遙の事を先輩って言いたくねーし」
そう言って勢いを付けて立ち上がると、光は拳を遙に突き出した。
「何よ?」
さっき殴った仕返しかしら?
身構えるが、光は「ほれ」と拳を揺らす。
「手を出せばいいの?」
遙は首を捻りながら手を差し出す。その掌の上に、そっと拳が置かれた。
「遙……」
またしてもじっと見詰められ、遙の心臓が一つ跳ねる。
こいつ、リーゼントで変な学ランじゃなかったらなかなか……
「ご馳走様でした」
カサリ
くしゃくしゃに丸められた紙が一つ乗せられる。開くと、そこには品名と金額が書かれていた。
「合計……って、え? 何? 私が払うの!?」
ばっと顔を上げると、ドアの外で光が手を振っていた。満面の笑顔で。その隣には、口元に笑みを浮かべた真と、申し訳なさそうに頭を下げる尾形。
「ちょっと待ちなさいよ! 私、昨日この時代に来たばっかなのよ!?」
「やられたねえ」
笑いながら理香子が小銭を遙に手渡してくる。しかしそれは、自分の紅茶代金だけ。
「ま、元はあんたが飛び出してったからだから、観念しな」
そう言われてしまうと返す言葉もない。遙は渋々四人分の代金を払うと、「あーもうっ!」と走り出した。
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