第8話 東堂VS神崎⑦

 神崎が操る画面上のキャラクターをねめつけながら、東堂は軽く一息吐き出した。付け焼刃のノーモーションで不覚のダウンを喫したが、もはや立場は逆転している。

「すでにどちらが勝つかではない、俺がどうやって仕留めるかだ」

 東堂はより集中力を高めた。逆転の神崎に、逆転勝ちを収める。これほど華々し勝ち方が他にあるだろうか。

「神のごとき男も所詮、俺がこのコロッセオで今より注目を集めるための踏み台に過ぎない」

 彗星のごとく現れ、四天王を次々と撃破してきた神崎。その神崎に劇的な逆転勝利をおさめ、さらには一馬も倒してこの新宿コロッセオの頂点に立つ。いよいよその時が来た。

 スティックを握る東堂の手に力が入る。

「最後の悪あがきでガードを固めるが良い。俺はその間を縫ってノーモーションでキメてやる」

 その時だった。神崎はガードを固めるどころか、両手を開いて緩めていく。

『な、なんと……コーナーに追い詰められた神崎選手が、まさかのノーガード戦法!』

 騒然とする観客席。関係者席にいる豪傑も青ざめた。

「バ、バカな真似を……奇襲のノーモーションのように上手く行くとでも思っているのか。東堂にそんな破れかぶれの誤魔化し、通じるわけがないだろう」

 否定する豪傑に対し、一馬は意外な見解を述べる。

「案外有効かもしれないぜ。相手は逆転勝ちを真骨頂とする神のごとき神崎。試合を一発でひっくり返すカウンターを持っている。その男がノーガードで打って来いと誘っているんだ、何かあるかもしれないって警戒するだろ」

 豪傑はステージ上の大型スクリーンを見た。一馬の言う通り、東堂は神崎の正面に立ったまま、動こうとはしない。それを見て、仙人は神崎の意図を覚った。

「こ、これは『空城の計』か……」

 その呟きを聞いた一馬が、眉間に皺を寄せる。

「なんだよ仙人、その『空城の計』ってヤツは」

「諸葛孔明が用いた心理戦術の一つで、徳川家康が武田信玄との三方ヶ原の戦いで用いた戦法じゃ。戦場で大敗した徳川家康は、命からがら城に逃げ帰ったが、当然のように武田軍が追って来た。壊滅状態で応戦する戦力がない徳川家康はあえて城門を開き、武田軍をおびき寄せる形で迎えたんじゃ。罠が仕掛けられているのではないかと警戒した武田軍はその誘いに乗らず、兵を引き返して徳川家康は絶体絶命の危機を逃れた」

「ようは、ただのハッタリってことだろ」

「そうじゃ。並みのプレイヤーがこの局面でノーガード戦法をやっても、ただの強がりにしか見えん。だが、目の前にいるのは『逆転の神崎』の異名を持つ、神のごとき男。実際、ワシらを相手に大逆転勝ちをおさめている力強い戦いを、東堂はその目で見ておる」

「潜在意識の中に『逆転負け』の恐怖が、自然と植え付けられているってことか」

「神崎は東堂の試合を見たことは無いが、東堂は何試合も見ておる。それは東堂にとって有利になるはずじゃが、それさえ神崎は逆手にとって利用しおった」

「敗北濃厚だと覚った神崎は、勝てないのならせめて引き分けに持ち込んでやろうって寸法か。やるもんだねえ」

 一馬は呑気な声を上げたが、仙人は恐怖さえ感じていた。

「東堂は分析の結果、神崎のカウンターを警戒し、優勢でも不用意に飛び込まない戦略を取っておるのじゃろう。それを察した神崎は、この空城の計を思いついた。引き分けとなれば恐らく、再戦が組まれる。そうなればまた、トレーニングを積んで今よりも万全の体制で挑めるからの。本当にただでは転ばない男じゃ」

 電光掲示板は残り二十秒を指している。だが、コーナーに詰まりながらもノーガードを見せている神崎に対して、東堂は踏み込めない。

「と、東堂さん……」

 シノブが心配そうにステージ上を見つめている。その隣で二岡が苦い表情を浮かべていた。

「まさか、こんな手で来るとは……神崎省吾、恐るべし」

 俯き加減で覇気がないように見えるのに、勝負に対する強い執念が感じられた。この男、まだ勝負を諦めていない。

「安易には踏み込まない、それがウチらの戦略よね」

「そうだが、このままではポイントイーブン、引き分けに終わる」

「だったら飛び込めばいいってこと?」

「いや、それは……」

 二岡にも正解がわからない。恐らく、神崎には何の策もないはず。単純に引き分け狙いの悪あがきにしか見えない。

 だが相手はあの神のごとき男。数々の逆転劇を披露してきたプレイヤーによるこのノーガードの誘いは不気味過ぎる。

 踏み込むべきか、このまま大人しく引き分けに持ち込むべきか。さっきまで勝利目前と思っていた戦いが、まさか1/2まで確率を下げられるとは思いもしなかった。

「どうしたら良いのよ」

 ヒステリックな口調でシノブが訊ねた。二岡はただ、静かに首を振る。

「わからない……すべては実際に戦っている東堂さんが決めるしかない」

 二人は静かに、東堂一派のトップに立つ男の選択を見守った。

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