第8話 親切でもあるし、侮辱でもある

 月が西のほうへ沈み、夜空が星だけになった頃、ハディージャとエムレは眠ることにした。


 二人の意見は、朝早く起きて暑くなる前にどこか北東方面の都市に向かおう、ということで一致していた。

 いくら何もない平地をさすらうことに長けた草原の民といっても、水や食料は調達する必要がある。まして砂漠の民の姫君であるマルヤムを連れていたらなおさら、どこか人間が住むところに寄らざるをえないだろう。

 それに、ハディージャとエムレも大立ち回りをして疲れている。やみくもに走り回るより、少し休憩をしたのちに透視魔法でマルヤムの居場所を確認してから動いたほうがいい。


 二人はハディージャの家から魔法で取り寄せた二組の布団にそれぞれ横になった。


 しかし、ハディージャはなかなか眠れなかった。


 今頃、マルヤムはどうしているだろう。


 怖い思いをしていないか。痛い思いをしていないか。暑かったり寒かったりしないだろうか。食事は取れているのか。この時間はちゃんと寝かせてもらっているのか。


 四六時中透視魔法を使用し続けるわけにはいかない。

 ハディージャの気力体力にも限界があるからだ。

 魔法は本来そんなに簡単に何度も連発できるものではない。


 まぶたを閉じると全身が疲労による倦怠感を訴え始めた。少しでも休んだほうがいい。


 それでも、心配だ。


 悔しい。悲しい。つらい。

 ハディージャがついていたのに、マルヤムは拉致されてしまった。

 どうして命を懸けてでも大きな魔法を使わなかったのだろう。

 エムレが間に入って止めたから、などという言い訳が通用するだろうか。ハディージャが本気で魔法を使えばエムレを振り切って元の場所に戻ることもできたはずだ。

 自分は、どこかで早々に諦めて、国主アミールへの報告を優先した?

 考えたくない。


 かわってやれたらどんなにいいことか。


 マルヤムが酷い目に遭わされているところを想像して、きつくまぶたを閉ざす。


 ハディージャに自分自身を転移させる魔法が使えたら、自分とマルヤムの身柄を交換したのに……。


「ハディージャ」


 不意に名前を呼ばれた。


 目を開けて声が聞こえたほうを向くと、エムレは布団から離れていた。敷き布団はそのまま、洞窟の出入り口付近に掛け布団を敷いて座布団代わりにして、座り込んでいる。顔は洞窟の外を向いていた。


「寝ろ。疲れてるとなんでもかんでも悪いほうに考えるぞ」


 こちらを見ることなく、だがはっきりとした声でハディージャに語りかけている。


「ベルカントはこのタイミングでダラヤの国主アミールの娘を殺すほど馬鹿じゃない。たぶんな」


 考えていることを見透かされた気がする。


「……寝ています」

「寝てる奴は寝てると言わない」

「エムレさんはどうなのですか? 寝ないのですか? あなただってあの人たちと戦って疲れているのではありませんか」

「少し仮眠したから大丈夫だ。それに、俺まで寝たら万が一あの連中や草原の民が寝込みを襲いに来たら危ないだろう? 見張っててやる」


 先ほど女性は男性の半分という話をした時に体力の問題だと言っていたが、男性とはそんなにもたくましいものだろうか。


「朝まで起きている気ですか?」

「ああ」

「途中で起こしてください、交代しますので」

「気が向いたらな」


 もしここでハディージャが眠り込んでしまったら、彼はきっと起こさないだろう。それは親切でもあるし侮辱でもある。女の身とはこんなにもままならないものか。実際にハディージャの体力はほぼ限界で、ここはエムレに甘えるしかなさそうだ。それもまた悔しい。


 あえかな星の光で、エムレの横顔が見える。その輪郭が綺麗で、彼の顔立ちが整っているのを感じる。


「心配するな、俺がお前の寝込みを襲うことはないから」


 親切で、真面目で、理知的な好青年。


 知り合ってからまだ半日も経っていないというのに、ハディージャは彼を全面的に信頼してしまっている。


 それもまた、ハディージャの罪悪感の一因だった。


 マルヤムはどんな状況にあるかわからないのに、自分はエムレに甘えて布団でぬくぬくとしている。マルヤムは街に略奪しに来た乱暴で恐ろしい男たちに囲まれているはずなのに、自分は信頼のおける男性と平和に過ごしている……。


 掛け布団を肩まで引き上げた。


「ありがとうございます」


 男性と二人きりで過ごすことなどそうそうない。まして夜同じ空間で寝起きするのなど、物心がついてからは父親とですらなかったものだ。


 父親は、数年前、ハディージャが思春期だった頃に亡くなっている。

 以来、ハディージャはいつも夜を独りで過ごしていた。


 今は、エムレが、ついていてくれる。


 本当はもっと警戒しなければいけないのだろうが、ハディージャは、安心してしまっている。


「あなたのことを信じています」

「あんまり軽々しく男を信用するなよ」


 案の定の言葉に、かえって彼がいいひとであることを再認識する。


「それに、俺は草原出身だぞ。砂漠の民の女性たちは草原の民の男を信用してない」


 彼の言うとおりだった。

 草原の民の男といったら、粗野で、乱暴で、ひとの話を聞かず、なにより神を信じない田舎者だと思われている。

 それこそ、ヤイロヴ族の男たちみたいに。


 もしエムレと出会わなかったら、ハディージャも草原の民の男をそういう偏見の目で見て差別的な態度を取り続けていただろう。


「あなたはそういうひとではございません」

「俺だけか?」


 難しいことを言う。


「俺だけが例外なんだろうか」


 その問いかけには答えられなかった。

 ハディージャにはエムレ以外の草原出身の知り合いがいない。

 逆にそれがすべての答えであるとも言える。


「わたしがしなければならない勉強は、魔術や聖典だけではなさそうですね」


 ハディージャのその言葉には、エムレは何も言わなかった。


「あなたは頭のいい方です」

「どうも」

「信頼しています」


 少し間を置いてから、エムレが「おやすみ」と言った。ハディージャも「おやすみなさい」と返して、もう一度まぶたをおろした。


 それから少しして、ハディージャの意識は落ちた。やはりマルヤムが粗雑に扱われている夢を見てしまったので熟睡できた気はしないが、エムレよりは多く休んだのは確かだ。


 朝が、来る。



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