第4話 王族のための夜の庭園
弟君に連れていかれたのは温室だった。
真夜中だというのに、温室の中は煌々と照らさていた。
幾種類もの花が咲き、様々な色の蝶が舞っていた。
なんでも、王族のみが鍵をもつ夜のための庭園だという。
昼夜逆転させるために、昼間は夜のようなカーテンをかけて真っ暗にしているということだ。
何種類もの花の香りが折り重なったそこはこの世のものとは思えないくらい美しかった。
「弟君様、良くこちらにいらっしゃるんでしょう?」
私はちょっぴりからかうような口調でいった。
驚いた顔をした弟君は「なぜ?」と私に問うた。
「だって、良くこちらの香りをまとっていますから」
甘いのにさわやかなその香りは弟君がまとっているものだった。
一部の淑女の間では、媚薬の香りではといわれるくらい、魅惑的な甘さのある香りだった。
私はその香りをヒントにしながら、王太子様を弟君に近づけないようにしていたとは言えない。
まさか、本物の花からの移り香だなんて、王宮で香水を振りかけているご婦人方には想像もつかなかっただろう。
私はふふっと笑うと、弟君も照れたように笑って、先ほどの香水瓶を差し出した。
「実は落ちていたなんていうのは嘘だ。そなたに受け取ってほしいと思って……」
そう言って、今度は弟君が私の手をとり、そっと手首にその香水を吹き付けた。
温室の香りをより濃くして、煮詰めたジャムを加えたみたいに甘かった。
私がその香りにぼうっとなっていると、弟君は香水瓶をそっと私の手の中に置き、そっと包ませた。
「い、いただけません。私は何もお返しすることができないのですから」
事実だった。王太子様が死んだことが公になれば、私は捕らわれの身になるだろう。たとえ、弟君が噂通りの女たらしの遊び人だとしても、今日これからというのは無理だろう。
この国の貴族はこういう遊びにも手順があるのだ。アバンチュールだとしても、このまま結ばれるなんてことはなく手紙やプレゼントを贈り、秘密の目くばせを重ねていくのが、粋な貴族の遊びなのである。
単に性欲を解消するもくてきならば、娼婦を買った方がずっと時間もお金も節約になる。
たとえ、私が王太子様殺害の罪に問われなかったとしても、王宮にいられる時間はごくわずかだ。
そもそも、国王の弟君と恋愛ごっこをしているひまなんてない。
領地の再興のために私は新しい仕事を探す必要があるのだから。
以上の理由をどう完結に言葉にするか私が悩んでいると、弟君は眉根をよせて悲しそうな顔をした。
「気に入らなかったか? この温室をうまく再現できたと思ったのだが」
仔犬のようなその表情に私は弱い。故郷の弟たちを思い出すから。あのこたちがおやつをねだるときの顔とそっくりで、私はちょっとだけ意地悪をしたくなった。
「そうですね……この温室と比べると少々甘すぎるかもしれません。この温室はもっとさわやかな感じです。でも、この甘い香りの方が女性は喜ぶと思います」
「そうか、もうちょっと改良しがいがあるということだな」
弟君は嬉しそうに頷きながらあれこれと植物を摘みだした。
その様子が小さな子供のようで微笑ましかった。
もうすぐ死ぬ身だけれど、人生の思い出の中にこんな奇妙な一ページがあるというのは悪くない。
いつか天国で誰かに語って聞かせるのには十分に面白いと思ったのだ。
悲惨な死を前に、こんな風に穏やかで不思議な夜を過ごしたという宝物があるのは悪くない。
もし何かの手違いで地獄に落ちようとも、私はそっとこの夜のことを思い出してほんの少しだけなぐさめられるだろう。
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