優しい災禍と俺のわがまま

マフィン

1話(完結)


「タイキ、タイキ」

 深い霧の中から喋っているような、どこかぼんやりと響く声、大事な恋人の声が名前を呼んでくる。漫画のページをめくりながら返事をすると、2つの目が俺の顔を覗き込んできた。

「またいじめられたと聞いたぞ。大丈夫か、ケガは……している。痛くはないか」

 俺の背中に体を預けて俺の横顔を見回す深い緑色が、口の端のばんそうこうに気がついた。瞳の表面にめらりと炎が燃える。わかりやすく怒っている。

「大丈夫大丈夫。ちょっとだけだし手当てもしたし。あとまあ、ガッツリやり返したから」

 都会から引っ越してきたのが生意気というだけで、こちらをサンドバッグにしてくる人間に一切の容赦などない。きっちり顔面をボコボコにして教師に見つかる前に逃げてやった。

「だから安心してよ」

「そうか、それならいい……けど……」

 笑ってみせると渋々ながらも納得してくれたようだ。むーむー唸る声をBGMに漫画の続きに着手する。よりかかってくる体がひんやりとしていて気持ちいい。そのままいつも通りに2人だけの穏やかな時間が過ぎていく。はずだった。


「なあ、やはり祟ろう」


 驚くほど無感情な声と共に、よりかかる体がどろりと溶けた。

 でろでろと流れたモノはあぐらをかいた俺の下半身を覆い尽くす。それはもはやヒトの体ではない。夜の闇を煮詰めた色をした、人喰い沼の底の泥めいた粘液だ。その一部は伸び上がり、俺の正面でカタツムリの角のような形状になった。先端には、綺麗な緑色をした人の眼球が2つ付いてこちらを眺めている。

「お前を害した輩を私は許せぬ。だから祟ろう。一族郎党、みなごろしにしよう」

 体のどこから出ているかわからない声は先程とは打って変わって禍々しく、はっきりとした怒りと復讐心が乗っていた。俺は漫画を側のちゃぶ台に置く。そして全身から負の気を撒き散らしながら与えたい災厄について朗々と語る彼の目を見て、しっかりと宣言した。

「ダメ、俺は大丈夫だから。つかいくら祟り神でも無闇に祟っちゃいけません!」

 俺の恋人は、偶然にもドロドロした体の祟り神だった。


「そんな。タイキが大丈夫でも私は大丈夫じゃない。大好きなタイキが怪我したのが許せない」

 だから祟りたい。祟らせておくれ。私はそれしかできぬのだ。彼は粘液を伸ばして俺のことを抱きしめる。ダダをこねた子供が母親にしがみつくみたいに。

 祟り神にもいろいろいるらしいが、目の前の彼は「自分が愛する人を虐げるもの」を祟る神であると聞いた。自分が好きになった人をどこまでも愛し慈しみ、傷つけたものを憎み恨みおぞましい災厄を与えて滅ぼし、想い人を守る。そういうあり方の神らしい。当然それは人の世にとっては脅威でしかなく、彼はある山奥の祠に封印されることになった。そしていろいろあった結果、俺は彼の封印が解かれるところに立ち会い、彼に好かれて取り憑かれ共に生きることになった。

 体に祟り神を文字通りまとわりつかせながらの生活は波乱万丈で、その中でわかったことがいくつかあった。

 まず彼が人を祟るのは「そういう風にしか愛を示せない存在」であるからということ。人間が好きな相手にプレゼントをしたり愛を囁くのと同じように、好きな相手を害したものを害する。それが彼のあり方だった。

 次にわかったのは、彼は愛した人にはとても親切で優しいということだ。喧嘩をしがちな俺がケガをして帰ってくると一番に心配してくれるし、泥のような体をうまく動かしてちょっとした家事までしてくれる。余談だがご利益とかは与えられないらしく、テスト範囲を当ててもらう試みは全滅して2人で落ち込んだ。

 最後にわかったのはーー俺はこの物騒で愛情深い神を、同じぐらい愛するようになったことだ。

「なー」

 巻き付けられた腕に手を添えながら、俺は彼の目を見た。夜空に似た黒に浮かぶ緑の目は、星に似ていていつ見ても綺麗だと思う。もう片方の手で下半身全てを飲み込んだ彼の表面を撫でながら、俺はぽつりぽつりと話し始めた。自分のわがままでしかないお願いを。

「お前が祟りたいって思ってくれてることは正直、嬉しい。あいつらクソ野郎だし痛かったのは確かだし、あと、まー……お前がそれだけ俺のこと好きってことなんだろうしさ」

 最後のは正直こっぱずかしかった。けど事実なので何とか言い切った。そして次の言葉を繋げる。

「けど俺は同じぐらい、お前が誰かを祟るのは嫌だ。お前がまた見つかって、別れさせられるのが嫌だ。会えなくなるのが嫌だ」

 これは実際にあったことだ。まだ俺と彼の付き合いが浅かった頃、俺にイチャモンをつけてきた不良を祟り、やつらの雇った霊能者やら何やらが彼を封じようとしたことがあったのだ。その時は幸いにもわかってくれる人がいて事態を収めることができたけど、次も同じ奇跡が起こるとは限らない。

 目の前の緑の目が一瞬震えた。浮かんだのはきっと恐れの感情。彼もまたあの出来事を思い出したのだろうか。

「だから、お前のやりたいこととかあり方とか全部我慢させることになるのは申し訳ないけど、祟らないでほしい」

 頼む。そう言って頭を下げる。これで気持ちが届いてほしい。そう願いながら。

 後頭部を見下ろす視線を感じる。あの瞳は、キラキラ輝く俺の星は、一体何を思っているのだろう。その色をちょっと見たいと思いながらも、頭は上げなかった。


 数分ほど経っただろうか。急に体にまとわりついていた彼の体が引いていった。そのまま俺の前に集まり、両手でギリギリ抱えきれないぐらいの大きさのまるい塊になった。また角が伸びてきて、目を作る。人だったら首を傾げるように角を曲げてこちらを見る。

「タイキは本当にわがままだ」

「悪い」

「うん。けど私もお前とは離れたくはないし、好きなタイキの嫌なことはしたくない。だから今回は我慢しよう」

 えらいだろう。発された声はわかりやすく得意気で、さらに優しい色も帯びていた。自分の根底を曲げてまで俺に付き合ってくれる。それが俺の、愛しい祟り神なのだ。

「本当にえらいよ、ありがとな」

「そうだ、代わりに私の願いを聞いておくれ。お前にしかできないことだから」

 何をさせたいのか、できることだろうかと考える暇もなく、俺の体すべてを彼が包みこむ。ひんやりとして少しドロっとする彼の体は、見た目に反して結構快適な触感だ。好きな相手に包まれる、人で言えば抱きしめられるというえこひいき込みの評価ではあるのだが。

「今日1日、こうやって私と過ごしておくれ。安心しろ、台所にも風呂にも連れていくぞ」

「……うん、わかった」

 どちらからともなく漏れ始めた笑いが、静かな部屋に響いていく。

 姿もあり方も異なるはずの神とただの人。変わった俺達2人のまじわりと対話は、いつもこうやって笑顔で終わるのだ。

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