第8話 東堂VS神崎①

 四天王との最後の戦いである東堂戦に向けて、神崎はいつも通り立川のゲームプラザに来ていた。

 ポケットに裸のまま突っ込んでいた紙幣から一万円札を抜き取ると、両替機に通す。和紙一枚で白銅が当たり前のように百枚出て来る。資源価格から言えばあり得ない交換。この貨幣という物体に価値を見出して、効率よく経済活動を行う人間社会のメカニズム。この存在で時に人は満たされ、時に地獄を見る。

 平気で人を狂わせる副作用を持つ金を手にしても、神崎は動じることが無い。金はあくまで生きていくために必要な道具であって、目的ではない。神崎の中心にあるのは昔も今も、格闘ゲームに尽きる。

 さっそくトレーニングパートナーである豪傑とのスパーリングに入る。背中合わせの筐体を挟んでそれぞれ座ると、神崎が訊ねた。

「東堂のファイトスタイルはどんな感じなんだ」

「アイツはスピードファイターだ。セッティングからして速度重視で、その特性を生かした見えないパンチを打ってくる」

「ノーモーションか」

「これがやっかいでな。反射神経の良い一馬でさえ手を焼いた。不用意に近づけばどこからともなくパンチを浴びせられる。離れていても何の前触れもなく飛んで来る。一時たりとも気が抜けないから精神的にも消耗させられる」

 あの一馬でさえ反応できないノーモーション。もはや見えないパンチと言っても過言ではない。

「それでも一馬は引き分けたんだろ」

「持ち前のトリッキーな動きで翻弄し、東堂に的を絞らせなかったからな。だが神崎、お前は相性が悪い。カウンターを得意とするお前にとって、反応が出来ないパンチを打ってくる東堂は最悪の相手だ」

 相手の動きやタイミングを見切り、繰り出されるパンチに反応して『後の先』を取るのがカウンター。だが、相手のパンチが見えなければ手も足も出ない。

「さらに東堂は基本がしっかりしている。ステップワーク、ディフェンス、コンビネーション。どれをとっても一級品だ。コイツを攻略するのは容易じゃねえぞ」

「誰が相手でも、簡単に勝てるとは思っていない」

 そう答える神崎に、豪傑がニヤリと笑う。

「そうだったな。お前はいつだって、ギリギリの戦いを制してきた。今回も一発かましてやろうぜ」

 一派のボスである東堂攻略を念頭に、二人の試行錯誤が始まった。


 二万円ほど使い切ったところで、二人は遅いランチに出た。JR立川駅南口にあるガストに入り、神崎は『海老と野菜のクリーミードリア』を、豪傑は『牛リブロースステーキ』をライスとスープを付けて、さらに単品で『若鳥のから揚げ』と『山盛りポテトフライ』を頼むという、相変わらずの大食漢を見せつける。

「神崎は少食だな。ガッチリ食わねえと力が出ねえぞ。どうせお前の奢りなんだから、たらふく食えよ」

 意味不明なことを言いながら、豪快にステーキを頬張る豪傑。その脂っこい食事は見ているだけで胸焼けしてくる。

「こうしてお前のスパーリングパートナーを務めるようになって、初めて気づいたこともあるぜ」

 ポテトを五、六本まとめて頬張りながら、豪傑が言う。

「世の中はお前のことを天才だと囃し立てるが、陰では惜しみなく努力を積んでいるんだな。神と呼ばれる男は、ただ生まれ持った才能だけに溺れることなく、日々精進している。それが本当の強みだろ」

「お前は努力と言うが、俺にはそんなつもりはない」

「これだけトレーニングを積んでもか?」

「好きだからやっている、それだけだ」

 それを聞いた豪傑は目を丸くした後、声に出して笑った。

「周りは努力と言うけれど、当の本人にはその自覚がない。好きこそものの上手なれってヤツだな」

「ああ」

「お前が強すぎる理由がわかった気がするぜ。だが、東堂もまたお前に負けないほどトレーニングを積んでいる。あの東堂一派はみんなそうだ。それぞれ対戦した相手の情報を共有し、戦い方を研究している」

「東堂一派の誰かと戦えば、そのデータは一派の全員が知ることになるんだな」

「ナンバー3のシノブと戦い、さらにお前の戦いを東堂はその目で見ている。今頃一派で研究に研究を重ね、お前の技や癖を見抜いているだろう」

「たいした努力家だな」

「お前に勝つためならどんな努力も惜しまない、そんな男だ」

「だったら俺には勝てない」

 そう言い切る神崎。豪傑が訝しい表情を向ける。

「なぜそう思うんだ」

「努力している時点で、ただ好きでやっている奴には勝てない」

 努力とは、自分で自分に無理を強いているからこそ出る言葉。無我夢中でのめり込んでいる人間には到底かなわない。

「勤勉な東堂一派はサラリーマンになっても、営業成績を上げて稼げるだろう。だが俺の居場所はこの世界しかない。格闘ゲームという、限られた空間だけだ」

 複数の資格を取り、この職種でダメなら他の職種で転職を、といった人生の保険なんて神崎にはない。格闘ゲームでの終わりはイコール人生の終わりでもある。プロゲーマーになった時、その覚悟は決まっていた。

 そんな度胸が据わっている神崎の迫力に、豪傑は少し恐怖さえ感じた。

「どうして俺がお前に勝てなかったのか、本当の意味で理解したぜ。お前はやっぱりスゲエ奴だよ、神崎」

 この男ならやってくれる。四天王を全員倒し、妹の命を救ってくれる。豪傑はあらためて神崎省吾という男の凄みを感じ取った。


 神崎が立川でトレーニングを積んでいる頃、東堂一派もまた、対神崎の攻略を練っていた。トレーニングルームとして借りている部屋に、一派のメンバー十人が集まっている。

「神崎はとにかく、戦略にたけています。あらかじめ立てたプラン通りに試合を運び、その通りのことを実行しているのです」

 二岡が冷静に分析した。それにシノブが付け加える。

「私との戦いでもそうでした。どんなに劣勢でも焦ることなく、狙い通りに勝利を収めていく。勝ったつもりでいたのに、いつの間にか負けていました」

「シノブの言う通り、優勢に進めている相手は勝利を意識し始める。その慢心さえ神崎は利用してしまう。豪傑も仙人も、一馬でさえもその術中にはまってしまった」

 二人の話を聞いていた東堂が、ようやく口を開いた。

「相手が勝ったと思ったのは、ただの錯覚だろう。実際は神崎の手のひらで踊らされているだけだ」

「おっしゃる通りです。奴がどんな作戦を練って挑んでいるかわからない以上、どんなに優勢に進めていても、不用意に飛び込むのは危険です。喩え、東堂さんであっても」

 二岡の助言に、東堂の眉がピクリと動く。

「この俺が神崎の餌食になる、そう言いたいのか」

「いや、そういうわけでなく、その――」

 言葉に詰まる二岡。それに対し、東堂が自分の見解を述べる。

「奴の餌食になるのはカウンターを貰うからだ。俺のノーモーションに、神崎がカウンターを合わせられるというのか」

「ラッキーパンチという言葉もあります。追い詰められた神崎が、破れかぶれで放った攻撃が万が一クリーンヒットしてしまうリスクは、排除できません」

 二岡の言い分にも一理あると、東堂は頷いた。

「確かにそうだ。だが神崎の反撃はある程度予想がつく」

「これまでに見せたカウンター攻撃は、豪傑戦での『後ろ廻し蹴り』、仙人戦での『かかと落とし』、そして一馬戦での『相打ちフック』になります。長距離では後ろ回し蹴り、中距離ではかかと落としといった足技に、至近距離では相打ちフックのようなパンチ攻撃に細心の注意が必要です」

「逆に言えばそれさえ警戒していれば、神崎の反撃を受けずに済む。手が届く距離になったら俺のノーモーションで仕留めればいい」

「それが最良の選択だと思います。神崎と言えども東堂さんのノーモーションには反応が出来ませんし、仮に一馬戦のように奇跡的な同時攻撃が出来たとしても、東堂さんのノーモーションの方が速く神崎の顔面を捉えるでしょう。理想的な完封勝利になります」

「よし、その方向で詰めていくぞ」

 方針が決まった東堂一派は、神崎攻略のためにハードなトレーニングを積んでいく。これまでの攻撃がすべて一派の手により分析されてしまった神崎に、勝てる見込みは無いように思われた。

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