第3話 証拠品

 私は一晩かけて、自分が王太子様を殺害した稀代の悪女としての証拠を残した。


 生まれたときから、家族に忌み嫌われた記憶。

 何人もの男と交わりそのたびに傷ついてきた記録。

 男を求めずに入られないふしだらな女としての恋文。

 男から王太子様を殺すようにベッドで語られたという嘘の日記。

 そんなものをページの途中に紅茶をこぼしたり、日によって少しずつ筆致を変えながら書き溜めていった。


 それはまるで小説を書いているようだった。

 当然だ、自分ではない人間になりきってありもしない物語を紡いでいるのだから。

 もし、次の人生があるとしてどんな職業も選べるとしたら、男に生まれて小説家がいいかもしれない。


 自分でも信じられないくらい集中していた。

 部屋の扉を誰かが叩いていることに気づかなかったのだ。

 そのころ私は日記の重要な部分を書き上げて、王太子様暗殺を命じた男への恋文をしたためているところだった。

 相手とのベッドでの熱い晩の描写で少々筆がのりすぎてしまっていた。


 これを法廷で読んだ人間はきっと、「なんて破廉恥な、けしからん」なんて言いながら、その夜は愛人たちの元に向かって同じシチュエーションを求めること間違いなし。

 宮廷での生活で、耳年間――コホン、訂正。年齢相応の知識を身に着けた――私の文章はきっと法廷で真面目ぶって鬘をかぶった男たちの股間を起き上がらせることになるだろう。


 それくらいの方が稀代の悪女として人々の印象に残るというものだ。


 ただの没落した男爵家の令嬢が突然死した王太子様の死の責任を取らされた。

 そんなありきたりな誰もが分かりきっている事実よりも。稀代の悪女が恋した男のために王太子様を暗殺したというほうが、世の中は注目し。実家である男爵家は被害者の一部となり同情してもらえるだろう。

 そんな熱烈で淫らな夜のことを書き留めているときに、部屋の扉が壊されるのではないかという勢いで叩かれた。


 とうとう、来たのか。


 誰かが王太子様の死を発見したのだろう。

 夜が明けるまではまだ時間があると思っていたのに。

 何かを書き留めるのがこんなに面白いなんて知らず夢中になってしまった。

 愛しい人(存在しない)に対して書き留めた手紙は、机の上に書きかけのままになっているがいいだろう。

 この方が、王太子様暗殺直後に報告をしているというリアリティーがあるというものだ。


 大丈夫。最低限の準備はできているはずだ。


 これだけの日記や手紙という証拠があれば、いくら王宮の警察の捜査がずさんだとしても私が描いた結論にたどり着けるはずだ。

 というか目の前の材料についてしか飛びつかないはずだ。

 分かっている。

 私の残した証拠は私が王太子様を殺した際の内面的な理由しかない。

 殺害方法やその道具や知識をどこで仕入れたのかは、何一つ残していない。


 だって、殺していないのだから。


 そもそも、王太子様が死んでいると気づいたとき、外傷一つなかった。

 苦しんだ様子もなく、姿をみただけではまるで眠っているかのように穏やかな表情をしていた。

 ただ、心臓が動いていないだけ。

 そんな表現がぴったりな死だった。


 だけれど、国内の混乱によって、王宮の警察はひどく間抜けなものになっている。

 きっと、殺害方法なんてどうでもよく、私が殺したという証拠になりうる何かさえあれば十分なのだ。

 たとえ、そんなものがなくても国王が頷けば私は処刑されるのだ。

 私は死を逃れられない。運が悪かったのだ。

 ただ、できることは私に着せられた罪を家族にまで及ばないようにすることだけ。


 覚悟を決めて扉を開くと、そこにいたのは国王の弟君だった。


「ふえっ?」


 私はひどく頓狂な声を上げた。


「いや、先ほどそなたが落としたのではないかと思って」


 そう言って、とても美しい香水瓶を差し出した。

 全く見覚えがない。

 美しい細工が施された香水瓶など、没落した男爵令嬢のものじゃないくらい分かるだろう。常識的に考えて。


「いえ、全く身に覚えがございません」


 私はぴしゃりと答えた。


「そうか……」


 弟君は少し驚いたような顔をした。

 王族って、本気で貧しさとか変わってないのかもしれない。男爵家で没落しているんですよ、私の実家は。平民でも儲かっている商人の家の方がずっと調度も食事も立派なんですよ。なんて言ってもきっと通じない。

 このどこまでも作られて、しきたりにがんじがらめになった王宮にしか知らないのなら当然なのかもしれないが。よく外の世界をお忍びで遊びまわっているというのは嘘なのだろうか。


「では……夜の散歩などどうだろう?」

「はい?」


 さっき、レディが一人で歩いては危ないと私を部屋に送り届けたひとが、今度は誘い出すとは意味が不明だ。


「いや、そなたが今宵の月が美しいといったのが気になって……な」


 なんだか少しだけもじもじしている様子が仔犬のように思えて可愛らしかった。

 ふわふわの髪に触れて撫でたくなった。

 ああ、この人は国王の弟君なんだ。

 寂しい時の王太子様によく似ていた。

 あまりにも似ていたせいで、気が付くと私は王太子様にそうするように、そっと弟君の手を取っていた。

 自分でも意外だった。


「いいですよ。貴方様の望みのままに……」


 心の寂しさからくる王太子様の健康のためには、彼のちょっとしたわがままに寄り添うのがとても大切だった。

 王宮のしきたりのせいで、母親である王妃様に思うように会うことも叶わない。

 そんな王太子様のために私は彼の可愛い我がままに全力でつきあってきた。

 最初にであったころは王太子様のあまりにもひどい癇癪と体の弱さに驚いた。だけれど、側にいるうちに気づいたのだ。彼のわがままの原因は寂しさだと。すこしだけ自分の兄妹の姿が重なった。

 それからは、できるだけ王太子様のそばにいることに心をくだいた。

 単にわがままを聞くのではなく、いつでも側にいて味方であることを伝えるようにした。

 すると、王太子様の癇癪も虚弱体質も徐々に落ち着いていったのだ。


 国王の弟君の中に王太子様と同じ寂しさが見えたのだろう。

 私はつい王太子様にするように彼の手をとってしまった。

 だけれど、その手は思ったよりも大きくごつごつした大人の手で、私は驚き、心臓は早鐘をうっていた。

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