第8話 東堂VS神崎⑧

『試合時間残り十五秒! 二人とも睨み合ったまま、動こうとはしません!』

 実況が叫ぶ中、神崎はコーナーを背に、ノーガードのまま打って来いと誘っている。この局面を打開する権利を持っているのは東堂。ボールは今、東堂の手中にある。

「なにやってんだよ、東堂! ビビってないでさっさとイケや!」

「ノーガードはただの強がりだ! 神崎の顔面に自慢のノーモーションをぶち込んでやれよ!」

「そうだそうだ! KOでケリつけろ!」

 東堂のKO勝利に賭けている観客から、苛立ちの声が浴びせられた。誰よりも神崎に勝ちたいのは東堂自身だ。試合もフラッシュダウン以外、すべて優勢に進めている。だが、たったの一発のビッグヒットでひっくり返されてしまうのがこの『リアル』という格闘ゲームの恐ろしいところ。

 本当に神崎には秘策があるのか。あるとすればそれはカウンターしかない。だが、神崎にはノーモーションが見えていない。

 見えないパンチにどうやってカウンターを合わせるというのだろうか。一か八か、運任せで攻撃を放つくらいしか方法はないはず。

 神崎が長距離で放ってくるのは廻し蹴り、中距離ならかかと落とし。どちらも動作が大きいため、今の東堂なら難なく避けられる。

 最も警戒しなければいけないのは、相打ち狙いのパンチ。だがそれも、同時に放てば東堂のノーモーションが先に当たる。立っているだけでやっとの神崎はその衝撃でマットに沈むこと間違いない。

 もはや自分の勝利以外に選択肢は残されていないように見える。実戦を積むほどに昔の勘を取り戻していく神崎。もう一度戦っても優位に試合を運べる保証はない。今は間違いなく、千載一遇のチャンス。なにより引き分けでは懸賞金の十万ドルはもらえない。勝利が絶対条件。

『残り十二秒! この勝負どうなる――』

 実況が叫んだその時だった。東堂は意を決して神崎の間合いに飛び込む。

『――ついに東堂選手が動いた!』

 コーナーを背にノーガードで立つ神崎目掛けて、東堂が真正面から挑んだ。仙人と一馬も思わず身を乗り出す。

「行きよった!」

「東堂が腹を括ったぜ」

「これで東堂の勝利か」

 東堂は動きながらも、神崎を観察することに余念がない。長距離で神崎の動きはない。さらにつまって中距離でも神崎に動く様子はない。

「やはり狙いは相打ちか」

 一馬戦と同様の作戦を神崎は選んだようだ。だが、東堂には通じない。

「俺のノーモーションの方が速い。十万ドルは貰った!」

 迷いのない動作で、東堂は自慢のパンチを放つ。

「喰らえ、ノーモーション!」

 同時に神崎も動いた。スティックを上に倒し、キャラクターを真上にジャンプさせる。

「な、なに……」

 驚く東堂が放ったパンチは、浮いた神崎の腹を叩く。神崎は飛びながら、右膝を曲げていた。その先端が東堂のアゴを捉えて跳ね上げる。

「な、なんだと!」

 目を見開く東堂。たった今、起きたことが信じられずにいる。

『とっ、とっ、跳び膝蹴りだぁぁぁ! 神崎選手の跳び膝蹴りが、東堂選手のアゴを撃ち抜いたぁ!』

 腹を殴られた神崎のキャラクターはバランスを崩したが、真後ろにあるコーナーにもたれる形でダウンを逃れた。

 一方、膝蹴りをダイレクトに喰らった東堂のキャラクターは、爆破解体されるビルのように足から崩れ落ち、その場に倒れ込んだ。

『ダ、ダウーン! 東堂選手二度目のダウンです!』

 絶叫と悲鳴が飛び交う会場内。関係者席でも仙人と一馬が呆然としている。

「な、なんと……見えないはずのパンチに、膝でカウンターを合わせおった……」

「なんでそんなことが……どうしてカウンターを合わせられるんだよ……しかも跳び膝蹴りだぜ」

「まったくじゃ……神崎はずっと、覇気がなく俯いておっただけじゃ……画面の下を見つめるようにして……画面の下を……」

 仙人はギョッとして目を見開いた。

「そ、そうか! 神崎は覇気がなく俯いておったのではない。ずっと画面の下を注視しておったんじゃ!」

 一馬が首を傾げながら訊ねる。

「俺にもわかるように言ってくれよ」

「東堂のノーモーションは見えん。正確に言えばそのハンドスピードが見えんと言うこと。だが、足はどうじゃ」

 ようやく一馬にもピンときた。

「そうか! 足の動きは見えている。神崎はこの試合、何度もノーモーションを喰らいながら、その距離とタイミングを、東堂の足の位置で計っていたのか」

「今まで見たことが無い東堂の試合。戦いながら初見でこの攻略法に気づき、足の運びからタイミングを掴んで実現させるとは……あの男、神というより化け物じゃ」

 神崎の強さの秘密、それはカウンターよりもむしろ、この洞察力と実現力にあると仙人は感じ取った。一馬も同じ思いだ。

「跳び膝蹴りを選んだのも、東堂のノーモーションを避けられないと覚ったからだな」

「顔面に受けたら意識が飛んでしまう。だが腹ならその心配はない。倒れそうになっても後ろにはコーナーがあるから、体を支えることが出来る。恐らく神崎は、わざとコーナーに詰まった振りをしたんじゃ」

「そこまで計算していたとは……やっぱり神崎は凄いぜ」

 自分を負かした唯一の男、神崎省吾。そのプレイヤーには畏怖の念さえ抱く。

『ワンー! ツー! スリー!』

 リング上ではレフリーがカウントを数えている。東堂は必死にスティックとボタンを叩くが、膝蹴りをまともに受けてしまったキャラクターは、俯せに倒れたまま起き上がる気配がない。

「立って! 立って東堂さん!」

 シノブが悲壮を漂わせながら叫ぶ。その隣で二岡は頭を抱えていた。

「何の策もないはずだった……ただの悪あがきにしか見えなかった……これが逆転の神崎の底力なのか……」

『フォー! ファイブ!』

 カウントは進んでいく。奇しくもラウンドの残り時間とカウントがシンクロしている。試合時間残り五秒、カウントも残り五秒。

『シックス!』 

 東堂は自分のキャラクターを見つめた。未だピクリとも動かない。

『セブン!』

 ここで東堂はスティックを持つ手を緩めた。まるで運命に従うように、抗うのを止める。

『エイト!』

 神崎を応援している観客が、一緒になってカウントを叫んでいる。東堂に賭けていた参加者は対照的に、ガックリと項垂れている。

『ナイン!』

 誰も成し遂げることが出来なかったコロッセオの頂点に、一人の男が立つ瞬間が訪れる。

『テン!』

 会場が噴火の如く湧き上がった。実況のマイクがかき消されそうになる。

『第三ラウンド三分丁度、神崎選手のKO勝利です! なんとういう大逆転劇! これほどまでにギリギリの試合が今までにあったでしょうか!』

 試合を終えた神崎が静かに立ち上がった。自然と神崎コールが沸き起こる。

「かーんざき! かーんざき! かーんざき!」

 四天王をすべて倒した神崎は、相変わらずの無表情のまま、軽く手を挙げて応える。神のごときその男は、いつだってこの瞬間を味わってきた。

 初めての敗北を喫した東堂。たった今、目の前で起こった出来事なのに、まるで現実感がない。勝ったと思ったのに負けている。これが神崎と戦うということ。

 ステージを降りようとする神崎に、東堂が声を掛けた。

「俺が攻めなかったら、どうするつもりだったんだ」

 神崎は首から上だけを捻って振り返り、答える。

「ノーモーションに自信を持っているお前は、必ず攻めて来ると分かっていた。自信を持つことは悪くないが、持ち過ぎれば弱点にもなる」

 それだけ言い残すと、神崎はゆったりとステージを降りて行った。割れんばかりの拍手が降り注ぐ。その伝説の男を見つめながら、東堂は呟く。

「この戦い、最後の選択肢は『勝利』か『引き分け』だと思っていたが、俺に残されていたのは『引き分け』か『敗北』だったんだな」

 神崎がコーナーを背負った時点で、東堂の負けは決まっていた。それに気づいていた者は、神崎本人以外に誰もいなかった。

「やった……やってくれたぜ、あの野郎」

 豪傑は震えが止まらなかった。本当に四天王を全員倒すなんて、信じられない思いだ。困難を乗り越えて自分との約束を果たしてくれた。スパーリングパートナーとして付き合ってきた甲斐がある。

 華村も大きく一息吐き出した。自然と全身に入っていた力を抜いて行く。潜入捜査で初めて成し遂げた快挙。ようやく大きな一歩を踏み出せる。

 アンダーグラウンドでの戦績、5戦5勝4KO無敗。神崎省吾の一戦は、いつもより長く興奮の余韻をコロッセオに残した。

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