没落令嬢は王弟と死の輪舞を踊る~王太子の世話係からのシンデレラストーリーには裏がある~
華川とうふ
第1話 稀代の悪女のはじまり
王太子様が死んだ。
その死体は驚くほど美しかった。
ミルクのような白い肌にはシミ一つなく、クジャクのような金色のまつ毛はふわりと羽を休めている。
唇なんて、王妃様が一番お気にいりのアプリコットジャムのように艶々だ。
だけれど、王太子様は間違いなく死んでいる。
私は両手で自分の口を覆い、悲鳴を上げそうになるのを必死のこらえた。
大丈夫。間違いかもしれない。
ちゃんと確認すれば、きっと王太子様はいつもと変わらずに安らかな寝息をたてているはずだ。
あり得ないことを自分に言い聞かせて、王太子様の胸に耳をあてた。
そっと胸に耳を当てても、そこからはなんの音も聞こえなかった。
こんなこと、あってはいけない。
この国の王となる人間が死んでしまうなんて。
王太子様の死は、その世話係である私の死を意味した。
いや、流行り病とか乗馬中の怪我であれば、誰か別な人間の責任になるだろう。
だけれど、昨晩まで王太子様はちゃんと生きていたのだ。
心の弱さに影響されて、虚弱体質がちではあったが。
王太子様は一時期に比べてずっと元気だった。
そんな王太子様が、死んだとなればその責任は世話係である私となる。
王政は混乱している。
そんな中できっと、私はきっと王太子様を殺した反逆者として、処刑されることは容易に想像できる。
逃げたい。
でも、逃げられなかった。
故郷に残してきた両親や兄弟たちを思うと、自分だけ逃げだすなんてことはできない。
実家である男爵家を守るために、身に覚えのない物語を作り上げ実家とは関係がないことを証明しなければならない。
例えば、こんなかんじで、
自分は男爵家の娘として育ったが、血のつながりなどなく、ずっと虐げられてきたとか。
年頃に育ってからは幾人もの貴族の相手をさせられ、その伝手で王太子様の世話係という職にありついたとか。
王太子様の世話係という職を得てからは、今度は王宮の中で貴族たち相手にいかがわしい商売をしていたとか。
そんなどこの馬の骨かも分からない、男たちに奔走された悪女としての物語を作り上げなければ。
大好きな家族のために。
私が生まれたのは落ちぶれた男爵家だった。
貴族なんて名ばかり。
貧しかった。
だけれど、私は家族も領民も大好きだった。
みんな優しくて思いやりに満ち溢れていた。
私が生まれる前に起きた飢饉によって領地は落ちぶれてしまったが、もともとはとても美しい場所だったと聞いている。春にはさまざまな花が咲き、夏には見渡す限り緑の海、秋には金色の穂がたっぷりと実り、冬になると春、夏、秋で貯蔵してきたものをゆっくりと鍋の中で溶かしその一年を振り返り分け合う。そんな夢のような場所だったと聞いている。
そんな物語を年長の領民から聞いたとき、私は決まって、
「大丈夫! いつか私がお金持ちの貴族と結婚してこの土地を立て直すんだから」
なんて、腰に手をあて胸をはって言っていた。
子供の頃の私はトウモロコシの穂のような金色の髪に、一番晴れた日の空みたいな青い瞳をしていたのだ。
まるで物語にでてくるお姫様みたいだと自分でも思っていた。
だから、年頃になればどこか金持ちの貴族に見初められて結婚できると。
だけれど、現実はそんなに甘くない。
成長するにつれて、私の髪は徐々にくすんだ色に変ってしまった。
よくあることらしい。子供の頃に美しい金髪でも、その髪は成長とともに変化していく。お日様の光を紡いだような金髪でいられるのはごくごく少数なのだ。
空色の瞳も同じだった。
大人になるにつれ、現実が突きつけられる。
学べば学ほど、知れば知るほど私たちの状況が厳しいという現実が見えてくる。私の瞳は徐々に闇を孕んだような濃い色に変わっていった。
やせ細った地を蘇らせるには何年もの月日が必要だ。
同じ作物のみを作っていてはその土地はさらに痩せて収穫量が見込めない。けれど、この領地には新しい食物の種を買う資金もそれを育てる知識も無かった。
男たちが求めるような美しさも、持参金もない。
金持ちの貴族を捕まえるどころか、結婚できるかも怪しい。
そんなときだった、私のもとに王太子様の世話係の仕事が舞い込んできたのは。
この国の王族はしきたりに縛られている。
王が朝目が覚めてから、すべてのことが儀式になっている。
いや、朝目覚めたときからではない。生まれた瞬間から、様々なことが儀式やしきたりでがんじがらめになっているのだ。
「馬鹿みたいっ」
王族のしきたりの話を聞いたとき、私は思わずそんな言葉をこぼした。
その話をしてくれた異国からの旅人が私のことをからかっているのかとおもった。幼い子供に話をねだられた旅人が面白可笑しく作り話をしているのかと。
だけれど、その旅人はあわてて私の口をふさぎ「しぃっ」と唇に手をあてる仕草をした。
そして静かに「どこで誰が聞いているのか分からないんだから、王族のことを悪く言ってはいけないよ」と私に強く言い聞かせるように言った。
びっくりしたと同時に、にわかには信じられなかった。
だって、この国で一番偉い存在である王様が自分のことを自分で決められないなんておかしい。国の色んなことを決められる王様の生活が誰かに決められたことでがんじがらめにされているなんて。それではまるで王様よりも偉い存在がいるみたいだ。
だけれど、その馬鹿みたいなしきたりは私に一つの幸運を運び込んできた。
王太子様の世話係は金色の髪と青い瞳を持ち合わせた成人した未婚の貴族の女性でなければならない。
そんなルールのおかげで、没落男爵令嬢である私の下に王太子様の世話係の仕事がまわってきたのだ。
金髪と青い瞳で成人した未婚女性……正直条件が厳しすぎる。というか、そんな条件に何の意味があるというのだろう。おおかた、この決まりを作ったときの王の愛人の女性が金髪で青い瞳の女性だったのではないだろうか。
この国の貴族の女性は成人と同時に結婚する。何かしら事情があって結婚していなくても婚約者くらいはいる。
そんな中で王太子様の世話係になれる人間の条件はかなり絞られるのだ。
婚約者に戦死されるか、なにかしらの理由で修道院にいくことが決まっているか、私のようにどうしようもなく没落しているかの三択だ。
くだらないしきたりのおかげで私は救われた。
王太子様の世話係の給金はかなりよいのだ。
その他にも、身支度のための特別な費用なども王室で用意された。
普通なら、王宮に行くにあたり新しいドレスを注文するところだが、私は布を買って自分でドレスを仕立てた。
決して流行りの型ではないが、昔からの伝統的な形にしたおかげで王宮での厳しいエチケットに違反しているとして追い返されることはなかった。
最近の王宮では王妃様をファッションリーダーにして派手な恰好が流行っているらしいが、それを許されるのは王妃様の取り巻き立ちだ。
貴族と言えども、使用人である王太子様の世話係には流行の派手な装いはNGだったらしい。私の前の世話係候補たちはそれを理由に追い返されたとあとで聞いて、貧乏でもいいことあるんだなと思った。
まあ、貧乏でなければ王太子様の世話係なんて仕事につかずに、どこかの貴族と結婚して家庭を守っていくことに力をそそぐだけなんだが。
そうやって、私はいくつかの幸運を繰り返すうちに王太子様の世話係に収まることができた。
今話したのは私が気づいているものの一部で、気づいていないものも含めると私が王太子様の世話係に収まることができたのは、とてつもない低い確率を引き当てたのかもしれない。
王太子様の世話係になったおかげで、実家の領地を再生させるまではまだ至ってないが、今年の冬は領民ともどもなんとか飢えと寒さをしのげる見通しだ。
このまま王太子様の世話係として勤め、少しずつだけど農機具の改良や種にも資金を回していけば、もしかしたら私がお役御免になるころには領地も少しは復興できているかもしれない。
結婚?
そんなことしなくても、領地を守る方法が見つかったのだ。
そして、今の私はそんなに美しくない。
子供のようにいつかお金持ちの貴族と結婚して、なんとかなるなんて夢物語よりも、自分の手で愛する家族と領地を救う方法を見いだせたのだから。
これ以上、何を求めるというのだろう。
結婚なんてしなくても、兄弟たちのだれかが結婚すれば家は続く。
だけれど、こうやって王宮で働いて、多額な賃金を得ることができるのは私だけなのだ。
子供の頃に聞いたような豊かな領地に再興することそれが私の人生の夢だ。
それに美しくも若くもない女が結婚しても、夫の言いなりになるだけできっと大切にされることなんてない。
結婚で幸せになれるのは王子様と結婚したお姫様だけ。
いいえ、王宮での生活をみているとそんなことはない。
王様も王妃様もお互いを大切に思いながら、どこかすれちがっている。
それが王族のしきたりのせいなのか、早すぎた結婚のせいなのかは私には分からないけれど。
幸せなんてものは物語の中にしかないのかもしれない。
それでも、私は幼い頃聞いたみんなが幸せに暮らす領地を夢見ることをやめられないのだ。
豊かな土地の実りをとろとろと鍋で煮詰め、その間に領民たちの見つけた幸せに耳を傾ける。そして出来上がった、ジャムやら保存食をみんなで分け合う。そんな風に過ごせる日がくることを信じて、私は奇妙なしきたりに縛られた王宮で働いていたのだ。
それなのに、王太子様が死んでしまった。
そして、私は処刑されるだろう。
王太子様を暗殺した罪人として。
夢がかなわないどころか、とんだ不幸だ。
幸せは物語の中にしか存在しないくせに、不幸はどこにでも存在する。それは没落した我が領地であっても、華やかな王宮であっても変わらない。
でも、せめて。私に降りかかった不幸が家族にまで降りかからないように私は今できることをしなければならない。
家族のためならば、稀代の悪女になることだって厭わない。
悪女という仮面の準備をするために私は、
「王太子様は健やかに眠っていらっしゃいます」
と部屋の外の護衛に告げ、急いで自分の部屋に走った。
王宮の廊下がこんなに暗く、冷たく、長いものだと感じたのは初めてだった。
いつもは窮屈で見た目ばかり大きな箱だと思っていたというのに。
私は必死に王宮の廊下を進み続ける。
だれにも、この焦りが悟られないように。
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