第7話 洞窟の中で二人、ひと息つきながら

 家から洞窟へいろんなものを転移させた。

 まずは火鉢。地面に直で焚き火をしたらあとに燃えカスが残るので、陶器を用意してその上で薪を燃やす。

 次に銅製のコップをふたつ。

 それから、布団を二組。ちょっとほこりっぽいが、背に腹は代えられない。


 火を囲んで、敷き布団の上に腰をおろし、コップで水を飲みながら、二人揃って、はあ、と息をついた。


「便利だな、転移魔法」

「こういう時のために家を片づけずにおいているのです」


 ハディージャの家の中を知らないエムレは「はあ」と曖昧な返事しかしなかった。


「――ありがとうございます」


 また一口水を飲んでから、ハディージャは深く頭を下げた。


「あなたがいなかったら、今頃どうなっていたことか。助かりました。命が救われたのだと思っています」


 すると、エムレがちょっと驚いた顔をした。


「お礼を言われるとは思っていなかったな。まだマルヤム姫を救出できたわけでもないのに」

「どういう意味です?」

「ダラヤの街では、砂の街の魔女は高慢ちきで絶対にひとに頭を下げられない女なんだと噂されていたからな」


 彼が苦笑する。


「噂も噂、ずいぶんな悪口を叩かれていたようだな。本物のお前はちまたで言われてるような奴じゃない」


 ハディージャも苦笑してしまった。


「老若男女、好き放題言っているようですわね。でもいいのです、言いたい奴には言わせておけば」

「強いな」

「わたし、きっと皆さんわたしのことをやっかんでいるのだと思っておりますので。わたしは、マルヤム様にも、必要とあればムクシル様にもご意見を申し上げます。そういうところが生意気だとよく言われますわ」


 ただ、自分の正義に従っているだけなのに。


「特に、わたしは女ですから。学院マドラサで勉強しているあなたならおわかりでしょう? 本来女は男の半分でしかないと聖典に書かれていますわ」


 エムレはすぐに首を横に振った。


「この砂漠の世界は過酷で、体力の面で女性は不利だ。こういう長旅だと、移動速度は半分になるかもしれない。でも、だからといって判断能力的に劣っているわけじゃない。聖伝承では女性の権利もきちんと定められている。単に物怖じしない女には可愛げがないと思っているアホがいっぱいいるというだけだろ。人間は自分より弱いものを可愛いと思うようにできているからな」

「物怖じしない、強い女は可愛くないですか」

「俺はそう思わない。俺はお前みたいに物事をはっきり言ってくれる女性が好きだ」


 はっきりと断言する彼の黒い瞳に、ハディージャはついどきまぎしてしまった。


「お前の言うとおりだ、言いたい奴には言わせておけ。そう思わない人間もいる。俺はそう思わない人間だ。それでいいな」

「……はい……」


 自室から取り寄せて頭に巻き直した布を、両手でつかんだ。赤らんだ頬を隠せているといい。


 エムレが火掻き棒で灰を掻き混ぜる。


「改めて聞くが」


 わざわざ、改めて、などと言われたので、ハディージャは姿勢を正した。


「さっきの男たち、本当に心当たりがないんだよな?」

「はい、何も」

「でもあいつらははっきりお前を砂の街の魔女と呼んでいた。俺のことも認識していた。ダラヤの街での一部始終を把握しているみたいだな」

「そのようですね」

「十中八九ダラヤの人間だ。しかし俺たちはダラヤの国主アミールの姫君にして教主の妻候補者であるマルヤム姫を救いに行くところだ。マルヤム姫を救うと都合が悪いダラヤの人間がいる? どういうことだ」


 そこで、彼はぽつりぽつりとこぼした。


「俺個人が狙われるほうがまだわかるな……ハディージャは何に巻き込まれたんだ」

「えっ」


 ハディージャは身を乗り出した。


「あなた、何か悪さをしてきたのですか?」


 なんとなく清廉潔白そうなイメージがあったのに、意外だ。真面目で理性的な人なのに、なぜ。

 と思ったら、彼はこんなことを言い出した。


「ダラヤの街に来た時に過去を全部捨てたつもりなんだが、俺の出身部族がちょっといわくつきでな。それこそ、あの部族の出であるというだけで恨まれてもおかしくない。俺自身それなりのワルだったし」


 ハディージャは仰天した。


「ひょっとして、昔やんちゃだったから戦闘行為ができるなどとおっしゃるわけでは――」

「だいたいそうだ。草原の民はみんな騎射ができる、それはまあみんなそうなんだが、俺はちょっとな……喧嘩がな、まあ、弱くはなかったな」

「なんということ……」


 予想外のことに目が白黒する。


「そんな血気盛んな部族なのですか?」

「聞くな、言っただろうが、出身を答えるだけで殺されかねない集団なんだと。俺にだって秘密のひとつやふたつ許してくれ」

「はい……、わかりました、気になりますがこれ以上聞かないことにします……」


 馬が、エムレの背後で、ハディージャが宮殿のうまやから拝借した飼い葉をんでいる。おとなしい。


「まあ、そういう過去があると、心が弱った瞬間に、ふと、何かを信じたくなる。そこに付け込まれて怪しい人間に洗脳されるより、自分で主体的に選んだ信頼できる社会の信仰を勉強したくなったんだな。帰依きえするかしないかは別として、ひとつのものの考え方として、な」


 そこまで語ると、彼はまた話題を変えようと思ったらしく、「ところで」と言った。


「この先の旅程でも同じことが起こると困る。魔法でお前が砂の街の魔女ハディージャであることをわからなくすることは可能か? 動物に変身するとか」


 ハディージャは首を横に振った。


「魔法の仕組みは魔術師によって違うので中にはそういうことが得意な魔術師もいるかもしれませんが、わたしの一族の魔法は、基本的には移動です」

「移動?」

「たとえば、こうして必要な寝具や火鉢を家からこの洞窟へ運ぶ。井戸から水を汲んできて桶に流し入れる。街のかがり火から炎を分けていただく。空気のあちらとこちらを入れ替え、風の流れを生み出す。わたしの意識の領域で任意の場所の景色と現実のわたしの視界を入れ替える。わたしの魔法では、何かをあちらからこちらに移すのが基本です」


 両手を揃え、右から左へ何かを運ぶジェスチャーをする。


「なので、肉体の色や形を変えることは難しいのです。どなたかがわたしと瞳や髪を交換してくださるなら可能かもしれませんが、もとに戻せる保証はないですし、今いきなり一方的に発動させると迷惑がかかるので、やりたくありません」

「そうか……。それなら、一般人にできるのと同じ範囲で、服装や髪形でごまかしたほうがよさそうだな」


 エムレの言葉を聞いて、はっとした。


「そうですね、家から服を転移させましょう。こういう時に役に立ちそうな服、ございますわ」


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