第6話 弟君の部屋にて
「紅茶でよいか? メイドにもってこさせよう」
そういうと、弟君は何やら隣の部屋に移動して鈴を鳴らした。
すぐ隣の部屋で、侍女になにやら指示を出す声が聞こえた。
「陛下、風邪でもひかれたのですか?」
メイドが驚いているのか頓狂な声を上げる。「いつもは、お酒を召し上がるのに。お医者様をお呼びしましょうか?」そんなことまでいうとは、なかなか素直なメイドだ。同僚として働いたら楽しかったかもしれない。
私は今、どうやら弟君の部屋にいるらしい。
大きなベッドは極上の綿のシーツで包まれていた。
しばらくすると先ほどのメイドの声とともにあたたかな香りが漂い始めた。
「もう、本当大変ですよ。お城中、死んだように静まると思ったら、みんな死ぬほど働かされてますからね。王太子様の葬儀のために。喪に服して静かに悲しむ暇なんてありゃしない。まあ、そりゃあ、あたしたちは王太子様の姿を遠くからお見かけしたことくらいしかないですけど。でも、コックに料理を頼もうとしたらひどいんですよ。『シッシッ』って私を犬か何かを追い払うみたいにするんですから。まあ、確かにいつもちょっとばかり、難しいお願いをすることが多いですけど。仕方がないので、食べ物はあたしの秘蔵のやつです。普通のお貴族様なら口にすることなんてないでしょうが、旦那様なら大丈夫でしょう」
まあ、よくしゃべるメイドだ。
この王宮でこんなに主に向かってしゃべるメイドがいるとは意外だった。
大抵のメイドは王族や貴族の前では人形のようにふるまう。
できるだけ無個性で面白みのない存在であるように。
誰かの目に留まり、いたずらの的にされないように。
だけれど、このメイドは国王の弟君に対して、まるでパン屋のおかみさんが常連に世間話をするように気安く話しかけているのだ。
もしかして、このメイドは弟君のお手付きなのだろうか……。
そんなことを思っていると、弟君の「しっ、しっ。ご褒美はあとでやるから。とにかく今は一人にしてくれ」という声が聞こえた。メイドは怒るのかと思ったら、ちょっと笑いを含んだ声で「はーい」という返事の後、扉が閉まる音が聞こえた。
「おまたせ。あの様子じゃ、一日中何も口にしていないのだろう」
そう言って、弟君はそっと私にカップを差し出した。
温かな湯気が目の前に立ち上り、にわかに感覚が戻ってきた。
熱い紅茶を飲み干すと、胸の真ん中に冬のお日様でも飼っているのかと思うくらいあたたかくなった。
食事もスープと菓子が用意されていた。
弟君はそれも食べるようにと示すが、私は首を振った。もちろん、拒絶の意味でだ。
だって、弟君の遊び相手から恵んでもらった食べ物など口にしたくなかったのだ。
昨夜の夢のような時間はやっぱり貴族のお遊びで、今も同じだと思うと悔しい。
前言撤回、あのメイドと同僚として働くなんて御免だ。
「独楽鼠といっても、貴族の出身だったか……そしたらこれはもしかしたら口にしたことがないかもしれない……結構、イケるのだが。一口でいいから食べてみないか?」
そういうと、弟君はスープを一匙すくって自分の口元に運んだ。
そのまま食べるのかと思ったら、ふうふうと息を吹きかけて、私の方に差し出した。
故郷で、妹弟たちが、食べるのをぐずったときに私もこうやっていた。
口元にまでもってこられた匙を拒絶するのは難しい。
ましてや一日なにも食べてなったのだ。それに私は別に庶民の食事には慣れている。スープの匂いは私が空腹だということを思い出させた。
私はしかたなく、ひな鳥のように口をあけ、弟君の差し出したそれを受け入れた。
「あたたかい」
美味しかった。でも、あのメイドが作ったものを美味しいとほめるのはなんとなく嫌だったので、感じた事実だけを言葉にした。
「そうか、それはよかった。さあ、もっと食べるだろう」
弟君は嬉しそうにそう言って、もう一匙すくおうとするので私はあわてて自分で食べられるということを示した。
一通り食事をすると、弟君は満足したようで、少しだけ心地のよい距離感に戻ってくれた。
「あのメイド、面白いだろ。私が街で拾ってきたんだ。さすがに王宮のメイドとしてやとうことはできないので、郊外の別邸のメイドとして雇っている。なにかと気が利くから連れてきているんだ」
ふと、弟君は口にした。
「ええ、とてもよくしゃべる方みたいですね」
私は主観は口にしないように気を付ける。
本当はあのメイドはあなたのお気に入りで、気が利くというのも別な意味が含まれているんでしょうと皮肉屋っぽく言い当ててやりたかった。
だけど、こうやって優しくされているのにそんな風に急に怒り出すのはお門違いというのは冷静な私はよくわかっている。
何を話せばいいか分からない。
そもそも、弟君のことは知っていても、弟君が私のことを知ったのはおそらく昨夜がはじめてなのだから。
だから、それより前からの付き合いのメイドに嫉妬するなんて私がおかしいのだ。
「とても疲れていると思うが、話があるんだ。少し歩けるか?」
しばしの沈黙の後、弟君は何か思い悩んだように口にした。
「この国で王族である貴方に逆らえるのは国王陛下と王妃様くらいですよ」
とひねくれた私は返事をした。
「ああ、そうか……じゃあ、疲れていると思いますが今から散歩に付き合っていただけますか。レディ?」
弟君はまじめくさって、お辞儀までして私に手を差し出した。
急にそんなことをされたのがびっくりして、おかしくて、私は思わず笑ってしまった。
弟君もほっとしたように笑う。
私がその手をとって立ち上がろうとしたとき、よろけてしまった。
どうやら自分で思っているよりも疲れていたらしい。
崩れかけた体制はすぐ、弟君によって支えられて事なきを得た。
だけど、事態はそれだけではすまなかった。
弟君は私の全体重を受け止める姿勢から、そのまま私を抱えたのだ。
「ちょっと、おろしてください。これじゃ、私が穀物の袋か何かみたいじゃないですか」
そんな文句をいうと、
「じゃあ、ちゃんとレディらしく。私の首に肩を回して……っと」
そうして弟君は私を横抱きした。まるで小さな女の子にでもなった気分だ。小さなころ読んで物語のさし絵では、お姫様は最後に幸せになるときに結婚式でこんな風に王子様に抱きかかえられていた。
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