第7話 一馬VS神崎⑩

「いやあ神崎選手、相変わらず見事な逆転勝利でしたな。今のあなたはもはや、このコロッセオのニューヒーローですぞ」

 揉み手をしまくる支配人。神崎はこのコロッセオにとって、金の成る木として重宝されている。

「勝ち方も劇的で素晴らしい。あなたの試合をもっと見たいと、ネットの向こう側にいるハイローラーたちからリクエストが殺到しておる次第で。ぜひ次の週末もメインイベントで出場して頂けると助かりますな」

「相手はもう決まっているのか」

「先ほど対戦の申し込みがありました。いよいよ最後の四天王、東堂選手があなたと戦いたいと申しておりますぞ」

 それを聞いた華村の眉がピクリと動いた。ようやく最後の一人まで辿り着いた。神崎は当然、この申し出を受けるものだとばかり考えていたが、華村は思わせぶりな態度を見せる。

「どうしようかしらねえ。ここのところ強敵との連戦が続いているし、少し休息を挟んでも良いんじゃないかしら」

 支配人が慌てた表情を浮かべて一歩前に出る。

「いやいや、そんな悠長なことを言っていたら、今度は東堂が対戦を受けてくれなくなりますぞ」

 東堂一派の首領と神のごとき神崎の一戦は、間違いなく賭け金アップにつながる。何としてもこのマッチメイクをまとめたい支配人に対し、華村は冷静に状況を判断する。

「東堂が逃げたければ、それでも構わないわね。去年、東堂が引き分けた一馬に神崎は勝利した。もはやこのコロッセオで誰がナンバー1か、決着がついたも同然だわ。これからは東堂一派ではなく、この神崎が話題の中心になるでしょ」

 無理して戦う必要はない、そう華村は主張している。実際のところ、華村は今日の苦戦が気にかかっていた。神崎はまだ、ブランクから抜けきっていない。今日は辛くも勝利を収めることが出来たが、東堂相手に運任せのような勝負で勝てる保証はどこにもない。

 ここは少し、レーティング5位以下の選手と実戦を積ませ、感覚を取り戻してから東堂を狙う方が確実だ。

少し成果を焦り過ぎたと反省した華村は、マッチメイクの方向転換を匂わせたが、ここで支配人が意外なことを告げる。

「東堂選手に勝てば、更なる高みに行けるとしたら、どうでしょうかな」

 途端に華村の顔つきが厳しく変わる。

「どういう意味かしら」

「神崎省吾をこの地下に連れてきて活躍させるその手腕、我々としても高く買っておって、華村香織嬢を幹部に紹介したいと、上層部に打診していたところでしてな」

「その回答があったのね」

「今し方、返事を貰った。今日の大逆転勝利がよほど気に入ったのだろう、幹部の一人がスケジュール次第では会っても良いと言っている――」

 ようやく得たビッグチャンス。これを逃す手はない。

「――だが、そのためには東堂を倒して、名実ともにこのコロッセオのトップに立つ必要がある。中途半端なままでは、幹部もわざわざ時間を割いてはくれないでしょうな」

 四天王すべてを打ち負かすという手土産がいる。「会っても良い」から「会いたい」へと、幹部の気持ちを変えるためには、東堂を倒す実績が必要だ。

「良いわ、受けてたちましょう。それで構わないわよね?」

 華村が神崎に視線を送った。神のごときプレイヤーは小さく頷く。

「誰が相手でも、金を稼げれば俺は構わない」

 支配人に恵比須顔が戻った。

「では来週末、東堂選手対神崎選手の一戦をメインイベントにしますぞ。これは今までの賭け金最高額を超える新記録が期待できる、好ファイト間違いなしですな」

「次のファイトマネーの話よりも、今日のギャラを貰おうか」

 神崎が催促すると、部下の一人がトレーに乗せてドル紙幣を運んできた。

「いよいよ札束が2つになりましたな」

「これは何束になっても困らない」

「持って帰るのが大変ですぞ。次からはカバンを持参された方が良い」

 前回と同様、カウンターで紙幣を数える。そして二百枚のベンジャミン・フランクリンが神崎に手渡された。

「間違いございませんな」

「ああ」

 手の上に乗せられた二百枚のドル紙幣は、今までに味わったことのない重厚感を伴っていた。キャッシュレス時代に忘れかけていた、現金の重みを実感する。

 ファイトマネーを受け取って帰ろうとする華村と神崎。その背中に支配人が声を掛ける。

「香織嬢、少し打ち合わせをよろしいかな」

「構わないわよ。神崎は先に帰っていてくれる?」

 そう言いながら華村は手を差し出した。察した神崎は受け取ったばかりのドル紙幣をすべてその手のひらに載せる。

 そのまま支配人室を一人で後にし、神崎はコロッセオを出た。雑居ビルの出入り口付近に豪傑の姿があった。

「おう、天才野郎。よくあの相打ちを成功させたな」

「一馬が勝った気になって、油断してくれたのが功を奏した。もう一度再現しろと言われても、無理だろうな」

「お前は本当に凄え野郎だよ。そのクビに十万ドルが懸けられるのも頷けるってもんだ」

「その出資者は今頃、歯軋りをしている」

「そりゃそうだ。大金出せばみんな血眼になって神崎を倒してくれると思いきや、上位プレイヤーが次々と返り討ちにあっているんだから、ますます面白くないだろう」

「残るはただ一人」

「東堂を倒せば、すべての決着がつくな」

「お前の妹も助けてやれる」

 そう言われた豪傑は、しんみりとした表情を浮かべた。

「お前がコロッセオに来てくれて本当に良かったぜ、神崎」

「感謝の言葉はまだ早い。東堂に勝ってからにしろ」

「たとえ負けても、ここまでやってくれたんだ、悔いはないぜ」

「戦う前から縁起でもないことを口にするな」

 豪傑は「そりゃそうだ。悪かったな」と笑ってから続ける。

「マジでお前は良い奴だぜ。そんな神崎のクビに大金をかけてまで恨み、陥れようとしている奴は、一体どこの誰なんだろうな」

「さあな」

 今のところ実害はない。だが、知らぬ間に魔の手が忍び寄っているとも限らない。三年前と同じ悪夢が、再び襲ってくる可能性。

 仮に危険が間近まで迫っていたとしても、今は捜査のプロである華村香織がいる。この警視庁きっての敏腕女管理官が、降りかかる火の粉を払ってくれるに違いない。

 だから神崎はただ、東堂との戦いに集中するのみだった。


「神崎選手からファイトマネーの二万ドルを受け取って、どうするつもりですかな」

 支配人が不思議そうに訊ねると、華村はあっさりと答える。

「日本円に両替してあげるのよ。神崎はゲーム以外、何もできない人だから」

「なるほど。ゲーム以外に興味はなく、世の中の動きにも疎い。そこまでゲームバカでないと、あれほどの強さは得られませんな。もちろん、良い意味で言ってますぞ」

「わかっているわ。神崎レベルのプレイヤーはそういないでしょ」

「まったくその通り。よくあの神崎省吾を地下へと召喚なさった」

「それが私の仕事でしょ。神崎が居れば、このコロッセオもしばらく話題に事欠かないわね」

「いやいや、神崎選手とていつまでも勝ち続けられるわけがない。いつかは負ける日が来るというもの」

 支配人のネガティブな発言に、華村の目つきが変わる。

「何が言いたいのかしら」

「香織嬢には第二、第三の神崎省吾となるプレイヤーを、是非発掘して頂きたい。さすれば我が組織におけるあなたの評価も、ウナギのぼりですぞ」

「――確かに、エージェントとしても神崎がコケた時の保険となるプレイヤーがいた方が良いわね」

「そうでしょう。良いプレイヤーが居たら是非、地下に連れて来て頂きたい」

「当たってみるわ。ところで私が預けている十万ドルの無記名債権、ちゃんと保管しているでしょうね」

「責任を持って金庫に保管しておりますぞ。それにしても、真相を知ったらさすがの神崎選手も驚くでしょうな――そのクビに十万ドルの懸賞金をかけたのが、エージェントである華村香織嬢、あなただと知ったら」

 思わぬ証言を口にする支配人。華村はそのセクシーな唇に人差し指を立てて当てる。

「声が大きいわ。このことは二人の秘密と言ったはずよ」

「これは失敬。ここにいるのは二人きりだと思って、つい気が緩んでしまった」

「壁に耳あり障子に目ありと言うでしょ。どこに誰の耳目があるかわからないんだから、気を付けて頂戴」

「面目ござらん。とにもかくにも、神崎選手を完全に手なずけているようで、なによりですな」

 華村はニヤリと淫靡に笑う。

「神のごときと称されても、所詮はこの裏世界では素人同然。神崎省吾は私の手のひらで踊っているだけの、傀儡に過ぎないわね」

「知れば知るほど、あなたは恐ろしい人だ、香織嬢」

「それは誉め言葉として受け取っておくわ」

 ゆったりとした仕草で魅力的な足を組む華村。彼女は自分の目的を果たすためなら手段を選ばず、使えるものは親でも利用する冷酷な女だった――

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