第8話 東堂VS神崎②

 試合当日の陽が沈んだ頃、神崎は華村が用意してくれたいつもの京王プラザにチェックインした。高層階から窓の外を眺めると、西新宿のビル群が宝石を散らしたようにネオンを発している。

 ふと、自分の首に十万ドルの懸賞金を差し出した存在が気になった。神崎がアンダーグラウンドの世界に飛び込むことになったきっかけは、中学生の立ち話を聞いたことによる偶然から始まっている。

 ネット対戦で『勝ったら十万ドル』というヤマトを相手に勝利し、そこから華村と出会ってコロッセオへ出向いた。その当日、シノブと一戦を交えた直後に懸賞金が提示されている。

 表舞台で活躍していた三年前に、コントローラーに罠を仕掛けてきた奴が犯人だとしたら、どうやって神崎の地下での復帰を早々に察知できたのか。地下で勝ち進んだことで有名になり、噂が広がってしまった状態であればともかく、たったの一試合ではあまりにも動きが早すぎる。

 懸賞金が提示される前にコロッセオで負けたのはシノブだけ。だが、「シノブをやられて憎んでいるのなら、東堂が直接お前を倒せば良いだけだ。いくら神のごとき神崎が相手とはいえ、戦う前から尻尾を巻くほど東堂は弱くない」と豪傑は言っていた。今回、東堂が逃げることなく戦いを挑んできたことから、豪傑の言う通りだと神崎も思う。

 だったら誰が、何の目的で神崎のクビに高額の懸賞金を提示したのか。豪傑が「お前を陥れようと企んでいる奴は、知らぬ間に間近まで迫っているかもしれない」と冗談交じりで言っていたが、それが現実のものになろうとしているのだろうか。

 答えが見えそうで見えない神崎は、モヤモヤを吹き飛ばそうとバスルームに入った。用意されているバスアメニティは南仏のブランドでおなじみの『ロクシタン』、天然素材を惜しみなく使用した爽やかな香りが身も心も癒してくれる。

 シャワーを浴びてスッキリとしたところで、神崎は冷蔵庫からミネラルウオーターを取り出し、一気に半分ほど流し込んだ。純度の高い冷水が、体の中心を通り抜けていく清涼感を味わう。

 そのままシモンズ製の高級マットレスに腰を下ろすと、扉がノックされた。ドアを開けるとそこにいたのは華村だった。

「シャワーを浴びていたのかしら。優雅なモノね」

 バスローブ姿の神崎を横目に、断りもなく室内へと入り込むと、華村は札束を二つ取り出した。

「前回のファイトマネー、日本円で渡しておくわ」

 しめて二百万円。今夜も勝てば、これ以上の金が手に入る。負ければ一銭にもならないどころか潜入捜査は失敗、すべてを失ってしまう。

生きるためには勝たなければならない。一戦一戦に神崎の生活が懸かっている。高額紙幣を二束受け取った神崎は、それをホテルの部屋に備え付けられている金庫にしまった。

「渡しているドル紙幣から、何か掴めているのか」

「まったく手掛かりなしよ。敵もバカではないわね」

「裏金はキッチリ洗浄されているわけか」

「闇組織の捜査は私たちがやるから、あなたはゲームに集中しなさい。そもそも東堂に勝てる算段はついているのかしら」

 いつもと違わぬ上から目線で華村が訊いて来る。神崎は首を振る。

「一馬と違って戦ったところを見たことが無い以上、東堂の強さは拳を合わせてみるまで分からない」

「ハンデがあるということね」

「悪い話ばかりではない。四天王三人と戦えたことで、実戦の感覚を取り戻しつつある」

「シノブや豪傑と戦った時よりも、今のあなたの方が強い。東堂との戦いが最後になったのはある意味朗報ってことかしら」

「そうとも言える」

 神崎は服を手に取った。華村は椅子に腰かけたまま動こうとしない。

「そろそろコロッセオへ行く準備をしたいんだが」

「そうして頂戴」

「着替えると言っているんだ」

「私は構わないわよ」 

 あっけらかんと言う華村。無表情の神崎は「そうか」とだけ呟き、バスローブを脱いで外出の準備を始めた。


 夜も更けた頃、いよいよコロッセオへと向かう。新宿駅を挟んで西から東へと移動し、歌舞伎町へ入った。深夜とは思えないほど賑やかな街を、真顔のまま歩く神崎と華村。

「俺の首に十万ドルを賭けた奴の事、わかったのか」

 不意に訊ねると、華村は眉を顰めた。

「なによ急に」

「気になっただけだ」

「試合に集中しなさいと言っているでしょう。うわの空で勝てるほど、東堂は甘くないわよ」

 何かチグハグなものを感じた神崎は、横目でチラリと華村を見やる。

「捜査の進展について、答えられない理由でもあるのか」

「未だ不明だから、話すことはないってことよ」

「優秀なアンタが、なぜこの程度の捜査に手間取るんだ」

「強引に進めれば、割り出せることも出来るでしょう。でもそんなことをしたら、組織に私たちの素性がバレる危険がある。首を突っ込み過ぎて良い事なんてないのよ」

「十万ドルを出資するほど俺を恨んでいるんだ。俺がボロ負けするところが見たいのに、逆に俺が四天王を倒してあのコロッセオの頂点に立ったら、そいつは酷く立腹するだろう。場合によっては直接的な攻撃に出てくる恐れもある。そのリスクを優秀なアンタが見越していないのが不自然だ」

「考え過ぎだわ。そいつは金を出しても直接手を下せるほどの度胸がないのよ。あればとっくにあなたをさらっているはず」

 華村の言い分は論理的ではあるが、言い訳にも聞こえた。

「俺の取り越し苦労だというのか」

「そうよ。だからあなたは東堂に勝つ事だけを考えなさい。負けたらすべてを失ってしまうのだから。それともまた、生活費に悩む惨めな毎日に戻りたいのかしら」

 ゲーム以外に興味もなく、物欲も贅沢とも無縁な男だが、ファイトマネーが無くては家賃も食費も払えない。生きていくためには勝ち続けることが必至。

「わかった。すべては東堂に勝ってからにしよう」

 思うところはあったが、今は目の前の東堂戦に全神経を集中させることにした。

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