第9話 公主の宿命
「わかったか。今ので死んでいたぞ」
放心しその場から微動だにできずにいる公主様へ冷たく言葉を投げつける。
決闘の最後の局面。策を
「仮に模擬刀の決闘だったとしても結果は同じだ」
世界一硬い鉱石――黒龍石を両断するほどの切れ味である。本来は殺傷力のない模擬刀ではあるが、龍人の強靭な肉体をも切り裂くことは想像に難くないだろう。
公主様の手から刀剣が滑り落ちて、
「ああ、私の負けだ」
しおらしくうなだれて見せる公主様に、されど
怒りをぶつけるように公主様の手を上方へ
「決闘の取り決めは守らなければならない。おまえは何でも言うことを聞く。そう言ったな」
捻り上げた手をさらに締め上げる。公主様が
「だったら、俺のモノになってもらう。意味はわかるな?」
「妻になれということだな」
「違う。奴隷になって貰う」
表情の変化に乏しかった公主様の顔に、そこで初めて
「なっ……ど、れ……い?」
その混乱を象徴するかのように、焦点を失った眼球が左右に揺れ動く。
拘束した手首を力任せに引っ張り公主様を抱き寄せると、龍衣の襟元から覗く白く細い首筋に
そのまま耳元で囁く。
「では早速、
年端も行かぬ少女にとって、死刑宣告にも等しいその要求に公主様は顔を背けることで僅かばかり抵抗。しかし彼女は気丈に耐えた。
「好きにしろ」
一瞬、どす黒い感情が
――この女をメチャクチャに汚したい。
「ちっ」
舌打ちし、公主様を拘束していた手を離す。
拘束を解かれ自由の身となった公主様は、力なくフラフラと後退し、地面に尻もちをついた。放心しているのかその瞳は
「なんで断らねえ。どうしてそこまで自分を投げ捨てることができる。どうして自分を大切にしねえ! 例え決闘の決め事だったとしても
自分の価値を貶め、無価値であるかのように投げ捨てる。まるで安いケチな景品か何かのように自分の身を簡単に差し出そうとする。こんなにいい女なのに、今まで出会った女の中で一番有能である癖に、彼女がどれだけ価値のある存在なのか――ほとんど面識のない
「剣術しか取り柄のない俺とはちげーだろ! おまえの価値は本物だ!」
この学園の生徒なら誰だって知っている。それなのになぜ、この女は自分を安売りする。その感覚が理解できず、そして何より許せない。
「答えてくれよ。なぁ公主様!」
放心状態だった公主様がハッと顔を上げる。
龍衣の胸元にそっと手を当て、公主様は安らかに目を閉じた。
「自分で切り開いた運命なら受け入れられる。だから奴隷でも構わない」
「奴隷で良い訳ねーだろ! ちょっとは構えよ!」
夜の庭園へ響き渡った怒声に公主様はきょとんとした顔をした。
「あなたが奴隷になれと命じたのだろう」
「いや、そうじゃねえ!? あれは無防備なあんたに危機感を覚えさせるためにカマをかけただけだ。それぐらいの事、今のやり取りでわかれよ!」
肩で息をつき、
「いつまで腰抜かしてんだ。ケツ痛くなるぞ」
遠慮がちに伸ばされた細い腕を引っ張り上げ、公主様の身を起こす。その美しい顔には疲労が浮かんでいるが、血色自体は悪くない。
頭一つ低い位置から、公主様の
聞きたいことはたくさんあったはずなのに、いざ本人を前にすると霧散するみたいに消えてしまった。その瞳に宿る不思議な魔力のせいだろうか。何か言わなければと思うのだが、何も浮かんでこない。
上院と下院の生徒は
明日になれば、再び別々の道を歩むことになるだろう。
もしかすると、もう二度と会うことはないのかもしれない。そうやって
「なんで決闘する必要があったんだよ」
結局、長い時間を掛けて絞り出せたのはそれだけだった。もっと聞かなければいけないこと。優先順位の高い質問はあったはずなのに。
公主様はぽつりと答えた。
「恋をしたかった」
◇◇◇◇◇
生温い風が吹いて眠りについた草木を揺らす。
睡眠を妨害された木々のざわめきが不満を述べるかのように鼓膜を震わせる。
風に吹かれた公主様の黒髪が同化するように闇へ溶け合う。
「公主は、
庭園のベンチへ腰を下ろした公主様がうつむき加減で事情を語った。
公主様曰く、龍公とは龍人男子に与えられる爵位で、上から三番目に該当するらしい。
爵位は、
「つまり、上級貴族に嫁ぐことが生まれながらにして定められた私の運命なのだ」
政略結婚。
それは人間社会の貴族・王族の間でも行われている政治的な婚姻である。
知識として
「あの日、言ってたよな」
龍王樹の赤い花が舞い落ちる中、初対面とは思えない至近距離、見上げるように漆黒の瞳が覗き込んできた。今にして思えば、その瞳は少し悲しげだった。
「不本意な運命だと」
「ああ、そうだ」
それは落ち込む
しかし実際は、自身へ向けた言葉だったに違いない。今だからこそ確信できる。
「戦うべきだ、とも。つまり、好きでもない相手に嫁ぎたくないんだろ」
公主様は膝上に組んだ両手に視線を落としたまま、力なく頷いた。その弱々しい子犬のような姿に、
「龍公はすでに大きな群れを持つ
龍人は100歳で人間でいうところの二十歳に相当し、見た目も若々しいのだが、感覚的な話で言えば恋愛感情は抱けない気がする。
「百歳って言ったら、感覚的には爺に嫁ぐようなものだもんな」
それはあくまで人間としての感覚。
公主様はそれをユーモアのある冗談と受け取ったのか、クスリと笑った。
「だから私は、父上を説得した。好きな人に嫁ぎたいと。そしてそれは制度的にも可能だった。公主が嫁ぐ条件は二つある。一つは龍公以上の妃として嫁ぐこと。そしてもう一つは、上院の首席相当の正妃として嫁ぐこと。このどちらかを満たす必要がある。だが、後者の条件を満たすためには問題が二つあった」
正妃。それは一番最初に群れへ迎え入れる妻のことを指し、正妃の序列は常に一番高くなる。そのような説明を桜華がしてくれたことを思い出す。
同時に彼女の言わんとする問題点がわかった気がした。龍人は基本的に同年代の男女で群れを作る。
「上院の首席相当って……一学年でその席にいるのは」
「そう、私だ」
「要するにあんたよりも優秀な男じゃないと娶れないんだな」
「そうだ。そしてもう一つの問題も、結局はそこに尽きる」
――恋をしたかった。
唐突に、公主様がぽつりとこぼした一言が脳裏に浮かんだ。
「龍人女子は、強い男を好きになる。しかし、近い世代で私より強い男は一人もいなかった。だから私は恋をしたことがなかったのだ」
龍人女子の感覚を
優秀すぎるがゆえに、誰も好きになれない。それはすごく孤独で寂しいことではないだろうか。半龍人である
それは
そして好きな人ができない以上、好きな人に嫁ぐという夢は絶対に叶わない。
「だから私は探した。私に勝てる男がいないかを。私に勝てるのなら、首席相当と
公主様は肩を震わせて言葉を失くした。
「全て覚悟の上だったんだな。背水の陣で臨んだという訳か……」
そして唯一公主様に勝利できた男が
けれど、現実は何と無情なのだろう。
しかも、当の公主様はその事をご存知ない。
そしてその残酷な真実を伝える勇気を
逃れられない理不尽な運命と、不甲斐ない自分に腹が立ち、どうしようもないぐらい心が締め付けられ、苦しくなる。
「そんなのってあるかよ……」
その先は言葉に出せない。
(ようやく見つけた希望の光が俺みたいな落ちこぼれだったなんて)
ぎゅっと拳を握り込む。爪が自身の肉に食い込んだとて容赦せず拳を限界まで握り締める。その痛みさえも、
「なぁ、第三の選択肢じゃ駄目なのか?」
「第三……? 他に妙案があるのか?」
深呼吸をする。口にする以上、生半可な気持ちではいられない。
公主様の美しい顔が、こちらを見ている。ゴクリと生唾を飲み込んで
「全部投げ捨てて人間の街で暮らす」
公主様がポカンと口を開けた。しばらくその状態で固まったまま、沈黙。そして突然、口を押えてクスクスと笑いだした。
「笑うなよ。心外だな。真面目な提案なのに」
ひとしきり笑った後、公主様は目元の涙を拭いて困ったように笑んだ。
「人間の街でどうやって暮らしていくつもりだ」
「俺は人間の街で育った。だから人間社会の事情にも詳しい。実家もアルガントにある。だから――」
心臓が早鐘のように鳴っている。
大きく息を吸い込み、早口でまくし立てる。
「あんたに公主という地位を捨てる覚悟があるなら、そして人間として生きて行く決意を持てるというのなら、俺が一緒に付いて行ってもいい。人間の街で暮らすのが不安だと言うなら、俺が一緒に暮らしてもいい。奴隷になってでも嫁ぎたくないというのなら……絶対、こっちの方がいいはずだ」
それは駆け落ちしようと持ち掛けたようなもの。
一生分の勇気を使い切ったのではないかとさえ思う。
しかし、公主様はまたもや冗談だと思ったらしい。咳き込むほどに笑っている。穴があったら入りたい。そんな気持ちで
「ならば、そのように命令すればいい。人間の街で一緒に暮らせと。あなたには私に命じる権利があるのだから」
「それは違うだろ。俺は――」
命令して一緒になる。
それは
例えそれが公主様の願いであったとしても。
「そうだな。やっぱり根本的な価値観が違うんだろうな」
人間と龍人。そこには文化の違い、環境の違い、考え方の違い。そして種としての本能。様々な要素から構成される価値観という大きすぎる溝がある。
(いや、違うか。
本人の同意が得られなければ駆け落ちはできない。
全てを捨てる覚悟ではあったが、断られてどこかほっとしている自分がいた。
強く目をつむりかぶりを振る。そして雑念を振り払う。驚くほど穏やかな声が出た。
「ずっとお礼を言いたかったんだ」
公主様が不思議そうに首を傾げる。
「龍王樹の下で公主様には勇気を貰った。だから俺は、今もこうして学園に在籍することができている。あのきっかけがなかったら、こうして一緒に話すこともできなかっただろう。だから――」
今、自分はどんな顔をしているだろうかと
心を込めて頭を下げた。
「ありがとう」
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