第4話 魔女と賢者の二人旅の始まり

 ハディージャは大急ぎで宮殿に戻り、国主アミールムクシルに謁見した。

 事件の概要はすでに彼の耳にも入っていたらしく、一部始終を目の当たりにしたハディージャの話を真剣に聞いてくれた。


「申し訳ございませんでした」


 ハディージャは土下座して謝罪した。


「わたしがついていながら、こんなことになるなんて」


 時々言葉を切って奥歯を噛み締める。そうでないと泣いてしまいそうだった。

 鉄の女、砂の街の魔女は泣かない。泣いてはいけない。いつも強く気高くなければならない。

 そう自分に言い聞かせた。


 本当は、マルヤムの名を呼んで泣き叫びたい。


 なんだかんだ言って彼女はハディージャにとって唯一の主君だ。ちょっと甘えん坊であざといが、そんなところも愛嬌ではないか。可愛くていとおしい主君なのだ。


「わたしが代わりにさらわれればよかったのに」

「そういうことは言うでない」


 玉座のクッションに上半身を預けていたムクシルが、ゆっくり体を起こした。


 ムクシルは長身痩躯の中年男性だ。気性が穏やかだが、少々弱腰なところがある。

 ルビーの指輪をはめた指で、自分のあごひげを撫でている。その指がかすかに震えている。


「もちろん娘が連れ去られたことは悔しいが、かといってお前が犠牲になればよかったとは思わん。お前は私の一の家臣の娘で我が子のように思っておる」

「それはありがたいことではございますが、しかし――」

「マルヤムのことは諦める」


 驚愕し、絶句した。


「聞けば今回攻め入ってきたのはあのヤイロヴ族とのことではないか。草原の民の中でも最強とうたわれる戦闘民族、我々ではどうにもならん」


 こんなに簡単に諦めてしまうなんて思ってもみなかった。最愛の第一夫人の子供で、教主に嫁がせるほど大事な娘なのではなかったか。


「そうですよ、ムクシル様」


 そう言って甘い声を出したのは、隣に控えていた妖艶な女だ。女盛りの美貌を有する彼女は、ムクシルの第二夫人ズバイダである。


「もう忘れましょう。ムクシル様にはもう一人娘がいるではありませんか。こちらを教主様と結婚させて、マルヤムのことはもうお忘れください」


 赤く染めた長い爪でムクシルの肩をなぞる。

 ムクシルはこの気が強くて権力欲にまみれた妻をあしらうことができない。相変わらずひげを撫でながら「うむ……うむ……」と唸るような相槌を打っている。


「ハディージャ、それでいいな。お前の処遇はまた考えるが、決して悪いようにはせん」

「お言葉ですが、国主アミール


 口を開いたのは、ハディージャの隣でずっと三人のやり取りに耳を澄ませていたエムレだ。


 彼のほうを見た。

 彼は黒曜石のような黒い瞳でまっすぐムクシルを見ていた。


「ご存じのとおり、ヤイロヴ族は手ごわい相手です。しかも今回先頭を走っていたのは族長ベルカント。この男は一筋縄ではいきません」

「うむ」

「ですが、ここで何もせずに指を咥えて見送るのはダラヤの名折れというものではありませんか? ダラヤは砂漠の中では聖都に次ぐ第二の都市ではなかったのですか。他の都市国家群に見下げられますよ」


 ムクシルががっくりとうなだれる。


「申し訳ありませんが、俺もマルヤム姫のことは楽観視しないほうがいいと思っています。それでも追いかけていって報復を試み、ただでは済まさない、という姿勢を見せておいたほうがいいかと思いますが」


 エムレの流れるように滑らかな進言を聞いているうちに、気持ちが少しだけ落ち着いてきた。

 ひょっとしたら、このエムレという青年、それなりに頭の切れる男なのかもしれない。状況を冷静に見て政治的な話をしている。この考え方はともすれば爆発しかねない世界情勢を把握しているから出てくるものだろう。


「教主夫人候補者を拉致したとなれば、教主に従う砂漠の民すべてを敵に回したと言っても過言ではない。たとえ生きて取り戻せなくても、ダラヤは黙ってやられるだけではない、ということを示しておくべきでは」


 ムクシルがズバイダを見た。ズバイダはまたにっこり笑った。


「相手は草原の民です。いくら軍隊を差し向けても、わたくしたちが追いつく前に草原に逃げてしまいますよ。無駄に兵を消耗させてはなりません」


 そして、ムクシルにささやく。


「マルヤムなんか捨てておしまいなさい。教主様の妻には、わたくしの娘を」


 また怒りがぐつぐつと沸いてきた。今度はズバイダに対してだ。ズバイダはダラヤの都市国家としての格もないがしろにしようとしている。国主アミールの妻として言語道断だ。


 拳を握り締めて声を張り上げた。


「わたしが参ります」


 ハディージャは高らかに宣言した。


「わたしがヤイロヴ族を追撃します。そしてベルカントとやらからマルヤム様を取り戻してご覧に入れます」


 ズバイダが顔をしかめる。ムクシルが血相を変えて手を振る。


「わたし一人が行けば軍隊を出さずに済みます。兵をいたずらに損耗させることなく、わたしの魔法でなんとかしてみせましょう」

「偉そうに言うではありませんか。あなたのような小娘に何ができるのです?」

「そうだ、危ない。お前の身に何かあってからでは遅いのだぞ」

「いいえ、わたしは行きます」


 腹をくくったら時間が惜しい。ここで問答を繰り返している場合ではない。一刻も早くマルヤムを追いかけたい。


 マルヤムを助けたい。

 彼女をこの手に取り戻したい。

 彼女がもう二度と怖い思いをしないように、自分が彼女を守るのだ。


「わたしはやってみせます。できます。わたしはダラヤ一の魔術師、砂の街の魔女なのですから」


 ムクシルはなおも「だが――」と何かを言いかけたが、ズバイダが止めた。


「そこまで言うのならば行かせてさしあげましょう」


 言い方に引っかかるものを感じるが、行かせてもらえるのならどうでもいい。


「マルヤムを取り戻して、ダラヤに連れて帰ってきなさい。ですが、ダラヤの軍隊は一兵たりとも動かしませんよ。あなた一人でなんとかしなさい」

「ええ、お任せください」

「ちょっと待て」


 間にエムレが入ってくる。


「お前一人で、か?」


 ハディージャはまた止められそうな雰囲気を感じ取って、エムレをにらみつけた。


「そうです。それが何か問題でも?」

「問題がありまくりだろう。お前、どこに向かう気なんだ」


 指摘されて、はっとした。


「ヤイロヴ族はもうダラヤの街を出ている。もう砂漠のどこかを走ってるぞ」

「それは……まあ……」

「ヤイロヴ族の足の速さなら五日もあれば草原の本拠地に戻れる。その本拠地の場所を、お前は知ってるのか?」


 ハディージャはごくりと唾を飲み込んだ。深呼吸をする。


「不可能ではありません。マルヤム様の居場所を魔法で透視することが可能です」

「お前自身の移動も魔法でどうにかできるのか?」

「わたし自身の移動?」

「俺は魔法に詳しくないから適当なことを言っているかもしれないが、その……何と言うか、転移魔法とか?」

「転移魔法は――」


 そう言われて、うつむく。


「わたしの能力では、わたし自身より小さなものしか転移させることができません。わたし自身と同じ体積であるわたし自身の肉体を転移させることは、命懸けの大魔法になるでしょう」

「それじゃ帰りはどうする? マルヤムのもとにたどりついてもベルカントに殺されて終わりなんじゃないか?」

「まあ、はい、そうですわね」


 エムレの言うことが全部正しい。打ちのめされそうだ。


「でも……わたしが行かなければ……。わたしがマルヤム様をお救いしなければ……」


 諦め切れない。けれど他の手段が思い浮かばない。


 押し黙ったハディージャを眺めて、エムレが溜息をついた。


「じゃ、俺も行くか」


 ハディージャは顔を上げ、目を真ん丸にしてエムレを見た。

 彼は至極冷静な表情をしていた。


「ここまで首を突っ込んだんだ。最後まで見届けたい」

「いいのですか?」

「ああ。学識者の資格はなるべく早く欲しいが、学院マドラサの授業の成績は出席日数で決まるわけじゃないからな。草原まで行って帰って往復で十日くらいだろう?」

「そんな単純計算で?」

「俺も草原の民だぞ。しかもお前と二人きりで、大隊全体の動きを見なくてもいい。転移魔法があれば水や食料の心配をしなくても済む」


 淡々と言うので、何でもないことのような気がしてきた。


「水筒や皿ぐらいだったら魔法で運べる大きさなんだろう?」

「もちろん」

「じゃあ、二人前の食事。それで十分だ。馬は俺が信頼できる人間に借りてくる」


 心強い。


「親切なのですね」

「ダラヤの街には三年住んでいて愛着がある。それに――」


 彼の瞳が、一瞬遠くを見た。


「ベルカントがどうしてこんな行動に出たのか知りたい。これじゃ教主を敵に回すようなものだ。そんな馬鹿な男ではないはずなんだが、どうしたものか」

「知り合い、なのですか?」

「ベルカントは草原の民の中では有名人だから、知らない人間のほうが少ない」


 エムレもまた、一回大きく深呼吸をしてから、覚悟を決めた顔をする。


「行くか、ハディージャ。俺が草原に案内する」


 ハディージャは大きく頷いて「はい」と返した。


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