第4話 空に昇る人

『バカ野郎! 工房にでも何でもついて行って、買って来んかい!』


 スマホの向こうから、上司が怒鳴りつけて来る。電波を伝って、唾まで飛んできそうな勢いだ。


 僕はスマホから耳を離すと、「分りましたよ! もう!」と怒鳴り返して電話を切った。


「飴なんか買わなきゃよかったかなぁ~」


 飴市からほど近いハンバーガー屋のカウンター席で後悔を呟きながら、僕はスマホで、最寄りのレンタカー屋を検索した。



 飴屋は四時きっかりで店を畳み始めた。 

 各々、トラックに屋台と売れ残りの飴を積み込み、積み終わった車から次々と撤収していく。


 僕はレンタルした軽自動車で、佐藤君の白いトラックを尾行した。


 佐藤君のトラックは、高速道路をひた走り、次に山道へと入った。私道のような舗装されていない道をガタガタいわせて登ってゆく。


 夕方の山道は暗く、ライトをつけたかったが尾行がバレては元も子もない。僕は冷や汗をかきながら、ハンドルを握り続けた。


 すっかり暗くなった頃、トラックは一軒のログハウスに辿り着く。家の灯りは、すでについていた。同居人がいるようだ。


 一見別荘のようなその家の敷地に、白いトラックは駐車した。適当に切り開いて整地した場所に砂利を敷き詰めた、普通車五台は停められそうな広い駐車場だ。


 僕は佐藤君が家に入ったのを確認してから、その駐車場にゆっくり車を乗り入れた。


 車を下りると、足音をたてないよう注意しながら、灯りがついている一階の部屋の、ベランダへと移動する。


 そこで僕は、信じられないものを見た。


 リビングと思わしき部屋の隅には、ベッドが一つ、置いてあった。淡いブルーのかけ布団がわずかに膨らんでいる。誰か寝ているようだ。

 僕が覗きこんでいる窓際に頭があるため、どんな人が寝ているのかは分らないが、佐藤君はその横に椅子を置いて、腰かけていた。


 彼は相変わらず菩薩のような顔に柔らかい微笑みを浮かべて、ベッドの中にいる誰かと話している。


 ベッドから痩せた腕が一本、宙に浮くように、佐藤君に差し出された。佐藤君が、その手を握る。

 すると、かけ布団の周りから、無数の小さな光が浮かびはじめた。まるで、かけ布団から蛍が生まれて、上へ上へ飛んで行くように、小さな光は天井へと昇ってゆく。そして、その光は天井を通りぬけて、おそらく屋根も通り抜けたのだろう。天を仰ぐと、塵のような細かい光が、星がまたたく夜空へと舞い上がっていた。


 佐藤君が握っていた手が、透け始めた。その痩せ細った腕からも、蛍のような光が生まれては昇ってゆく。そして最後の光の一粒が、ふい、と宙に舞った時、腕は消えた。同時に、ブルーのかけ布団の膨らみが、すう、と落ちる。


 消えた。人が一人。


 僕はバクバクする心臓を押さえた。今日、飴屋の前で佐藤君の同業者達に睨まれた時と、同じ類の寒気も覚えていた。


 頭の中では『逃げろ、今すぐ』と本能が警鐘を鳴らしているのに、体が動かない。


 佐藤君は立ち上がると、空になったベッドに向かって、深々と頭を下げる。そして彼は頭を下げたまま、ぐるりと首を回して、僕がいるベランダに顔を向けた。


 佐藤君と、目が合った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る