第4話 こんなサッカー、あり!?
「遙さんもこっちに来て応援しましょ」
「いや、遠慮しとく」
木陰に座り、遙はムスッとした表情で答える。
体育の合同授業。男子はサッカーだが、女子は何故か両クラスとも制服のままで男子を応援している。遙は昼休みの事があるので、応援はおろか、二人の姿さえも目にしたくない。
「はあ……疲れた」
溜息をつき、四階を見上げる。
今のうちに飛んでこようかしら。あーでもダルいなあ……HPレッドゲージって感じ。
ぼーっと校舎を見詰めていると、男の怒声が耳に飛び込んできた。
「オラァッ! 向井覚悟しやがれっ!」
目を向けると、A組の男子がパスを受けた真に殴りかかっている所だった。しかし真は半身を逸らして避けると、「光っ!」とボールを渡す。
「はいよっと」
真からのボールを胸で受け、光が蹴り出そうとした時であった。
「吉村君、カッコいい~!」
A組の女子が黄色い声を上げる。
「え? 本当か?」
瞳を輝かせ振り向く光だが、その顔面に拳がヒットした。
「ちょっと……!」
遙は立ち上がり、優子たちの所へ走り寄る。殴られた光は鼻を押さえ蹲っている。地面には血。どうやら鼻血を出しているようだ。しかし教師は止める事をしない。
「何で止めないの? 流血してんじゃん! ねえ、優子!」
「頑張って、光君!」
「そう、頑張ってって……いや、止めなきゃ!」
ゆらりと光が立ち上がった。グイッと鼻血を拭う。その目は完全に据わっている。今までとは違う光の雰囲気に、遙の肌が粟立つ。
「真、本気出しちゃいますか」
光の口が、ニヤリと歪む。
「おう、出しちゃいましょう」
「俺も手助けします!」
尾形がぶんぶんと手を振ってアピールする。その横を、A組男子がボールを蹴って駆け抜けていく。
「今回はA組の勝ちだな!」
ははっと笑いながら、シュートを放とうと右足を後ろに引いた。が、そのまま前のめりに倒れ込む。
「させませんよ」
ガリ勉が右足をむんずと掴んでいた。
「いや、どう見ても反則……」
遙が呆然と呟くしか出来ない。
何なのこれ? 本当に体育の授業なの?
『うぉぉぉぉっ!』
二人分の雄たけびに視線を向ける。真と光が、まとわりついてくるA組男子を振り払い、時には突き飛ばしながらボールめがけて駆けていた。
「真、カッコ良く決めてくれよ!」
一足先にボールに辿り着いた光が、真にパスする。
「分かってるよ」
受け取った真はくるりと振り向き、相手ゴールに向けて走り出した。
「真君、いっけぇ~っ!」
優子が両手を口に当て叫ぶ。他の女子も声援を送る。
「いや、これ、サッカーじゃない……」
「おりゃーっ!!」
真が気合を込めてシュートを放った。ボールは強烈な勢いでゴールポストに当たり……
「あ、やべ」
「遙さん、しゃがんで!」
「へ?」
優子たちC組女子が一斉にしゃがむ。遙は状況が把握できず、「え? え?」とキョロキョロしていた。
「遙、危ねぇっ!」
光の声に、思わずそちらに顔を向けた。目の前にボール。理解する前に衝撃が顔面を襲う。
あ、HPゼロ……
遙の視界は暗転した。
顔が痛い。ていうか、じんじん熱い。鉄の臭いがする。
遙はうっすらと目を開けた。白い天井。ふかふかのベッドの感触。
目だけで周囲を見回すと、ベッドを囲むようにカーテンが引かれている。保健室のようだ。
「ん……?」
じんじんと痛む鼻に違和感を覚え、手を伸ばす。詰め物がされていた。しかも両方。
遙はガバッと上体を起こし、鼻を押さえる。
そうだ。ボールが顔面直撃して気を失って……
「もしかして、その衝撃で元の時代に戻ってたり……!」
マンガではよくある事である。遙は嬉々としてカーテンを開けた。
「おっ。起きた」
遠くで部活動に励む生徒の声。オレンジ色に染まる保健室。その中に一人の生徒。そのあまりにも出来過ぎた光景に、遙は目を見開いて見詰めるしか出来なかった。
「何だよ。というかお前、まだ鼻、赤いぞ」
目尻と口元にガーゼを貼った学ラン姿の光が、自身の鼻を指して笑う。はっと我に返った遙は、布団を引き上げ鼻を隠す。
しまった。詰め物をされていたことを忘れてた。あまりにも間抜けな姿を晒してしまった。絶対これからイジられる。ネタにされ続けるんだ……
「何一人で青くなったり赤くなったりしてんだ?」
イスから立ち上がり、光が近付いてくる。遙は隠したままで、慌てて詰め物を取るとシッシッと手を振った。
「大丈夫。大丈夫だから近付いて来ないで」
「人が心配してんのに、それはないでしょ」
ギシッと片手をベッドに突き、光が顔を寄せてくる。対して遙は、片手を後ろに突き上体を引く。
「な、何であんたはそう距離が近いの!?」
「遙さん、気が付いた?」
ガラリとドアが開き、優子が二つの鞄を手に入ってきた。が、二人の様子を見ると顔色を変え、小走りで駆け寄る。
「ちょっと、何してるの光君。遙さん、悪い事されてない?」
光を押しのけ、優子が心配そうな顔で遙を覗き込む。
「え、ええ、大丈夫……って今何時?」
「もう放課後よ。遙さん、あれからずっと気を失ってて……」
「この俺様がついててやったって事」
優子から平べったい鞄を受け取り、それをひょいっと肩に担ぐと、光はムスッとした表情のまま出て行った。
「……そうなの?」
光の背が見えなくなってから遙は口を開く。優子は「そうよ」と複雑な表情をした。
「どうせサボりたかっただけなんだろうけど……あ、でも保健室に運んでくれたのも光君なのよ」
「もしかして……お姫様抱っこで?」
女子の憧れ「お姫様抱っこ」。まさかアイツにやられたとか……
「よく分からないけど、違うと思うわ」
「良かった~。……じゃあどうやって?」
「えと、それは……あ、それより早く帰りましょ。送っていくわ」
明らかに困惑している。一体どうやって運ばれたんだろう? 知りたいような、怖いような……
「帰らないの?」
「え? あ、帰る……」
ベッドから下り、靴を履く。そこで遙は思い出す。帰るのは二〇二三年にだ。
「優子、どうもありがとう。じゃ、さよなら」
早口にそう言うと、遙は保健室を飛び出す。そして、その勢いのまま四階、二年C組の教室へ向かう。今は放課後。運が良ければ誰もいないかもしれない。
これで元の時代に帰れる……!
ガラッ
「あ、遙さん、大丈夫っすか?」
教室内には、尾形と数人の男子が残っていた。一気に遙のテンションが下がる。
「何でまだ残ってんのよ……」
「いや、俺たちは真さんと……ふがっ!」
一人の男子が尾形の口を手で塞ぎ、遙に笑ってみせる。が、どう見ても引きつっている。
「……何? なんかあるの?」
遙は眉間に皺を寄せ、尾形たちに近付く。しかし尾形たちは口を開かず、ただ首を横に振るばかり。遙は、「ふん」と鼻を鳴らすと窓に近付き開けた。
夕暮れの、冷えた風が頬を撫でる。遙は下を見る事無く目を閉じると、尾形たちに邪魔されてはかなわないと一気に飛んだ。
「は、遙さんっ!?」
尾形の悲鳴を背に、遙は落下する。不思議の国のアリスの様に、スカートを広げながら。
「うおっ! 本当に黒のレースだ!」
「だろ? っておい、何真下に移動してんだよ」
何やら不穏な会話が、風の音とともに遙の耳に入ってくる。
「ってことはブラジャーも……」
『黒のレース!?』
二人の声が綺麗にハモった。
「うるさいっ! ……きゃあっ!」
目を開けたためにバランスが崩れる。そして襲ってくる恐怖。遙は空中でもがく。
「おい、大人しくしろ! 暴れると怪我するぞ!」
さっきとは打って変わって真剣な真の声。遙はパニックになりつつも、下に目を向けた。
ブルーシートと、それを持つリーゼント二人……遙はぎゅっと目を閉じ、受け身の姿勢を取る。
バスンッ!
遙の体がブルーシートの中央に落ちた。その衝撃に二人は耐え切れず、遙に向かって倒れ込む。ブルーシートの下には体育マットが敷かれていたらしく、地面に激突は免れた。
「痛い……重いっ……」
二人の下敷きになっている遙が呻く。
「いってぇ~……」
「いたたたた……」
二人はそれぞれ呻きながら上体を起こし……動きが止まった。そして一人がそろりと遙のスカートに手を伸ばす。
「変態」
バシッと光の手を叩くと、遙は痛む体を擦りながら起き上がった。この二人がいる時点で元の時代ではないと分かっているが、一応辺りを見回してみる。さっきと同じ風景。
「遙さん、大丈夫っすか!?」
四階の窓から尾形たちが顔を覗かせている。
「三人とも怪我はない!?」
優子が慌てて駆け寄ってきた。
「何で? 何で戻れないの!? 何でよーっ!!」
遙は空に向かって叫んだ。
ベッドに寝転がり、遙は何をするでもなくぼんやりと天井を見上げていた。
あの後、優子に付き添われる形で帰途についたのだが、不思議な事に帰る家があった。しかも二〇二三年と同じ住所に。ただ、マンションではなく、古びたアパートになっていた。中も、艶の無いフローリングに、小さなテーブルと座布団。そして、今遙が寝転んでいるベッド。
そんな部屋の中央に、紺のセーラー服と学生鞄、教科書類がでんと置かれていた。
「戻れないって……これからどうしよ」
ぽつりと呟く。頬をつねってみても痛いだけ。どうやら夢ではないらしい。
何をすべきか分からず、遙はごろりと横を向く。
それにしても、この時代の白麗高校は一体何なんだ。結局、あのサッカーだって優子が話すには、あの後大乱闘になり、その隙に尾形が蹴った一球が入りC組の勝利。合同体育の時は、あれが普通だという。ちなみに、A組の捨て台詞は「次は勝つ!」だったらしい。
「スマホも使えないし……」
相変わらず文字化けしているスマホを放り、遙は溜息をついた。
「何か……疲れた……」
瞼が落ちてくる。
こんなに疲れたのは何年振りだろう。とりあえず、起きてから考えよう……
遙の意識は途切れた。
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