第5話 黒羽学園

「ちょっ……ちょっと待って! てか先行っててくれていいから!」

 時間割を片手に、遙は教科書を鞄に放り込んでいく。

 目覚めると元の時代という事も無く、代わりに優子が迎えに来ていた。よほど遙の事が心配らしい。

「いいよ、焦らなくて。待ってるから」

 そう言われるとさらに焦ってしまう。とりあえず鞄に詰め込むのを終えた遙は、セーラー服に手を伸ばす。

「スカート長っ!」

 しかし今から切る時間は無い。応急処置として上部を折り短くする。それでもやっと膝上になったぐらいだ。

「お待たせ!」

 息を切らしてドアを開ける。そして外の様子を見た遙は、パタンと閉めた。

「人様の顔を見て閉めてんじゃねーよ」

 強い力で引っ張られ、遙はノブを握ったまま外に転がり出る。

「いつの間に来たのよ。住所調べたわけ? ストーカーですか?」

「すとーかー? 何だそれ」

「……説明すんのめんどくさいから忘れて」

 鍵を閉め、遙は三人に向き直る。優子を真ん中にして、左に真。右に光が立っている。

 あ、なんかお姫様とそれを守る騎士みたい。ちょうど二人とも顔に絆創膏貼ってるし。

「お前って人の顔見んの好きだよな。でも他の奴にはあんまりしない方がいいぜ。下手すると絡まれるからな」

「別に好きじゃないわよ。あんたたちが珍しいから」

 ふんと鼻を鳴らし、遙は先に歩き出す。

「遙さんって、結構気が強いのね」

 優子が隣に肩を並べて微笑む。両手で鞄を持ち、しずしずと歩く姿は良い所のお嬢様みたいである。

「ねえ、優子ってお嬢様? そうだとしても、何でこいつらと仲が良いの?」

 自然と疑問が口を突いて出た。どう見ても、優子と二人の接点は無い。

「優子の家はそりゃもう大豪邸だぜ」

「ああ、本物のおじょーだぜ」

「おじょーって……え? 家に行くほど仲が良いって事!?」

 ますます驚きだ。遙は足を止め、二人を振り返る。一体何がどうなったら、こんな不良を家に呼ぶのか。いや、呼んだのではなく、勝手にこいつらが乗り込んできたって事も……

「私の誕生会に呼んだの」

「そう、誕生会ね……へ!? 高校生にもなって誕生会? しかも家で?」

 やるとしても、せいぜい中学一年か二年までで、カラオケとかファミレスでだろう。なのに高二にして家でとか……恐るべし、昭和。

「おい、遅刻するぞ」

 遙の肩を、真のぺったんこな鞄が叩く。

「あ、本当! 急がなくちゃ!」

 腕時計に目を落とし、優子は小走りになる。

「一時間目は?」

 その後を、光が欠伸をしながらのんびりついて行く。時間を気にする素振りも無い。

「世界史よ。私、今日当たるから早く行かなくちゃ!」

「お? 今日は優子先生の日ですか。それなら出ないわけにはいきませんなあ」

「優子が教師ならやる気も出んのになあ」

 優子を追いかけるように、遙を残して二人は並んで歩いていく。遙はその背を目で追った。

 ……うらやましいな。

「あれ?」

 何でそう思ったんだろう。別にあんな不良に慕われても嬉しくもなんともないのに。友達は、自分にとって有益でなくちゃ。

「遙さん、どうしたの?」

 優子が振り返って、心配そうな表情で遙を見ている。それにつられて二人も振り返る。

「また遅刻する気か? なかなかやるなあ、遙」

 ニヤニヤと笑いながら光が口を開く。その表情にもイラつくが、それよりも言葉の最後が遙の癇に障った。

「ねえ、いつからあんたは人の事、名前で呼び捨てするようになったの?」

「ん? そうだなあ……体育の時から」

 そうだ。気を失う寸前、確かにそう呼ばれた。

「いきなり名前呼びとか失礼じゃない?」

「だってお前の名字、めんどくせーんだよ。あ、じゃあ黒レース……」

「却下」

「おい、二人仲良く遅刻すんのか?」

 いつの間にか優子に追いついている真が、溜息をつかんがばかりの表情で二人のやり取りを見ている。その隣で優子は苦笑。

「誰がこんな不良なんかと」

「誰がこんなお転婆なんかと」

 二人同時に口を開き、二人して眉を寄せて睨み合う。

「あー馬鹿らし。おい、待てよ真、優子」

 ひらりと身を翻し、光は二人に向かって走って行く。遙も盛大に溜息をつくと駆け出した。

 ドンッ

「あ、すみません」

 ちょうど角を曲がってきた学生と肩がぶつかってしまった。遙は足を止める事無く軽く謝ると、再び前を向き……

「おい」

 いきなり肩を掴まれ引っ張られた。

「きゃっ! 何すんのよ、危ないじゃない!」

 そこには学ラン姿の二人組が立っていた。

 一人は眼鏡を掛け、いかにもインテリ然としている。もう一人、遙の肩を掴んだ方は、裾が真よりも長い学ランを着ていて、遙の事を頭から足先まで見ると、ドスのきいた声で凄んできた。

「お前、白麗のやつやな? 慰謝料払ってもらおか」

「はあ!? 何、そのドラマのヤクザみたいな絡み方」

「早く謝った方が良いですよ。吉田さん、怒ると手が付けられないですから」

 インテリが気だるそうに口を開く。今にも溜息をつきそうである。

「謝ったじゃない。もう……ぶつかってごめんなさい。じゃ、遅れるんで!」

「ちょお待てや。やから慰謝料」

 吉田と呼ばれた、長い学ランを着た男が手を出す。片手は遙の腕をがっしりと掴んでいる。

「ぶつかったぐらいで怪我する訳ないじゃない」

「離して」と、遙は腕を振る。

「金が出せん言うなら、体でもええんやで?」

 腕を引っ張られ、遙は吉田の胸に飛び込む形になる。顔を上げキッと睨むが、吉田は笑みを浮かべ顔を近付けてきた。

「白麗の生徒にしては変わった女やな。スカートも何や、短いし……お、耳になんか通してる! なあ、痛ないんか? これ」

 物珍しそうに吉田は遙のピアスを眺める。この時代、ピアスはまだ珍しいらしい。

「これはピアスよ。別に今は痛くないし……って離してよ!」

「ピアス」という単語に、インテリがぴくっと反応した。しかし抵抗を続ける遙は気付かない。

「遅刻したらあんたのせいだからね! それこそ迷惑料、払ってもらうわよ!」

「おう、俺の体で払ったるわ」

「結構よ!」

「あっれ~? これはこれは。黒羽の吉田さんじゃないですか」

「うちの生徒に何か用っすか?」

 遙は首だけで後ろを振り返る。そこには、先に行ったはずの真と光が立っていた。二人とも、口調とは裏腹にその表情は険しい。吉田もすっと目を細め、遙を掴む手に力を込める。

「いた……っ!」

 遙の顔が歪む。

 こんな乱暴に扱われたことなんかない。抵抗しても全然通用しないなんて……

 遙は少し恐怖を覚える。

「いや、この女がぶつかってきて謝りもせえへんからな」

「さ、さっきも言ったけど、謝ったじゃない!」

「謝ってるって言ってるけど?」

 光が一歩近づく。しかし吉田は笑みを浮かべると、遙をインテリに向けて突き飛ばした。突然のことによろめく遙。その体をインテリが抱き留める。

「綾部。その女、逃げられんようにしとけや」

 光と対峙したまま、吉田はインテリ――綾部に告げる。真と光、吉田が好戦的な空気を放つ中、綾部だけは冷静であった。

「分かりました。吉田さん、手加減はして下さいね。病院送りとか面倒臭いので」

 綾部は仕方が無いというように溜息をつき、後ろ手に遙を拘束すると、空いている方の手で眼鏡を直す。

「手加減って……今から何するつもり?」

「何って……喧嘩に決まっているでしょう。馬鹿ですか?」

「はあ!? 何でいきなり……」

 バキッ!

 骨を殴る、鈍く硬い音。遙ははっと視線を向ける。

 吉田の拳が光の左頬にヒットしていた。しかし光は足を踏ん張ると――口内を切ったのだろう――口元から流れる一筋の血を手で拭い、不敵に笑む。

「これが黒羽ナンバーワンのパンチってか? 全然効かねえなあ!」

 光も拳を繰り出すが、吉田に止められてしまう。そして空いている腹部に吉田の膝蹴りが入る。

「ちょ、ちょっとやめてよ……」

 男同士の殴り合いの喧嘩など、ドラマ以外で実際に目にしたことがない遙は、恐怖で体が強張り、掠れた声しか出せない。目を逸らしたいが、それすら出来ない。

「綾部とか言ったわよね? 止めて。やめさせてよ」

「白麗の、しかも向井さんと吉村さんが助けに来るぐらいの生徒なのに、喧嘩を見慣れていないとは……」

「そいつは昨日、転校してきたばっかなんだよ」

 平べったい鞄で肩を叩きながら、真が綾部の前に立つ。綾部は表情一つ変えることなく、自身の盾にするように遙を間に立たせた。

「ちょっと、あんた何人を盾にしてのよ!」

「これも戦略です。向井さん、これで手は出せないでしょう」

「あんた、卑怯よ」

 遙はなんとか顔を向け、綾部を睨み付ける。しかし綾部は、遙の視線を受けても顔色一つ変えない。むしろ鼻で笑った。

「ふっ。卑怯もなにも……勝てばいいんです。私は手を汚さずに」

 いたいた。こういうヤツ。取り巻きに指示を出すだけで、自分は何もしない。先生に見つかっても、「私は何もしてません」って……

 段々遙はムカムカしてきた。

 大体何なの? こいつら。ヤクザみたいに絡んできたかと思えば、いきなりケンカ始めるし。しかもこんなヤツに私、人質にとられてるし。

 目の端では、光が吉田とつかみ合っている。吉田は余裕の表情だが、光の方は息を切らし、足元がふらついている。

 真は、綾部に手を出そうにも出すことが出来ず、イライラとした表情で睨み付けるだけ。

「……っ! もうっ!」

 遙は右足を思いっきり後ろに蹴りつけた。

「なっ……つっ!」

 遙の右足は、綾部の弁慶の泣き所に当たったらしい。あまりの痛さに、綾部が手を緩めた。その隙に遙は真の横に逃れ、半ば隠れるようにして立つ。その遙に、真は振り返ることもせず鞄を渡してきた。黙ってそれを受け取る。

「よし綾部。覚悟しろよ」

 指を鳴らしながら真は足を踏み出す。綾部は痛む足を押さえたまま睨み上げるが、舌打ちすると目を逸らし、「降参」というように手を挙げた。

「今日は負けでいいですよ、私は。それよりあちらを助けに行かれては? 大分苦戦しているようですよ」

 遙と真は綾部の視線の先を追った。そこには地面に倒れ込む光と、追い打ちをかけるように光の腹を蹴る吉田。

「光っ!」

 真が駆け出すより先に遙が動いた。

 真の鞄を放り捨て、自分の鞄を両手で持つと、吉田の頭めがけて大きく振り回した。

「おりゃあぁぁぁぁっ!」

 気合とともに、鞄は吉田の側頭部にクリーンヒットする。その拍子に鞄のふたが開き、中身が飛び出した。

「な……何すんねやっ!」

 頭を押さえ、数歩よろめきながら吉田は遙を振り向く。遙はぜえぜえと肩で息をしながら上目遣いで吉田を睨んだ。

「もうどう見てもあんたの勝ちでしょ!? なのにまだやるとか……あんたバカぁ!?」

「何やと? この女……!」

「殴るならやってみなさいよ。女に手を出すDV男って広めてやるから」

「で、でぃーぶい? よう分からんけど、そう言うなら殴ったるわ!」

 吉田が拳を握る。今までの遙ならぎゅっと目を閉じていただろう。しかし今の遙は、キッと睨んだまま目を放さなかった。

 吉田の拳が遙の顔めがけて繰り出される。

「遙っ!」

 真が間に入る前に、拳は止められた。

「吉田さん、もう行きましょう。今日は痛み分けということにして」

「止めんな、綾部!」

 吉田の拳を受け止めたまま、綾部は冷静に口を開く。しかしその目は遙に向けられていた。

「少し気になることが出来たので……遙さんでしたか?」

「何よ?」

「これはどうしたのです?」

 綾部の手に握られていた物。それはスマホであった。

 先ほど飛び出した中にあったらしい。制服のポケットにもスカートのポケットにも入らなかったので、鞄の中に入れたのだった。

「あ! 返してよ。文字化けしてるけど私のなんだから」

 ずいっと手を差し出すが、綾部はさっとスマホを遠ざける。

「これが何だか知ってますか?」

「はあ? 馬鹿にしてんの? スマホよ。スマートフォン。答えたんだから返して」

 綾部は遙をじっと見詰めると、スマホを返してきた。てっきり「取り返してみろ」と言われるだろうと思っていた遙は拍子抜けしてしまう。

「いらないのですか?」

「い、いるわよ」

 ひったくるようにスマホを取ると、遙はすぐに鞄に放り込む。そして散乱している教科書などは無視し、光に駆け寄った。

「ちょっと、大丈夫?」

 光は上体を起こしていたが、学ランは汚れ、顔も酷い有り様である。遙は少し逡巡した後、スカートのポケットからハンカチを取り出し、光に手渡した。

「なんだ、手当てしてくんねーの?」

「勝手にケンカして負けたくせに」

 そう言い残し、遙は教科書を拾い始める。吉田たちの足元に差し掛かると、頭を上げ、睨みつけながら口を開く。

「ぼーっと突っ立ってないで手伝ってくれない? ほら、真も拾いなさいよ」

「お、おう」

 遙の剣幕に押され、真もしゃがみ込むと拾い始めた。

「吉田さん、行きましょう」

 拾い集めている二人を冷たく見下ろし、綾部は吉田を促す。吉田は納得のいかない表情だが、綾部の冷たい表情に気圧され足を踏み出した。

「白麗の向井と吉村つってもたいした事ないなぁ。ま、次は向井もボコボコにしたるわ。ほなまたな」

 悪役のような捨て台詞を吐き、吉田たちは去っていった。遙を始め、誰も聞いていなかったが。

「……これで全部ね。よしっと」

 バチンと鞄を閉じ、スカートを払いながら遙は立ち上がる。そして辺りをきょろきょろ見回すと眉を寄せた。

「あいつら逃げたわね。んもう、何なのよほんとに!」

「黒羽学園番長の吉田と、副番長の綾部だってば」

 そう言いながら、光が遙の背中に寄り掛かった。いきなりのことに、遙はよろめく。

「……重い。それに制服汚れるから離れて」

 横目で光を睨み、遙は冷たく言い放った。光は「ちぇっ、ケーチ」と言いながらも素直に従う。すかさず制服の汚れをチェックする遙。

「どこも汚れてないわね。さ、急ぐわよ! 二人とも」

 スカートを翻し駆け出した遙だが、二人がのんびりと歩いていることに気付き振り返った。

「ちょっと……」

「今更走っても一緒だって」

「遅刻決定だからな」

 そう言って二人が指差す先にある時計に、遙は視線を向ける。時刻はホームルームを過ぎ、一時間目半ばを告げていた。

「……マジ?」

 顔が引きつる。

 昨日は……まあ仕方がない。だけど、今日は目立ちたくなかったのに……

「ま、優子の発表を見れなかったのは残念だけど、ゆっくり行きましょーや」

 追い付いた光が気軽に肩を組んでくる。しかし遙は振り払うことをせず、代わりに重く長い溜息をついた。

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