第2話 闇から現れた王弟
「おや、だれかと思えば……」
まるで水の底に王宮か沈んでしまったかと思うくらい、歩みが遅い。
気持ちでは走っているくらいなのに、堅苦しいドレスに、足音を立てないように気をつけるとなると走るなんてもっての外だ。
王太子様が眠る塔は静かでひとけがないとは言っても。
そんなとき、誰かから突然声をかけられたので私はびくりと躰をこわばらせた。
子供の時、夜遅くまで起きていようとすると乳母が私に怖い物語を聞かせたせいだ。
真夜中のお城の幽霊の話はとくに覚えている。
ちょっとだけお気に入りだったのだ。
誤解から処刑されてしまったお姫様が夜な夜な王子様からの許しを求めて、お城をさまよっているというお話が。
早めにベッドに入った日に、その物語を乳母にせがむと話を持たせるためなのか物語はお姫様が王子様と出会うときから始まるのだ。
二人の結婚は親同士が決めた結婚だった。せめて出会いは自然なものにしようと両親の取り計らいでお城の舞踏会で二人は出会う。
その舞踏会のシーンが子供の頃は好きだったのだ。
きらびやかなドレスに食べたこともないようなごちそう。人々が身に着ける宝石の輝きまで乳母はまるでその場を見てきたかのように、乳母は巧みに語ってくれるのだ。
今、思うと不思議なものだ。没落貴族の乳母がどうしてそんなきらびやかな舞台を見てきたように語れるのか。
いくら、昔は豊かな領地だったとはいえ、華美な宝石とは無縁なはずだ。
そういえば、あの乳母は名前を教えてくれなかった。自分は前の乳母の代わりなので、前の乳母の名前で自分のことを呼ばせた。
前の乳母の代わりとしてやってきて、新しい乳母が着たらいなくなってしまった。
両親に彼女のことを訪ねようとしても、名前は前の乳母と同じだし子供の時代は時系列がめちゃめちゃだ。昼寝をするだけで、二十四時間が二日間にもなりうる。
いまでは、私は彼女の存在は乳母が不在の間に私が作り出した空想の存在だったのではないかと思っている。
空想の存在に物語を聞かせてもらうなんて不思議な話だが、とにかくあの乳母の物語はベッドに入るのが早ければとても魅力的な部分から始まった。
二人が出会った瞬間から惹かれあって、結婚しようとするのだが、それをを妬んだ王子様の弟によって仲を引き裂かれ、お姫様は処刑されてしまう。そして、その誤解を解こうとお姫様は今もお城をさまよっている。
「でも首がないから、うっかりお城から出てここらを彷徨っているかもしれませんね」
あの乳母は毎回最後にそう付け足して、窓の外をちらりと見るのだ。
私はそのあと乳母が「あっ」とちょっとだけ驚いた顔をするのをしっているので、ベッドの中に潜り込み必死に目をつぶる。
乳母はそんな私のことをぽんぽんと優しくたたいてから「おやすみなさい」を言うのだ。
さすがに王太子様がかわいそうなので、この手を使ったことはなかった。
使わずに終わってしまった。
こんな広く冷たい王宮で、両親がどこにいるかも知らずに眠る王太子様にそんな話をしてしまったらリアリティがありすぎる。
現に、真夜中になにものかに声をかけられた私の躰はこうやってぴたりと固まってしまっている。
自分でせがんで聞かせてもらったとしても怖いものは怖い。
そもそも聞きたかったのは物語の前半部分だけだし。
こんな冷たいお城の中、幽霊の一人や二人いても不思議じゃない。というか、いるだろう、普通に。王族に恨みを持った人間とか。何かの間違いで処刑された人間とか。
もしかして、そんな幽霊をさけるために王族はしきたりに雁字搦めにされているのだろうか。
常に儀式によって大勢の人に囲まれていれば幽霊も出られないだろうし。
私が覚悟を決めて声がした方を振り向くとそこにいたのは、国王の弟君だった。
王位継承権はあれど、今のところ玉座に座る予定はなし。
だって、国王にはちゃんとお世継ぎがいるのだから……いや、それはついさっきまでの話だ。
王太子様が亡くなった現在、目の前にいる国王の弟君が玉座に最も近い男ということになる。
それを知っているのは私だけだけど。
私は作り笑いを浮かべて、お辞儀をする。
以前からこの男にはできるだけ近づかないようにしているのだ。
王太子様の教育に良くないからという理由で王妃様からはできるだけ避けるように言われていた。
あまり良い噂を聞かないのだ。
なんでも、媚薬に興味を持っていて奇妙な薬を開発させているとか。
その人体実験のために、街角で娼婦たちを買っているとか。
さらには、買われていった娼婦たちの姿を再び見るものはいなかった。
おぞましい噂に弟君はつつまれているのだ。
「こんな夜分遅くにまで働くとは、王太子は良い独楽鼠を飼っているな」
国王の弟君は、焦っているこちらの内心を見透かしているのかのんびりという。
良い噂はないと言っても王族だ。私は勝手にこの場を去ることはできない。
「夜分に走り回るなど、もしかして喪服の布が足りなくて、夜の闇を盗もうとしてるのか?」
そんなことを言っておかしそうに一人でククッと笑った。
目は全然笑っていないけど。
私が王宮に入るとき自分でドレスを仕立てたのをこの男はからかっているのだろう。王太子様に仕えるうちに、王妃様に私の身の上を話すこともあった。大方、王妃様から私の実家が困窮しているという話を聞いたのだろう。
王妃様は決して嫌な感じで話したのではないのだろうが、貴族というのは嫌なものですぐに人の弱みを見つける。まるで、子供がアリの巣を見つけてそこに水を流し込むような残酷さを持ち合わせているのだ。
「いえ、今宵はあまりに月が美しかったものですから散歩に」
「おお、独楽鼠でもあの月を美しいと思う風情があるのか。てっきり、そなたが美しいと思うのは王妃の身に着ける宝石や羽飾りだと思っていたのだが……」
顎に手をあてて思慮する仕草をする弟君。その姿だけ見れば、子供の頃に聞いた物語にでてくる王子様をほんの少しだけ大人にしたようだった。
すらりとした手足、艶やかな髪に整った顔。ただ、違うのは瞳の奥にときどき燃えるのが見えるその狡猾さだろうか。
国王が国民を愛するような純粋な目をしているとしたら、この弟君はそれとはまったく違う目をしている。
常に計算して、人を図っている。
今も、目の前にいる私を値踏みしているのが分かった。
これ以上図られないように、私はそっと顔を背け窓の方を示す。こちらの心を読み取られてはかなわない。
「今宵は本当に月が美しいですね」
私は王宮で身に着けた、唐突に意味のない世間話をするというスキルを発揮する。ちょっとしなを作りながら、どうでも良い表面だけの会話をするのだ。上目遣いとちょっとだけ唇をとがらせるのも忘れてはいけない。
多くの貴族の女性たちがやってのけるこれは、客観的に見て話をぶったぎりすぎると思うのだが。多くの紳士たちはそのまま提携文言のような会話を続けてくれる。なんて便利な、まさか貴方ロボットか何かじゃないですよねという貴族社会の不思議である。
「確かに、いままでそこにあることを知っていたが、こんなに美しかったとは」
弟君は静かに同意した。
なんだか、変な気分だった。
自分で会話をぶったぎっておいていうのもなんだけど、こんなにうまくいくなんて思っていなかったし。なんだか急に弟君が優しくなったきがした。
「部屋まで送りましょう。レディがこんな夜中に一人で出歩くのはよくない」
独楽鼠がいつの間にかレディに昇格していた。
変に断って口論になっては余計に時間がかかると思った私はその申し出を受け入れた。
「おやすみなさいませ」
「ああ、おやすみ」
誰かに「おやすみ」を言われたの久しぶりで少しだけくすぐったかった。
故郷を出てから初めてだったのだ。
羽飾りに触れたときの心地よいような逃げ出したいような気持に後ろ髪を引かれた。
だけれど、私はもうすぐこの世からおさらばする身。
自室に戻った私は、部屋にある家族から手紙や日記を焼き払った。
そして、稀代の悪女に相応しい日記を記すために、羽ペンの先をそっとインク壺のなかに溺れさせた。
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