第3話 飴屋の掟
翌日、青年に教えられた住所に行くと、本当に飴市が立っていた。その場所も、僕が飴を買った時のような、細く暗い裏路地だった。
もう少しマシな場所で営業させてもらえばいいものを。と思いながら、飴市に向かって歩いて行くと、バス停のベンチに座っているお爺さんの前を通りかかる。
白い半袖のカッターシャツに、ループタイを締め、こげ茶色のスラックスと黒い革靴を履いた、こじゃれた老紳士だ。
彼は右手にある油紙から琥珀色の飴を摘まみあげると、実に嬉しそうに口にふくんだ。
「あ、その飴、もしかして」
僕は思わず、その老紳士に声をかけた。
老紳士は僕を見上げ、愛嬌のある微笑みを浮かべると、
「そう、飴屋台の飴ですよ」
と答えてくれた。
「兄ちゃんも、飴を買いに来たの?」
「ええ。○○県から」
「そうかい。ワシは月一の楽しみさ。兄ちゃんも好きなんだねえ」
誤解されたようなので、僕は、取引先からどうしてもと言われて買いに来たのだと説明した。
なるほど、お仕事でねえ――
老紳士は感慨深げに頷くと、
「取引先の人も、『一雫中毒』になっちまったか」
と楽しげに笑った。
飴一粒の中毒。『一雫中毒』
言い得て妙だ、と感心した。
老紳士は痩せた頬の内側で飴をコロコロと動かしながら、――いや、本当に美味いんだよね、これが。と目を細める。
「特級の酒をショットにほんの一杯、飲まされた気分だよ。ワシはいつもこれなのさ」
などとお洒落な事を言って、彼は得意げに含み笑った。
僕は老紳士と別れると、屋台の列の先頭にある飴屋に立った。中で座っていたのは、この前の青年だった。
今日も藍染風の作務衣を着て、黒髪を後ろで束ねている。
「やあ」
声をかけると、青年は目を丸くした。
「お兄さん、わざわざこんな遠くまでいらしたんですか」
「そ。取引先の孫さんが、ここの飴をいたく気に入ったもんでね。――これ、俺の名刺」
僕は、名刺入れから一枚取り出すと、青年に差し出す。
青年は両手でそれを受け取ると、すぐに僕の名前を確認した。
「
「よろしく」
僕が軽く頭を下げると、青年もお辞儀をして「佐藤と言います」と名乗ってくれた。
飴屋が『サトウ』なんて下手な洒落みたいだなと思いながら、僕はまた、飴を買いに来た旨を佐藤君に告げた。おかげで商談もうまくいきそうだ、と。
佐藤君は「お役に立てて光栄ですよ」と、菩薩顔に柔和な笑みを浮かべてくれた。
よし、いい調子だ。僕は内心ガッツポーズを取りながら、佐藤君に手を合わせる。
「それで、ちょっと頼みがあるんだ。まとめて買わせてもらえないかな? 先方がさ、もっとたくさん買って来てくれないかって言うんだよ」
途端、佐藤君の笑顔が曇る。心底申し訳なさそうに眉を下げた彼は、「すみません」と謝ってきた。
「決まりは決まりですから。厳しいんですよ、ここの決まり」
決まり、と三度も言われてしまったが、僕は「そこをなんとか!」と食い下がった。
ふいに、右半身にぞくりと寒気を覚える。見ると、佐藤君の屋台から右にずらりと並ぶ露店の店主たちが、僕を睨みつけていた。皆、のっぺりとした無表情なのに、眼力だけが異様に鋭くギラギラしている。
思わず後ずさった僕に、佐藤君はもう一度「すみません」と頭を下げた。
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