第4話

「ご、ごめんな、さい…遅れ、ました」


狗神仁郎の着任から少し経過した時間帯に、出灰ハクアが現着。

苦しそうに胸を押さえつけながら、出灰ハクアが肩で息をしている。


「ハクちゃん、おはよう、こんな朝早くに呼びつけてごめんなさいね?」


愛玩動物を見るかの様に垰は頬杖を突きながら言うと、出灰ハクアは首を左右に振って申し訳なさそうな顔をしている。


「い、いえ…遅れて来た、ハクアが、悪いです、から…」


今日は嫌な夢を見た。

幼い頃の苦い夢を噛み締めて、気持ち悪そうに顔を蒼褪めている出灰ハクア。

だが、弱音を吐く様な真似などしない。


「(今日から、いりがみさんと、お仕事…足を引っ張らない様に、頑張らないと)」


出灰ハクアは、自分と組んでくれた狗神仁郎の為に頑張ると躍起になっている。

テンションを高めながら握り拳を作るが、少しやる気を出すと気持ち悪くなるので表情が苦虫を噛み締めた顔をしていた。


「二人が揃ったから、お仕事の話でもしましょうか…先ずは、ワン?」


狗神仁郎を愛称で呼ぶ垰に「はい」と声を出す狗神仁郎。


「貴方はまだ、奈落迦とはどういうものかは理解してない筈よね?」


「えぇ、まあ。新参なもので」


無知である事を恥ずかしがらずに正直に告げる。

評価の良い答え方に垰は頷いた。


「あのね、ワン。大迷宮は生きているの」


迷宮・奈落迦と言う存在を語り出す。


「迷宮内部はお腹の中」

「当然、迷宮はごはんを食べないと死んでしまう」

「死なない為にご飯を食べるのが生物の基本よね?」

「人間は雑食だけど、魚はプランクトンとか食べたりするでしょ?」

「牛は草食で、ライオンさんはお肉が大好き」

「なら奈落迦は何が好み?」

「それは人間の負の感情が大好物」


奈落迦のシステムを簡単に説明する。

無学な狗神仁郎にもすらすらと頭の中に入って来る。


「年間の行方不明者は一万人以上」

「その内の一割は大迷宮が選んで迷宮に落とす」

「これが奈落墜ち、ワンが経験した事ね」


奈落迦と言う土地、此処は多くの人間が彷徨う大迷宮だ。

人間とはその大迷宮を維持する為の栄養源に過ぎない。


「それで奈落迦は人間の負の感情を取り込む事で、大迷宮に蓄積される」

「蓄積された負荷は、呪詛と化して排出される、それが禍遺物ね」

「怖がらせれば怖がらせる程に、人間は負荷を追うから、大迷宮は増強するの」

「今回の仕事は、その人間の回収よ」


狗神仁郎と出灰ハクアに向けて写真を弾き飛ばす。

手裏剣の様に飛ぶ写真を狗神仁郎は片手で取るが、出灰ハクアは額に写真の角が当たってしまい、蹲ってしまう。


「あうぅ…」


痛そうに額を擦る出灰ハクアは、そのまま地面に落ちた写真を確認した。

其処に映るのは、出灰ハクアにとって、見た覚えのある存在だ。


「大迷宮・奈落迦を知る大企業の一つね、その上層部のお偉いさんの娘よ」


「企業って事は表の会社ですかい?」


基本的に、奈落迦と言う存在は裏の世界であり、表社会には浸透していない事情であると狗神仁郎は認識している。

だから、表社会の重要人が奈落迦の事を知っていると言うのは少しだけ意外な事だった。


「えぇ、むしろ表の社会では色々な社交があるから、こういった情報も耳にする事はあるのよ…私もそういうパーティに参加してるし」


「あぁ…」


つまりは、垰が喋っているのだと狗神仁郎は思った。

回顧屋と言う仕事は、回収した禍遺物の売買、要請された人員の派遣と言う傭兵の仕事も兼ねている。

奈落迦へ入る人間が増えれば増える程に、回顧屋、強いては垰が儲かると言う仕組みなのだ。


「まあ、才能ある人間じゃないと入れないから…知識だけはある程度だけどね」


「才能…奈落迦に入るにも、そんな才能があるんですか」


狗神仁郎にはピンと来ない話だ。

何故ならば、狗神仁郎は気が付けば奈落迦に居た『奈落墜ち』である。

選ばれた人間しか入れないと言われても、最初から入る事の出来た狗神仁郎には分からない事だった。


「えぇ、先程も言ったけど…奈落迦は負を抱く者を招く」


「死にたい、消えたい、羨ましい、妬ましい…殺したい、犯したい、奪いたい…」

「そんな、とても口に出来ない様な負の欲を持つ者、社会に適応出来ない様な人間だけが奈落迦へ墜ちる事が許される」

「言ってみれば、この奈落迦ナラカこそが、マイナスの世界みたいなものね」


何となく、狗神仁郎は腑に落ちた。

幾度と無く、奈落迦で探索を続け、自らにも負の欲望と言うモノが宿っている事を理解した。

狗神仁郎の様に、そんな人間たちにとっては、この奈落迦は正に、理想郷とも呼べるのだろう。


「(じゃあ…出灰さんも、その適性があったから…此処に居るってワケか)」


明らかに、負の塊である出灰ハクアの方を見た狗神仁郎。

しかし、出灰ハクアは呆然と、写真を見続けていた。

先程から会話に参加しなかったので、何かあるのかとは思っていたが、写真に何か思い入れでもあるのか。


「出灰さん?」


狗神仁郎は出灰ハクアに視線を落とした。

彼女の後頭部と写真だけが見えている、写真には、金髪に染めた女性が、居酒屋の一室で友人と共にピースをしている姿で留まっている。


「…あ、えと」


出灰ハクアは、狗神仁郎の声に反応した。

顔を上げて、狗神仁郎の方に顔を向けて、彼女は視線を落として告げる。


「この人、知ってます、…高校生の頃、ハクアを、…」


喋る度に声が細くなっていく、高校生と言う事は、同級生だったのかと、狗神仁郎は思った。

友人関係であれば、これほどまでに気分を沈み込ませる事は無いだろう、だとすれば、狗神仁郎は凡その考えがついた。

ポツリと、出灰ハクアは言った。


「ハク、アを、…っ、い、イジメてた、人です」


高校生の頃の苦い日々が滲み出す。

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