第5話



「出灰さん、別に気乗りしないのなら、この仕事を断っても良いけど…」


何時までも、思い詰めたかの様に俯いている出灰ハクア。

彼女の体調を考慮すれば、今回の仕事を断り、別の社員が仕事を変わる事は可能だろう。

だが、彼女は其れを由としなかった。

胸元に手を添えて、何度も何度も、深く呼吸を繰り返している。

彼女の慎ましい胸元が上下に起伏すると、顔を上げて狗神仁郎を見た。


「いりがみさん、大丈夫、です…仕事ですから、私情は、挟みません」


そう言いつつも、彼女の脳裏には高校時代の苦い思い出で埋め尽くされた。


万千世と言う名前の同級生。

大企業の上層部幹部である父親を持つ彼女は、すぐにヒエラルキーの上位として君臨した。

欲しいモノは与えられ、宝石の様に磨かれ、姫君の様に扱われた彼女の性格は傲慢に育った。


周囲には取り巻きが多く存在して、彼女の元に集まる人間は皆、金ヅルになると持て囃した。

助長する態度、気に入らない教師が居れば、強迫用の写真を偽造してSNSに拡散し、解雇に陥れる。


出灰ハクアは大人しい少女だった。

当時は暴力を振るわれる事無く、自身の体調も考慮して教室や保健室の片隅で静かにする様な生徒だ。


そんな彼女に対して、万千世は少なからず嫉妬していた。

儚げな少女として周囲の教師や生徒からは劣情を抱かれてしまう、それ程までに現世離れした美が其処にある。

唯一、顔が微妙な彼女にとっては、自分よりも美しいものがある事が許せなかったのだろう。


ただ其処に在るだけの出灰ハクアを呼び出して、取り巻きが彼女を抑え込む。


『最近チョーシ乗ってるじゃん出灰さん、さぁ』

『髪の毛も伸ばして、色も真っ白にしてさ、髪染めるの禁止なの知ってんの?』


そんな事を言うが、校則に違反しているワケではない。

先天的な事情故に、髪の毛が白くなるのは仕方が無い事だ。

それは学校側も承知している事であり、そもそも、髪を染めると言った校則違反は万千世が違反している事である。

出灰ハクアはその事情を口にするが、彼女の腹部に金属バットが殴打される。


『うッ、くぅッ』


腹部を殴られて沈み込む出灰ハクアに、髪の毛を掴んで万千世はバリカンを取り出した。


『校則違反、校則違反、根本まで染めてんのなら、根本まで剃ってやるよ、感謝してね、出灰ちゃん』


髪の毛を掴まれて、乙女の髪の毛を切り裂く。

辞めてと叫ぶ彼女の声は、虫を捻り潰した悲鳴の様に心地良く、女子トイレの排水溝に髪の毛が落ちていく。


『あははッ!ついでに制服も校則違反だから、破ってあげるねッ!』

『反省の色を見せて、ほら、土下座しろよ!写真に撮ってやっから!!』

『うわぁ!やばッマジでしちゃったよこの娘!!ねえ、面白いからコレ、拡散しない?』

『あ、ごめーんっ!間違って押しちゃった、あはは!!…オイ、ブス、気持ち悪いんだよ、そのまま死ね、学校に二度と来るなよ?』


丸裸にされたまま、彼女の髪の毛と切り裂かれた制服は、女子便所で流された。

保健室で体操服を借りた出灰ハクアは、あまりのショックに不登校となる。


高校生時代と同じくらいの髪になるまで、ずっと部屋の中で過ごしていた。

その時の記憶が、今でも鮮明に思い出す、哀しみを抱き、今から万千世に逢うと思うと、恐怖で吐いてしまいそうだった。



「…」


唇を強く噛む。

歩く度に体中に巡る熱で意識が朦朧とする。

こんな状態で、今から大迷宮・奈落迦へ潜るなど、難しい事だ。


「なあ、出灰さん」


狗神仁郎は、出灰ハクアに声を掛けて、そのまま耳元で囁く。


「イジメてた奴が怖いなら…これを機にさ」


「…?」


狗神仁郎は、目を細めて微笑みを浮かべて言う。


「恨みを晴らす為に殺してみないか?」


と。

仕事なのにとんでも無い事を口にする狗神仁郎。

当然の様に、出灰ハクアは口を大きく開いて唖然としていた。

なんと言う提案をするのだろうかと言いたげに、出灰ハクアは首を左右に振って言う。


「だ、ダメに決まってますッ!そ、そんな事、しちゃ、いけません、ですッ」


「そうかな?…俺は仕事は全うする、それが垰さんに対する礼儀だけど…それでも、俺だって気乗りしねぇよ、態々、出灰さんを虐めてた奴を助ける程、慈善に満ちたワケじゃねぇ、仕事は完遂するが、仕事が終わった後に奈落迦に落として殺そうぜ?流石に二度も落ちりゃ、馬鹿女の馬鹿親もそれが運命だって諦めるだろ」


ケラケラと笑う狗神仁郎。

中々に頭のネジが外れた発言だ。

確かに、イジメられた記憶は、トラウマとして彼女の中に残っている。

だが…自分の手で殺せる程に恨んでいると言うかと言えば、別だ。

そもそも、出灰ハクアは恨んでなど居ない、怖い思いをしたが、それはあくまでも、自分によって起きた事、自分さえ居なければ起こらなかった事だ。

自分の体質を理解している、だから…仕方が無い事だと、天災に遭ったと思う他ないのだ。


「俺は性格の悪い女よりも、俺の相方で、傍に居てくれる出灰さんの方が大事だ、出灰さんが望むのなら…俺が、さっき言った様に、奈落迦に落として頭を割って殺してやる」


悪魔の様な台詞だ。

出灰ハクアが望めばそれをする、と言っている。

だが、…出灰ハクアはそれを望まない。


「…この、恐怖は、この人に植え付けられ、ました…それは認めます、ですが…その恨みを晴らすのは、違います、ハクアは、…恨みを晴らす為、と言って、復讐をするのは、出来ません…」


それが出灰ハクアの善性なのだろう。

暴力もイジメも受け入れて、それが仕方が無い事だと自分を犠牲にする。

体質故に…彼女の性格は別の方向性に捻じ曲がり、歪んでしまったのだ。


「出灰さんが、それでいいのなら、…俺は出灰さんの意思を尊重するよ、でも、気が変わったら言ってくれ、…出灰さんの味方は俺がなってやるから」


「…ありがとう、ございます、いりがみ、さん」


心地良い距離感だ。

出灰ハクアはそう思う、何故だか、狗神仁郎の傍には安心感があった。

それは、彼女の体質に対して負の感情を向けていないからだろう。

それが嬉しいのか、出灰ハクアは、過去の事なんてどうでもいいと思える程に、狗神仁郎に寄りかかっていた。




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