第5話 王妃の嘆きとスカートに雨

 翌朝、私は王太子様の死体を発見した。

 昨夜のことが、間違いだったらいいのにと私は朝から何度も思っていた。

 弟君との晩が夢だってかまわない。

 だけれど、王太子様の死も弟君との夜の庭園も変わりなく現実だった。


「大変です。王太子様が亡くなっています」


 私は静かに事実だけを口にした。

 部屋の警護をしていた者たちがどよめき、走り出す。

 ほどなくして、王妃様が現れた。

 真っ白なシュミーズドレスを着たその姿はしどけなく、王妃というより少女のようだった。

 王妃様は王太子様のそばに行き、抱き着くようにしながら王太子様の名前を呼んだ。

 だけれど、王太子様は再び目を開くことはなかった。

 王妃様がそれでもあきらめずに、王太子様の亡骸にしがみつき、その名を泣き叫んでいると医師と聖職者たちが部屋に現れた。


「お願い。この子を、この子を助けて!」


 王妃様は医師に必死に頼む。

 こういう場になれているのか、王宮付きの医師は肯定も否定もせずに、そっと王妃様をどけ、王太子様の脈をとり、瞼をめくり瞳孔を確認した。

 そして、静かに首を振った。


「嘘よ。だって、まだこんなに小さいのよ。未来の王なのよ。私と国王の子なのよ。どうして? 死ぬわけなんかない。この国の未来そのものなのに……太陽を失ったこの国はどうなってしまうの……」


 王妃様は医師や聖職者にたしなめられても最後まで、王太子様の死体のそばを離れることはなかった。

 まるで、ずっとそこでそうしていれば、王太子様の死が現実のものとはならないと思っているかのようだった。

 最後はすっかり憔悴したようすの王妃様を国王陛下がそっと、支えるようにしながら部屋をでていくことになった。


 私は、ただその様子を一日中、見守ることしかできなかった。

 王妃様が王太子様の死の原因を求め始める瞬間に、可能な限り一番マシな選択肢を選ぶために。

 でも、王妃様が王太子様に目を覚ましてもらおうと色んなことを語り掛けているうちに、私も涙があふれてきた。


 愛らしい王太子様の笑顔。

 いつも周りの様子を気にして、私たち使用人にまで気を使ってくれていた。

 王妃様と国王陛下は夫婦としてすれ違っていたけれど、王太子様とともに過ごされるときは確かに家族という形になっていた。

 それだけじゃない。

 王太子様の世話係として働く中での数々の思い出、何かあると私の名を呼び甘えてくる姿は弟たちのようで心の中では同じくらい愛しく思っていた。


 昨夜、王太子様の死を知ったときはこんなに自分が悲しみに襲われるなんて思ってもみなかった。

 仕方ない、自分はただの使用人だから。

 なにかあれば、簡単に消されてしまう王族にとっては道具のようなもの。

 なのに、とても悲しかった。


 ぽつりと、一粒涙がこぼれたのが分かった。

 だけど、止めることができない。

 スカートにシミができてしまう。

 私は必死で両手で自分の顔を覆った。

 私は王太子様を殺した悪女なんだから、泣いてはいけない。

 だけれど、涙はあふれ私の指先まで豪雨にあったようになっていく。

 涙は乾くことなく、頭はずきずきと痛み、心は思い。

 肺をつぶされたんじゃないかと思うくらい、息が苦しい。

 私もこのまま、死んでしまえればいいのに……いや、私が今ここで死んでしまうと後に王太子様の死の責任を実家が負わされることになるかもしれない……。

 私はどうしようもない悲しみに襲われ、涙を流していると、突然、


「これを使うといい……」


 涙で冷え、感覚が消えかけた指先に何かが触れた。やわらかく、滑らかな極上の絹のハンカチだった。

 実家でも絹に触れたことはあったが、この王宮の絹とは別物だった。

 真珠のような淡い光を放ち、まるで生きて呼吸をしているかのような布だった。その繊細な布地を庶民が触れればたちまち表面をけば立ててしまい触ることさえもためらわれる。宝石よりも貴重で繊細なものだった。

 こんなものを私の涙で汚すわけにはいかないが、もう私の指先がふれてしまっている。

 どうすればいいかわからず、戸惑い、とにかく受け取れないことを示そうと声の方を向くと、そこには国王の弟君がいた。


「どうしてここに?」


 そう尋ねようとしたけれど、まともに声がでなかった。喉も潤いまでも涙となって出ていってしまったようだ。

 しわがれた喉を、わずかな空気がひゅうひゅうと音をたてて通り過ぎただけだった。

 そんな私を弟君はそっと抱きかかえる。

 昨晩の温室の魔法のような空気がふわりと私を包んだ。


「ここは別の者に任せることにしよう」


 弟君の提案に私は必死で首を横に振った。

 私はここにいなければいけない。

 ここで私に降りかかる言いがかりのような災いを全力で一人で受け止めなければならないのだ。


「いくら働き者の独楽鼠といえども、亡骸に仕えることはない。あそこで横たわっているのはあくまで入れ物に過ぎないのだから。主人につきあって、そなたまで天に召されるつもりか?」


 そういうと、私を担ぐようにして弟君は部屋をでた。

 もちろん、普通の扉などではない。

 王族と側に仕えるだけ者が知っている、部屋に隠された秘密の通路への扉から。

 私が不安で身をよじり、部屋の方に手を伸ばすと、弟君は、


「大丈夫だ。扉の外には護衛もいる。姉上はひどくショックをうけて臥せっている。兄上はそのそばについているから。誰もそなたがあの場を離れたことに気づかないし、何者もあの部屋に立ち入ることはできない」


 そう言って、私を安心させた。

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